第44話 喧嘩の仲裁
鬼が藤嵩に成り代わっていた事件の後、私はすぐにテントに入れられた。
紅翅は藤嵩達の手当もしなくてはならないのに、ちょこちょこ私の様子を見に戻ってくる。
「力を使っただけで、怪我もしてないから大丈夫なんだけど……」
と言ってみたが、
「少しの間、自力で立てなかったのでしょう?しばらく動いてはなりません」
と寝台に放り込まれた。
ちょっと気を放出させて、動けなくなるなんていつもの事だし、少し休憩すれば大丈夫なのに。
それを知っているはずの璃耀に助けを求めると、璃耀は何も言わずにニコリと笑った。
目を離した隙に何かに巻き込まれる私を、中に閉じ込めておこうという魂胆が見え隠れしている。璃耀はダメだ。
「……凪……」
凪も知っているはず、と助けを求めたが眉尻を下げて首を振られた。
「ちょっとの隙にこのように危険な目に合われるのでは、恐ろしすぎます。ここで大人しくなさってください」
凪は璃耀の魂胆をそのまま口に出して主張した。
私につけられたままの桔梗も頷いている。
特に、真面目な桔梗は、今回のことが効いたのか、絶対に私を一人にすまいと気を張っている。
腹心を貸してくれるのは有り難いのだが、護衛という名の監視役が増えてしまった。
「大事な腹心でしょう? 藤嵩も回復するまで時間がかかりそうだし、軍も大変なんだから遠慮……」
と、戻ってきた蒼穹に言いかけると、近くにいた桔梗が僅かに目を潤ませた。
「今回の事を挽回するチャンスを与えてやってください。その分、宇柳を働かせますので。」
蒼穹はそう言いながら、表情を固くする宇柳ではなく、璃耀の方にちらっと目を向けた。
……なるほど。そういうことか。
結局、裏で糸を引く璃耀の思惑に抗うことはできず、前回と同様丸三日、私は缶詰生活を送ることになってしまった。
よし、明日こそは外出許可をもぎ取るぞ!と思っていた日の夕方、俄に外が騒がしくなった。
何事かと思っていると、宇柳の慌てたような声が外から響いた。
「大変です、白月様! 突然……」
しかし、宇柳の声は途中で途切れる。その代わりに、どこかで聞いたことのある、凛とした声が聞こえてきた。
「白月様、翠雨です。よろしいでしょうか?」
……カミちゃん!?
その声に眉を顰めたのは、側に控えていた璃耀だった。
一方で、紅翅と璃耀を除く全ての者が、顔色を変えてザッと跪く。
私は周囲に視線を巡らせる。が、皆が私の返答を待っている。
璃耀に目を向けると、しぶしぶといった感じで頷いた。
「ど……どうぞ……」
ただカミちゃんに会うだけなのに、妙な緊張感が漂っている。
布をめくって入って来たのは、カミちゃんと三名の御付きの者達。
その後ろから、困惑した様子の蒼穹と宇柳、栃が入ってきた。
カミちゃんと御付きの三人は、私の前まで来ると、膝をついて礼をする。
それから、顔を上げてニコリと笑った。
「お久しぶりですね、白月様。ご無事で何よりです」
「……う……うん。カミちゃんも元気そうでよかった。皆のこと助けてくれて、ありがとう」
「いえ。お元気そうなお顔を拝見できて安心いたしました」
「それで、あの……突然どうしたの?」
私が戸惑いつつ尋ねると、カミちゃんは眉尻を下げて、これみよがしに困ったような表情を浮かべる。
「使いを出したものの、中々いらっしゃる様子がなかったので、お迎えに上がりました。璃耀のことなので、このままこちらへ白月様をお連れにならない可能性もあると思ったので……」
カミちゃんの言葉に、璃耀は苦々しげな表情を隠しもせずに反論を始めた。
「準備も整わぬのにお連れはできません。白月様のお気持ちと安全が最優先ですから」
「それに違は唱えぬが、この世の均衡を保つことも最優先事項に加えてほしいものだな」
「それでは、何が最も重要か分かったものではありませんね」
「ほう。何が最も重要かも解らぬのか?」
「私の最重要と翠雨様の最重要はどうやら異なるようですので」
再会して早々に口論が始まることなどあるだろうか。
この場で上位に君臨する二人の口論に周囲の空気がどんどん凍りついていくのが肌でわかる。
「ちょ、ちょっと、やめようよ、二人とも……少し冷静に、ね」
