第7話 薬効の検証

 家に戻ると、奥さんが部屋の奥にあった穴の中を整えてくれていた。

 羊毛が部屋に敷き詰められ、一部だけ寝ても痛くないように厚めにしておいてくれている。


「寒くなったらこれをかけてくださいね」


と、毛布も用意してくれた。

 久しぶりの暖かい寝床に心にじんわりと暖かなものが広がる。嬉しくて涙が出そうだ。


 私が喜びに打ち震えていると、紙人形は今日一日、ほぼずっと私の肩の上にいて大して疲れてもいないくせに、一番羊毛が厚くふわふわしているところに我先にと飛び込んでいった。


 ため息を漏らさずにいられない。


 食事はどうするか尋ねられたが、必要ないと答えた。この世界に来てから、お腹が空くことがない。私にはお構いなく食べてください、というと、夫婦は自分たちも食事は必要ないのだと言った。


「気が満ちている場所であれば、何も食べなくても生きていける妖は多いですからね」


 話を聞くに、仙人は霞を食って生きるというが、この世界の者も、ほとんどが同様に生きることができるようだ。


 とはいえ、妖気だったり生気だったり、何らかのエネルギーは必要なようだ。エネルギーが足りないようならば、それらが満ちた物を食べればいいらしい。


 生気や妖気を直接生き物から吸って生きる者や、妖そのものを喰らい尽くしてしまう者もいるようで、見知らぬ妖には警戒が必要なのだと教えてもらった。


 私はそんな危険も知らずに、見ず知らずの妖にノコノコついてきてしまったわけだが。


「改めてこういったお話をすることはあまりないので、少し不思議な感じがしますね」


 奥さんはそう言うとフフッと笑った。

 ひとまず、悪い者たちではないようで良かった。

 私は密かに胸を撫で下ろした。


 その日、私は本当に久しぶりに、心から安心して眠りにつくことができた。


 翌日、私は旦那さんと竹籠を背負って出発する。竹籠の中には、花や木の実で染めたという、色の違う毛糸を何本か用意してもらった。場所ごとに薬草を採取していき、色分けして括っていくつもりだ。


 紙人形は相変わらず私の肩の上である。


「楽そうでいいね」


と嫌味を言ってみたが、なんの反応も示さないので、無視されたと判断する。


 全ての支流の合流地点を巡るのに何日かかかると言われ、毛布のようなものを奥さんに持たされた。食料は不要なので、身軽なものだ。


 一番最初の支流は初日のうちにたどり着いた。

 採集するのは3箇所だ。


1、支流と本流が合流した直後のもの

2、支流が合流する前の本流のみのもの

3、支流を少し遡ったところのもの


 昼間でも常に薄暗いこの世界に天日干しなんてないけれど、採取場所別に括って乾燥させながら先へ進む。


 途中、鳥が川に寄ってきて、魚を啄んでいくのが目に入る。

 私と違い4足歩行の小さな兎がピョコピョコやってきて水を飲む姿にも遭遇した。


「喋ったり立って歩いたりしない動物もいるのですね」


と言ったら、旦那さんは


「獣と妖は違いますから」


と困ったように笑った。


 蓮華姫とはあまりこういう話ができなかったので、私はこの世界の当たり前が全然わからないままだ。私は周囲を見渡しながら、気になったことを次々と旦那さんに質問していく。


「貴方様は本当に、こちらの世界に生まれて日が浅いのですね」


 しばらく質問していると、旦那さんは子どもを相手にしているような目で微笑んだ。


 鬱陶しかっただろうか、という気持ちが少しよぎったが、わからないままにするよりはいい。


 それにしても、「生まれる」か……


 私の今の状況は、所謂、転生みたいな状態なんだろうけど、そんな感じはしないんだよね。


「私の意識としては別の場所で普通に生活していたはずなのに、気づいたらこの世界にいたような感じなので、生まれたというよりは不思議な世界に迷い込んだ、というほうがしっくりきます。

