第51話 裏切者の企み
幻妖宮の上空を蒼穹達軍が埋め尽くす。
「帝位を簒奪し鬼と通じて妖界を危険に晒す逆賊を、真なる帝、白月様の名の下に捕らえよ!」
蒼穹の隣に並んだカミちゃんが声を張り上げると、軍が一斉に幻妖宮に向かって下降した。
帝になるかどうかは一旦棚上げしてはぐらかしてきたつもりだったけど、外堀を埋められようとしている……
いやまあ、烏天狗の首領も私が帝位に就く前提で協力してくれているわけだし、最初から逃げ道なんて無かったのかもしれないけど。
空を大きく迂回し、自分達の動きを悟られないよう陸路で私達の元にやってきたカミちゃんは、大変良い笑顔で
「きちんと新たな帝の名を知らしめてきましたよ。これで帝位に就く他なくなりましたね」
と宣った。
なるほど、確信犯か……
私が帝位に就くことを躊躇っていると、一体どこで知ったのだろう……
私がハアと息を吐いていると、カミちゃんは私にスッと手を出す。
「では参りましょう。結界石へご案内します」
私が手を差し出すとぐいっと引かれ、私は最後の戦いに向けて立ち上がる。
しかし、そうスムーズにいかないのが戦なのだろう。カミちゃんについて歩きだそうとした矢先、焦ったような様子の兵が一人こちらに飛んできた。
あれは、狐の村に使いにいかせた者ではなかっただろうか。
「申し上げます! 先程、椎と名乗る者が、白月様が深手を負った為紅翅殿に来てほしいと助けを求めに現れ、璃耀様と紅翅殿を連れて飛び立って行ったと報告が」
使いの言葉に周囲がざわめく。
「椎の狙いは何?」
私が眉を顰めていると、別の方向からもう一人使いが飛んでくる。
「申し上げます。死の泉の岸に、近衛兵複数と椎殿が現れ、璃耀様と紅翅殿を盾に白月様をお連れしろと。さもなくば二者とも死の泉に突き落とすと申しております」
「はぁ!?」
驚く私を他所に、カミちゃんは使者の言葉に額に手を当て溜め息をついた。
「そのようなこと、白月様に報告に来るな。其方らで何とかせよ」
「しかし……」
カミちゃんはすごく突き放したような言い方だ。でも、私を呼んでこいと言われているのに、他の者に任せて、あの二人に何かがあっては困る。
「ねえカミちゃん、放っておけないよ。死の泉まで行ってみよう」
しかし、カミちゃんはあからさまに嫌そうな顔をした。
「見よ。余計な事をお耳に入れるから、このようなことになるのだ」
「カミちゃん!」
私が声を荒げると、カミちゃんはじっと私の目を見て諭すように言う。
「白月様、落ち着いてよくお考えください。
貴方の御立場を思えば、あの二人を諦めてでも、貴方は危険を避け、生き残らねばならないのです。」
……わかってる。私が結界石に力を注ぐ前に居なくなれば、犠牲は二人だけでは済まない事態になることくらい。
「璃耀もおそらく、そのような事、望みませんよ。」
それも知ってる。
ここに璃耀がいたら、絶対にカミちゃんと同じ事を言うだろう。
「このまま赴けば、敵の思う壺です。敵方の思惑に自ら飛び込み、貴方が危険に晒されるようなことがあってはなりません」
「……そんなことわかってる!」
私が声を張り上げると、カミちゃんは聞き分けのない子どもを見るような目をする。
「では……」
だけど、このまま二人を見捨てるなんて、絶対に納得できない。
「璃耀が嫌がろうが、敵の思惑に乗る馬鹿と思われようが、やっぱり見捨てるなんてできない。私が、二人を死なせたくないの。助けられる可能性が少しでもあるなら、私一人でだって行くから」
私が鼻息荒く言い切ると、カミちゃんはハアと深く溜め息をついた。
「白月様御一人でなど、行かせられるわけがありません」
「……蒼穹殿を呼びますか?」
凪が見かねたように進み出ると、カミちゃんは首を振る。