「私は至極冷静ですよ。白月様」
カミちゃんは先程まで璃耀に対して不機嫌そうな顔をしていたのに、貼り付けたような笑顔を私に向ける。
「こちらの状況を理解しようともせずに乗り込んで来て苦言を呈されるような方が冷静であるとは思えませんが」
いやいや、いちいち煽らないで、璃耀。
「では、状況を理解できるよう、便りの一つも出してほしいものだな。使者殿?」
「凪や椎が報告していたのでしょう?」
「私は其方を使者に遣わしたのだが。そこまで物分かりが悪いとは思わなかったな。先帝の蔵人頭の名が泣くぞ」
カミちゃんも、もうちょっと言い方があるでしょう……
「ねえ、いったん落ち着こうよ。皆、怖がってるから……」
周りに目を向けると、皆、気配を殺すようにして成り行きを見守っている。
前々から仲は良くないとは思っていたけど、カミちゃんが喋れるようになるとここまで険悪になるのか……
「白月様も、覚悟をお決めになられたのなら、お早く京までお越しください。ずっとお待ち申し上げていたのですよ」
仲裁しようとしただけなのに、私にも飛び火する。カミちゃんの笑顔が怖い。
「情勢を見て動くかどうかを判断することも大事なことでしょう。これだから……」
「ちょっ、ストップ、ストップ! 璃耀!」
璃耀がいったい何を言おうとしたのかはわからないが、絶対に地雷を踏むような発言をしようとしたに違いない。
私が止めようと声を上げると、璃耀は怪訝な顔でこちらを見た。
「……すとっぷ、とはなんです?」
「その口を止めてってこと……ハァ」
私は、大きく息を吐き出した。
「なんでそう喧嘩するの? 前から仲は良くないなと思ってたけど、カミちゃんが紙人形じゃなくなったら、ずっとこうなの?
旅をしてたときはそれなりにうまくやっていたじゃない。
まさか、宮中でもそうだった訳じゃないよね?」
恐らく、宮中でずっと一緒だった者たちを見回すと、皆が顔を見合わせて様子を伺っている。
この反応では、ずっと喧嘩していたのだろう。
「あの頃は、私は言いたい事の半分も言えていませんでしたからね。主張を璃耀に黙殺されることもありましたし」
カミちゃんはそう言うと、璃耀をジロリと睨む。
「その分、今頃になって権力を使って仕返ししようと? 正体を知らなければ仕方がないとは思えないのですか?」
「そもそも其方、本当に気づいていなかったのか? 紅翅など、出会ってすぐに気づいたのだが、察しが悪すぎるのではないか?」
「もう、喧嘩やめて!」
私が大声を出すと、二人はピタリと言葉をとめる。
「二人が喧嘩したら、誰も止められないじゃない。喧嘩が絶えないような険悪なところに居るの、私、嫌だからね」
二人は黙ってはいるが、未だ互いに睨み合っている。全然わかってない。
「これが続くなら、山羊七さんのところに引き籠もるか、烏天狗に嫁入りするから」
「白月様!」
悲鳴のような声を出したのは宇柳だった。
カミちゃんはジロっと宇柳を睨む。宇柳は青褪めたまま俯いてしまった。
……ごめん、宇柳。今のは私が悪かった。
私は宇柳を隠すようにカミちゃんと宇柳の間に立つ。
「宇柳は悪くないし、責めないでってお手紙に書いたでしょ?」
「そのような甘い対応をされていては、他に示しが付きません」
「悪い事をしたなら罰すればいいけど、宇柳は悪くないって言ってるじゃない」
「白月様をあのように質に取られた時点で、罰せられる対象であるべきです」
「ちょっと璃耀は黙ってて!」
なんでこういう時ばっかり意気投合するのか。
「ともかく、宇柳をこれ以上責めるのはやめて! そして、二人は不毛な喧嘩をやめて!」
「不毛ではありません。大事な議論です。翠雨様の意向を許せば、白月様が危険に晒されかねません」
「それはどういう意味だ。」
「言葉の通りですが。世の安定のためならば、白月様の安否など二の次だと仰せのようでしたので」
「いったい何をどう聞けばそうなる。」
……少し経てばまた口論。
なんですぐに喧嘩になるの。
私、喧嘩を止めてって言ったよね。
言葉が通じてないの?
なんでわかってくれないの?
なんで味方同士で喧嘩してるの?