姿が代わり、記憶の一部が無くなっただけで、唐突に迷い込んでしまっただけ、という感覚なのです」


 そう言うと、旦那さんは納得したように頷いた。


「こちらで普通に生まれた子どもとは違い、大人が大人の中身のまま、体だけがこちらで新しく生まれ変わったようなものなのでしょう。そのような方は珍しくないそうですよ」


 この世界には、羊家族のように番となって子が生まれることもあれば、自然発生的に生まれてくるものもいるらしい。

 自然発生的に生まれた場合、妖になる前のことをおぼろげに覚えているケースもあって、こちらに発生した時に戸惑う者も多いらしい。


「以前にも私のような方に会ったことが?」

「ええ。安心して暮らせる場所を求めて、点々と旅をしてきましたから」


 旦那さんは遠い山の向こうを眺めながら言った。


 紙人形はどうなのだろうと、肩の上をチラッと見たが、番になって子どもが生まれるなんて想像できないので、自然発生したのだろうと勝手に納得して考えるのをやめた。


 羊の家族は、子どもが生まれるまではもっと別の場所に住んでいたそうだ。

 小さな集落に複数の羊達が身を寄せ合って生活していたのだが、ある日突然、複数の力の強い妖がやってきて、集落の羊たちを次から次へと捕らえ始めたそうだ。


 「毛皮を寄越せ」とか「養殖するから殺すな」という言葉が飛び交っていたので、毛皮が目当てだとわかったのだという。


 仲間がどんどん捕らえられていく中、命からがら逃げ出し、同じように弱い妖が集まって暮らしているこの辺りまで逃げ延びたらしい。

 他の羊たちがどうなったのかはわからないそうだ。


「この辺りは弱い妖が集まっているのですか?」

「近くに陽の気の満ちる山がありますから、わざわざ普通の妖は近づきません。

 ほとんど気づかないくらいの量ですが、ほんの僅かに陽の気が混じるせいか、毒草も多く毒の沼や土地もあって暮らしにくい場所なのです。

 暮らし続けるとあまり良くないという噂もあるほどです。」


 あの山の陽の気は、毒なんだ……

 じゃあ何で蓮華は薬になったんだろうか。蓮華の方にも秘密があったんだろうか。

 それに、そもそも私はあの山から来たんだけど……


 私の思考を他所に、旦那さんは話を続ける。


「そのせいか分かりませんが、この地で生まれた我が子は、生まれた時から体が弱く、病に冒されてしまいました……

 それでもこの辺りは、強い妖が陽の気を忌避して住まわない分、他の場所で暮らしていけなくなった弱い妖が静かに暮らせる安住の地なのです。

 それに毒が多い代わりに薬もありますから」


 羊の旦那さんは、自嘲気味に小さく笑った。


 空の下の方に月が薄っすら出てきた頃、近くにあった大きな木を背に焚き火をした。


 川に沿って効率よく進んでいくために、木の洞や洞窟などを川から外れて探しに行くことを諦めて、焚き火の側でそのまま休む。

 完全に野ざらし状態だ。ドキドキする。


 夜間は交代で見張りをすることにした。


 交代要員には紙人形も加えた。今日一日、何の役にも立っていないのだ。何かあれば起こすくらいはできるだろうという判断である。


 そうはいっても、見張りをしているときは周囲のちょっとした物音にビクっとするし、何かがくるのではととても怖い。


 不安感を紛らわせる為に、棒で火を突きながら、キャンプの定番曲を歌っていたら、羊の旦那さんに眠れなくなるから止めてほしいとやんわり苦情を申し立てられた。


 仕方ないので、子守歌に切り替えて極小の声量で歌ったら、間もなくスヤスヤ寝息が聞こえてきた。子守歌って凄いんだね。


 ただ、本当に旦那さんもカミちゃんもスヤスヤ眠ってしまったので、心細さが増してしまった。


 交代して自分が寝る番になっても、いざ寝ようとするといろんな不安が付きまとって殆ど眠れず、とても長くて怖い夜を過ごすことになり、休んだ気は全くしなかった。