「いや、蒼穹にはあちらの指揮を取ってもらわねば困る。このままの手勢でいこう」
カミちゃんの言葉に、その場の全員が了承の意を示した。
私だけなら絶対に総出で反対するくせに……
私達がいる場所は、死の泉の直ぐ側だ。
そのまま注連縄をくぐり、カミちゃんについて先に進むと直ぐに、あの忌々しい思い出の残る死の泉の前に辿り着いた。
椎は、武装した者達を複数警戒に立たせ、泉の際に置かれた白い階段状の処刑台の一段目に座って私達を待っていた。
「ああ、良かった。随分甘い御方だとは常々思っていましたが、本当に来ていただけるか心配していたのです」
椎は私達の姿を見ると、朗らかに笑う。
その片手には綱二本が巻き付けられていて、その先に俯いたままその場に座り込む紅翅と、雉に姿が変わり、意識を失って倒れたままの璃耀が繋がれていた。
「璃耀のあのような姿は二度目ですね」
カミちゃんの軽口に、私はふうと息を吐く。
「椎、二人は大丈夫なの?」
椎は私の言葉に僅かに眉を上げて璃耀と紅翅を見る。
「生きては居ますよ。璃耀様には、戯れのつもりで毎夜繰り返し過去の傷を夢でお見せして弱らせておいたのですが、そのせいで随分抵抗されてしまいって少し手荒にせざるを得なかったのです」
毎夜、過去の傷を夢として……?
「……最近、璃耀の様子がおかしかったのは、椎のせいだったの?」
「ご冗談を。元はと言えば、貴方と先の帝のせいでしょう? 過去の傷をと言ったではありませんか。私は、少し手を貸して差し上げただけです」
私がぐっと奥歯を噛むと、椎は声を上げて笑った。
「ハハハ! 良い御顔ですね。平和しか知らぬ子どものような奔放さや甘さにいつも苛立っていたのです。次は苦痛に歪む御顔が拝見したいものですね」
「……私が嫌いなら、私を相手にすれば良いでしょう。二人を巻き込まないで」
「別に嫌いではありませんよ。見ていると時折虫酸が走るだけで。
でも、そうですね。貴方の身柄と引き換えであれば、一人は解放して差し上げましょう。その後、貴方がこちらの要望を聞き入れてくださったら、もう一人を解放します。いかがですか?」
椎の挑発に一歩踏み出そうとすると、カミちゃんは私の腕をぐっと掴む。
「白月様、耳を貸してはなりません」
「貴方が直接お相手くださるのでしょう?」
「白月様」
カミちゃんに目を向けると、冷静になれと首を横に振る。
椎はそれに片眉を上げた。
「それにしても、驟雨様も使えませんね。流石、私の正体に気づきもしない翠雨様の兄上です」
椎の心底困ったような声に、カミちゃんがピクっと反応する。
「せっかく情報を流して、鬼界の者をお膳立てまでして差し上げたのに、このままでは驟雨様の御代は終わりかねません。ここまで骨を折ったのに、結界を強固に閉じられては堪りませんね」
「椎は、結界が解けたらどうなるか、本当にわかってるの?」
私の言葉に、椎は僅かに首を傾げる。
「驟雨様が分かっているかどうかは存知ませんが、私は分かっているつもりですよ。我ら鬼界の者に自由が訪れるのです」
「……我ら?」
「其方先程、自分の"正体"と言ったな。"裏切り"ではなく」
私とカミちゃんの反応に、椎は唇の端を釣り上げた。
「ご存知ですか? あちらがどのような世界か」
こちらの質問には答えず出し抜けに問いかける。
「鬼界では、一部の支配者層が僅かな資源と食料を独占し、その他の者は搾取され続け、生きるだけで精一杯の世界です。このように豊かな暮らしをしている貴方がたにはわからぬでしょう。貴方がたが退治してまわった鬼は、あちらに住む場所を無くした者たちなのですよ。食べるものも、安心して住む場所もなく、ただ生きていける場所を求めた者たちなのです」