「……あの、お二方とも、ちょっと不味いのでは……」
蒼穹が視界の端でなにか言っているがそんな事は関係ない。
もう限界だ。
これ以上不毛なことで喧嘩を続ける気なら、こっちにだって考えがある。
蒼穹の言葉に私に目を向け、二人はギョッと目を見開いた。でも、そんなのも無視だ。
「栃さん。烏天狗は、私一人でも、結界を強固にすることに協力してくれますか?」
突然声をかけられた栃は、ビクっと体を震わせる。
「え、ええ。それは……もちろん……」
「じゃあ、烏天狗の山に戻りましょう。私は私の目的が果たせればそれでいいです。居場所がどこになろうが、例え嫁入りすることになろうが」
私は二人を見据えながら言い捨てる。
栃の方に一歩踏み出すとカミちゃんは狼狽えたように私と栃の間に入った。
「は、白月様、落ち着いてください。烏天狗に嫁入りしようなどと……」
「私が落ち着いたら喧嘩をやめるの? カミちゃん」
カミちゃんは、私と栃を見ながらオロオロし始める。それをよそに、璃耀は私を諭すように見た。
「白月様、感情を抑えてください。先程から少し気が漏れています」
「感情に任せて喧嘩を続けていたのは誰? 璃耀。私に小言を言う前に、自分が感情を抑えたら?」
私の言葉に、璃耀は口を噤む。
「もう一度言うけど、私は喧嘩をやめてって言ったの。私の言うことを聞くつもりがあるなら、今、ここで、お互いに謝って。そして、もう二度と不毛な喧嘩はしないと誓って」
カミちゃんと璃耀は顔を見合わせる。
ただ、謝罪の言葉は出てこない。
「栃さん。私やっぱり……」
と言いかけたところで、カミちゃんが慌てたように口を開いた。
「わ、わかりました! わかりましたから!……その……すまなかった、璃耀」
カミちゃんの言葉に、璃耀も眉尻を下げる。
「……こちらこそ、申し訳ありません」
私は、互いに謝罪し合った二人を睨みつける。
「それで?」
「……もう二度と、不毛な喧嘩はしないと誓います」
二人は声を揃えて、つぶやくようにそう言った。
周囲の皆もほっと息をついたのがわかった。
もう、何だかどっと疲れた。
喧嘩の仲裁って、こんなに力を使うものだっただろうか。
私はハァと息を吐いてその場にしゃがみこむ。
「白月様?」
璃耀が戸惑うような声を出した。
しかし、すぐに紅翅がそれを押しのけ、パタパタと私に駆け寄る。そのまま、私の額に触れたり、手首を軽く抑えたりしながら私の様子を覗い始めた。
「大丈夫だよ。ちょっと疲れただけ。何ともないよ」
我慢しているわけでもなく、本当に何ともないのだが、紅翅は厳しい顔で首を横に振る。
「もう、今日はお休みください。本来は、今日いっぱいは御身体を休めて頂く予定だったのです。それを、気の流れを抑えられないほどに感情を乱されれば、負担にもなりましょう」
紅翅はそう言いながら、カミちゃんと璃耀を睨みつける。
それに、二人がうっと怯んだのがわかった。
「さあさあ、もう、ご退席ください。お話なら、別のところでお願いしますね」
紅翅は私を凪に預け、パッパっと手を振ってテントの中から次々と人を追い出していく。
璃耀だろうがカミちゃんだろうがお構いなしだ。
「いや、紅翅。まだ本題を話せていないのだが……」
カミちゃんが戸惑うように声をかける。でも、紅翅は全く聞くつもりがない。
「口論で貴重な時間を使うからですよ。ささ、もうご退席くださいな。白月様の御身体に障りますからね」
紅翅はそう言いながら、粘ろうとするカミちゃんも無視して、手際よく凪と桔梗以外の全員を追い出した。
……もしかしたら、紅翅が一番強いのでは無かろうか。
人気のなくなったテントの中で、私はハァーと深く息を吐く。
「なんであの二人はあんなに仲が悪いんだろう……」
ぼそっと呟くと、紅翅は周囲を片付けながら、仕方の無さそうな声を出した。
「もともと似た者同士、反りが合わないのはあるのでしょうが、一番は家柄でしょうね。お二人は、向いている方向が似ているようで微妙に異なっているのです。」
「……家柄?」
「翠雨様の生まれ育った柴川家は御世に尽くす政治家の家柄です。一方で、璃耀様の生まれ育った雉里家は大君その人に尽くす蔵人所の家柄なのです。何れも大君に仕えているという点では同じですが、翠雨様は世の為に、璃耀様は大君の望みの為に、尽くそうとしています。
貴方が世の為に動くのであれば、目指す方向は重なります。ただ、微妙なところでズレが生じるのでしょう。
こればかりは、生まれた環境で育まれた心根なので、仕方がありませんね。」
紅翅の言葉に、凪は納得したように頷いた。
「確かに、先程の口論もそうでしたし、宮中で対立したときも、殆どが白月様に関することだったような気がします。」
「……じゃあ、私がいる限り、喧嘩は無くならないってこと?」
私が眉根を寄せると、紅翅はふっと表情を緩める。
「白月様が居なければ、お二人の道がもう一度重なることも無かったでしょう。大丈夫ですよ。動機が異なっても、目指す方向が同じであれば、協力するときはきちんとします。大人ですから。お二人とも」
「……そうだと良いけど……」
何だか、凄く先が思い遣られる。
モヤモヤした気持ちのまま、私はそっと目を閉じた。
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