 怖かったこと以外何事もなく朝を迎えると、再び出発だ。正直疲れなんて全く取れていない。


 二番目の支流は、2日目のうちに辿り着いた。最初の支流と同様に採取する。

 ここ2日歩いているが、このあたりは広い平野のようで、急な登りや下りがない。

 滝のようなものもないので、足元は石や岩でゴロゴロしているし草が生い茂ってはいるものの、さほど歩くのに苦労しないのはすごく助かる。

 今は上流に向かって歩いているが、川に沿って下流に行けば、そのうち海にでるのだろうか。

 旦那さんに尋ねてみたが、旦那さんもよく知らないらしい。

 そのうち、海にも行ってみたいものだ。


 夜、よく眠れるので子守歌を歌ってもらえないかと旦那さんに頼まれた。キャンプの歌のほうが怖くないのだが、何もせずにじっとしているよりはましなので、昨日とは別の子守歌を歌ってみた。これもよく効いたようだ。


 三番目の支流に辿り着くまでに、そこからさらに2日かかった。さすがに疲れが溜まっていたようで、3日目の夜には交代時間までぐっすり眠れるようになった。少し慣れてきたのもあると思う。


 ただ、疲労は確実に蓄積されていく。最初の方は景色を楽しんだり、見たこともないキレイな花や時々訪れる動物たちに目を輝かせていたが、基本はずっと続く平野の川を遡るだけだ。私はもちろん、旦那さんも徐々に口数は減っていった。


 体力をあまり消費していない紙人形だけは、時々気分転換か、私の肩を飛び下りて、大きな岩の上に乗ってみたり、木の上から景色を眺めたり、とても元気そうだ。


 私はそれを横目にとにかく前へ進む。


 時々、調子に乗った紙人形が木の幹に引っかかったり、川に落ちそうになったりして、その都度助ける手間を増やすのが、疲れた体にはしんどい。

 もう動かないでじっとしていてくれないものか。

 紙人形にうったえてみたが、あんまり聞き入れて貰えなかった。


 結局、そんな感じでかなりの日数を採集に費やし、数日後、私達は心身共にクタクタな状態でようやく羊の家に戻ることができた。


 家に入ると、ずっと心配して待っていたらしい奥さんが、私達をすごく労ってくれた。


 子どもは相変わらず床に伏して苦しそうにしている。


 仮説が正しいといいけれど、と思いながら、その日私はフカフカの羊毛の上で泥のように眠った。


 翌日、昼ごろまで寝ていた私は、起きてすぐに採集してきた薬草を、採集場所ごとに丁寧に仕分けをしていった。それを混じらないようにしながら、羊夫婦に煎じてもらうのだ。


 煎じた薬は、飲んでみたがよくわからなかったり、気のせいだった、ということがないように、旦那さん、奥さん、私が同じものを飲むことにする。


 何か書き留めるものがないか確認すると、旦那さんが墨と筆と木札を用意してくれた。


 それらを使い、結果を木札に書き留めていく。


 文字は私が記憶しているものでそのまま書く。

 やはり、こちらの文字とは違うようで、羊夫妻は首を傾げた。

 カミちゃんも不思議なものでも見るように、身を乗り出すように覗き込んでくる。その動きが余りに突然だったので、その拍子に墨が頭の裏側にちょこっとついてしまった。

 紙人形に余計な模様を書いても大丈夫なのだろうか、としばらくヒヤヒヤ様子を伺っていたが、特に問題無さそうだったので、リボン模様にしてあげたら、結構強めにブシっと片手で頬を突かれた。抗議のつもりらしい。

 かわいいのに。


 木札にはわかりやすく表を作る。表頭に、支流と合流後の本流、合流前の本流、合流前の支流 の3つを、表側に旦那さん、奥さん、私の名前を書いて、効果があれば○、なければ✕を書いていく。


 それを、第一の支流、第二の支流、第三の支流の3枚の木札に分ける。


 少し体力を使ったほうが効果がわかりやすいだろう、ということで、日中、それぞれが子ども用の薬草を採りに行ったり、毛糸を紡いだりと仕事をし、夜になってから、3日に分けて試飲することにした。


 私は正直やることがなかったので、気ままに夫婦の手伝いをする。


 毛糸の加工は、私が借りている部屋とは別のもう一方の部屋で行うようだ。

 中には木製の小さな織り機や糸紡ぎの為の道具、大量の羊毛が積み重ねられていた。


「こういった道具は自分たちで作るのですか?」


 思っていたよりもしっかりした仕事風景に私は目を瞬く。


「簡単なものでしたら作りますし、道具が少し壊れたくらいならば修理しますが、手が込んだものは、こういった細工が得意な方に薬草や毛糸などと交換で作っていただくことが多いですね。都へ行けば、そういった店があったり、職人もいるそうですが……」


 なんと。


 蓮華姫のところでいくつかの道具を見て気になってはいたが、やはり都があり店があるらしい。

 木札や墨汁、筆などもあるので、ある程度の文明が発達しているのだろう。


「貨幣もあるのですか?」

「ええ。このあたりでは物々交換が基本なので、出番はありませんが。」


 飲み食いは必要ない者が多いが、それでも美味い物を味わいたい、美しいものを身に着け着飾りたい、生活を便利にしたい、豊かしたい、という欲求を満たすため、都には様々なものが溢れているらしい。


 いろいろと質問したかったのだが、羊夫婦は直接行ったことがないようで、聞いただけですが、と最後に付け加えられてしまった。


 人間だった頃の知識があったため、織り機は少し教えてもらっただけで、使い方はすぐに理解できた。ただ、初心者であるがために、織り目はガタガタだ。さすがに申し訳なくなって、一日目で織物の手伝いは断念した。


 その夜、第一の支流の薬草を試し飲みする。

 3人の意見をまとめた結果、


1、支流と本流の合流後のもの ○

2、支流と合流する前の本流のもの ○

3、支流と合流する前の支流のもの ✕


となった。

 つまり、薬効成分は、本流のさらに上流に原因がありそうだ、ということがわかった。


 2日目、早々に織物の手伝いを諦めた私は、子ども用の薬草の採集に向かう。単純に人手が増えたため、採集量が増え、夫婦に喜んで貰えた。


 夜、今度は第二の支流について調べる。結果は、昨夜と同様


1、支流と本流の合流後のもの ○

2、支流と合流する前の本流のもの ○

3、支流と合流する前の支流のもの ✕


となった。

 薬効成分は、第二の支流にも関係がなかった。


 3日目も、薬草の採集に向かおうと思ったが、前日にたくさん採れたので必要ないと断られてしまった。

 仕方がないので、河原に出たり、森を少し散策したり、疲れたら布団の上でゴロゴロしたりしながら、かなりゆったりとした時間を過ごすことになった。


 夜、最後の第三の支流について調べる。


 結果、


1、支流と本流の合流後のもの ○

2、支流と合流する前の本流のもの ✕

3、支流と合流する前の支流のもの ○


となった。


 つまり、薬効成分は第三の支流から本流に流れ込んでいることになる。


 ここから先は、第三の支流についてもう少し詳しく調べて行くことになる。


 結果が出ると、


「こんなことがわかるなんて思ってもみませんでした」


と旦那さんが驚きと感心がまじったような声で呟いた。私も新たな事実がわかって嬉しい。


 ここから先は、また第三の支流を遡りながら原因を調べていくことになる。


 ただ、翌日以降の計画を考え始めたところで、旦那さんから、蓮華姫の蓮華を貰ってきたいので数日待ってほしいと言われた。もうすぐ底をつきそうなのだという。


 自分が持っているので譲ろうかと言ったら、旦那さんは首を振った。


「貴重なものです。そちらはご自身の為に取っておいてください。数日で戻ってきますから、それまでどうぞゆっくり過ごしてください」


 しかし、役立たずで、あまりにやることがなかった今日一日を思えば、さらに数日をグータラ過ごすのはさすがに居心地が悪い。


 旦那さんも第三の支流の周辺は全くわからないと言っていたので、少し考えた結果、私と紙人形だけで遡上することに決めた。

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