私が眉根を寄せると、カミちゃんは私の腕を握ったまま、その手に力を込める。
「鬼の戯言です」
「あぁ、妖界の者共は、食わなくても生きていけるのでしたね。だから戯言などという言葉で片付けられるのです。
常に腹を空かせながら、成すすべもなく目の前で子らが飢えて死んでいく様を見ずに済むのでしょう?」
カミちゃんはもちろん、皆も怪訝な顔で椎を見ている。
私も経験したことはない。
人界でも妖界でも、それだけ豊かな場所に生まれ育った。
でも妖界の者たちと違って、腹がすくということがどういうことかは知っている。それが生死に直結することも。
鬼界がまさか、そのような場所だったとは思いもしなかった。
……ただ、そうであったとしても、殺して奪って良い訳がない。
「貴方の言いたいことはわかった。でも、鬼がしたことも、それを許した帝も、このままにはしておけない。命を無差別に奪う行為を黙ってみていることはできない」
「ああ、そういうところが虫酸が走るのです。どうせ甘いのなら、こちらに同情して妖界を明け渡すか鬼界を変えてください。白月様!」
先程まで笑顔だった椎が、急に顔を歪めて吐き捨てるよう言う。そのまま、無表情で冷たい視線を私にむけたが、直ぐに小さく息を吐き出し、不意に口元にだけ笑みを浮かべた。
「最初の取引に戻りましょう。貴方の身柄と引き換えであれば、一人は解放して差し上げます。その後、貴方がこちらの要望を聞き入れてくださったら、もう一人を解放します。どちらも拒否すれば、この者共はこのまま死の泉に沈めます」
「行ってはなりません。あの様子では何をされるかわかったものではありません」
「貴方を殺しはしません。やっていただきたいことがありますから」
このままでは、本当に二人は殺されてしまう。
助けたいのなら、取引に応じるべきだ。
ただ、私だって黙って殺されるつもりはない。
可能性があるとしたら、人質交換の後。
一人を交換し、人質が私ともう一人になったタイミングで、隙をついて人質から手を離させ、椎ごと泉に飛び込めれば、二人を救えるかもしれない。
ただし、本当に上手くやらないとどちらかが巻き添えだ。
それに、私が飛び込んだ瞬間を狙って、皆にはこの場を制圧してほしいが、私が飛び込んだことでこちら側も騒然となる可能性が高い。
私はギュッと目を瞑ったあと、私の腕を掴むカミちゃんの手に触れ、カミちゃんを見上げる。
「……カミちゃん、前にも璃耀が鬼に捕まったことがあったよね。あの時と同じ。やっぱり、私、二人を助けたい」
カミちゃんは、私の真意を確かめるようにじっと見つめる。
「例えあそこで私が死の泉に沈んだとしても、戦いはやめないで。私が居なくても、救える者を救って、この場を押えて。」
……これで伝わっただろうか。あのときと同じように隙をつくから、二人を助けてほしいこと。私が椎と共に泉に飛び込むつもりがあること。何も知らない皆を率いて戦い続けてほしいこと。
私が訴えかけるようにカミちゃんに言うと、カミちゃんはしばらく考えをまとめるように黙ったあと、そっと目を伏せた。
「……承知しました」
そうして、私を掴んでいた手も離す。
「翠雨様、何を……白月様! お止めください!」
凪が叫ぶが、カミちゃんは小さく首を横に振る。
「白月様がお決めになったことだ」
椎は目を細めてこちらの様子を伺っている。妙な不信感を持たれないうちに話を進めてしまおう。
「今そっちに行くから、璃耀か紅翅を解放して」
私が声を張り上げると、椎は満足そうに笑った。
「では、刀を置いて、お一人でこちらへ」
「先にどちらかを離して」
「では貴方が、私とそちらの丁度真ん中に差し掛かったら、紅翅殿を放しましょう」
椎はそう言うと、パチンと一度、指を鳴らす。
すると、ハッとしたように紅翅が顔を上げた。
「……白月様……翠雨様……?」
紅翅は私達を見て戸惑うようにそう呟く。
ちゃんと生きていたようで、私はほっと息を吐いた。
「紅翅、椎が鎖を離したら、カミちゃんのところへ走って」
「……しかし、この状況は……」
「良いから、何も考えないで走って。いい?」
「……承知しました」
私はカミちゃんに刀を預ける。
カミちゃんに目を向けると、カミちゃんは小さく頷いた。
私はフゥーと深く息を吐きだして、椎に向かって歩きだした。
両者の丁度真ん中まで来ると、私はピタリと足を止める。
「さあ、紅翅を放して」
私が言うと、椎は紅翅を歩かせ、璃耀を引き摺って私の前までやってきて、刀の切っ先を突きつける。
そしてそのまま、ぱっと紅翅を縛り上げていた紐の手を離した。
「走って」
「……しかし……」
「走って!」
私と椎を見て躊躇う紅翅に、声を張り上げると、紅翅はぐっと唇を噛んで、カミちゃん達の方に走る。
椎は私にニコリと笑いかけた。
「では、もう一つの要求を聞いていただきましょう」
しかし、私はそんなものをそもそも聞くつもりはない。
どうせ、結界石を壊せとか、鬼界の入口を開けとか、そんな事だろう。
璃耀は椎に引き摺られたおかげで、少しだけ椎との間に距離が出来ている。
死の泉からも距離ができた。
柄から刀身に力が伝わるなら、刀身からだって柄の方へ力は伝わる。
やるなら、今だ。
「宇柳! 璃耀をお願い!」
私は声を張り上げると、自分に突き付けられている刀をぐっと掴む。
掌から血が滴り、鋭い痛みが走るが、歯を食いしばる。それから刀身に陽の気を込める要領で力を注いだ。
直ぐに、椎はうめき声を上げて刀取り落とす。
その隙に私は璃耀を掴んでいる方の腕に飛びついた。もう一度、今度は直接陽の気を注ぎ込む。
椎が腕を振り上げ、私を突き飛ばそうとする瞬間、宇柳が璃耀を掴んだのがわかった。
私が倒れ込むと同時に、椎は璃耀を掴んでいた方の手で再び刀を拾い上げ、宇柳から一歩遅れて私を助けようとやって来た凪を斬りつける。
「凪!」
うまく上空に退避した凪を見て、私はほっと息を吐く。
椎は、璃耀を掴んだ宇柳を見送りながら、
「……ああ、そういうことですか」
と呟いたかと思うと、素早い動きで自分側に掌が向かないように私の両手首を片手で掴み、喉元に刀を突きつけた。
両手を負傷しているはずなのに、その口元は、ニヤッと嫌な感じに歪められている。
「直接触れずとも陽の気を注ぐ事ができるとは厄介ですね。残念ですが、約束を守っていただけないのなら、このまま消えてください」
手首を掴まれ、刀の切っ先を喉元に突き付けられたまま、白の階段を登る。
「白月様!」
悲鳴のような声が背中に響く。あの時と同じだ。
二度もここを登ることになるとは思わなかった。
違うのは、ここに落ちたところで自分だけは大丈夫だと確信を持てることだ。
「カミちゃん、あとをお願い! 皆、諦めないで戦って!」
椎が私を突き落とそうと切っ先を外した瞬間、私はぐっと椎の腕を掴む。
そのまま、私と椎は、バランスを崩して死の泉に落下した。
水面にぶつかると、その瞬間から椎の体が赤く光り焼けていく。椎は目を見開き、苦痛と憎悪に歪んだ目を私に向けた。
あまりのおぞましい光景に、私はギュッと目を瞑り、苦しみもがく音が聞こえないように耳を塞ぐ。
妖が水に落ちただけでこんな風になるなんて。
私は水の中で小さくなって時が過ぎるのを待つ。
水の中をもがくような音が聞こえなくなり、しばらくして恐る恐る目を開けると、そこにはもう何一つ残っていなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます