第6話 病気の子羊

 羊の家の中は、天井も壁も土がむき出しになった洞穴になっていた。奥の方にはどこかへ通じる穴が二つ見える。

 地面は、私のいる入口付近は土のままで、隅に粘土と石で組み上げられたような竈が置かれている。

 一方で、部屋の奥の方は私を案内してきた羊と同じ色の羊毛が薄く絨毯のように敷き詰められていた。


 そして、その中でもさらに厚くモコモコっと盛り上がっているところが一箇所部屋の一番奥にあった。そこがもぞっと動いたような気がしてよく見ると、羊毛に一体化するように仔羊が寝かされていた。寝ている仔羊の上にさらに羊毛が布団のように掛けられている。


 よくこんなに敷き詰めたな、と思っていると、


「妻の羊毛や私の羊毛を毎年少しずつ刈っていって溜めていたものを敷き詰めたのです。

ささ、どうぞどうぞ」


と背中を押される。


 紙人形は遠慮も何もなく、早々にヒランと私の肩から飛び降り、羊毛の絨毯の上に大の字で突っ伏している。

 よほど気持ちよかったのか、腕や足を開いたり閉じたりして、全身で感触を楽しんでいるようにも見える。


 それにしても、触覚はあるんだ。紙なのに。


 ひとまず、紙人形のことは無視して絨毯のうえに上がる。すると、先程まではモコッとした盛り上がりしか見えなかった布団の中で、はあはあと苦しそうに息をする仔羊の顔が見えた。


 父羊は、ゴホゴホと咳き込む子どもの額に手を当てて、心配そうに覗き込む。


「この子の病状が悪化して、蓮華だけではどうしようもなくなり、蓮華姫にどうしたらいいかと相談したところ、希少な薬湯の湧く温泉の噂を聞いたことがある、と教えてもらったのです」


 蓮華姫の蓮華だけでもあらゆる病によく効き希少価値が高いそうなのだが、その温泉の薬湯は蓮華以上に途轍もなく効果が高いのだそうだ。しかしその一方で幻のような存在で、蓮華姫自身も見たことがないらしい。危険な場所にあるとか、何かに守られているとか、誰も立ち入れないような秘境にあるとか、噂だけは広がっているが、それ以上のことは誰にもわからないらしい。


「私も探しに出てみたのですが、手がかりを得ることもできず途方に暮れていたのです。そんな時、貴方様のお話を伺ったのです」


 蓮華畑を荒らされた蓮華姫の話を親身に聞いてくれたこと、荒らした犯人をあらゆる考察から突き止めたこと、逃げられないよう抜け目なく対策を講じて犯人を捕らえたこと。


「それで、貴方様ならもしかして、と……」


 父羊はうるうるとした目をこちらに向けてくる。


 そうかな、とは思ったが、やっぱり話を盛られている。

 そもそも蓮華姫の話を聞いたのは犯人扱いされてどうしようもなかったからだし、犯人を突き止めたのも、たまたま予想があたっただけだ。


 この羊の件に関しては、見つけるにしても手がかりも無さそうだし……


 そう思いながら、チラッと息子に目を向けると、紙人形がヒョイっヒョイっと息子の上に登り、顔を覗き込んでいるところだった。


「こら、やめなさい!」


 私は慌てて紙人形を掴んでから謝る。

 ……自由すぎだよ……


 はあ。


 私は二つの意味でため息をついた。


 別に、この世界に来て、やりたいこともやるべきこともないから、人助けと思って探してあげるのは別にいい。だけど、このままだと、手掛かりがないまま途方もなく歩き回るだけになりそうなのだ。


 最初に言ったように、何もできず、期待させただけで終わりそう、というか。


 そうは思ったものの、死にかけの子どもを目の当たりにして、きっぱりお断りした上で知らなかったことにできるほど、私の神経は図太くない。


 後から、あの家族はどうなったんだろう、という思いが常に付きまといそうだし、何もしないまま病が悪化して助からなかったなんてことになったら、罪悪感に押しつぶされるような気がするし。


 うーーん、と唸っていると、羊が「あの」と声をかけてきた。


「あの、蓮華姫から、貴方様には定まった住まいがまだないのではと伺いました。

 もし探してくださるなら、一部屋、宿としてお貸しします。ここを拠点にしてください。

 羊毛ならいくらでもありますから、ふかふかのお布団をご用意します。それから、まだまだ寒いですから、衣もご用意しましょう。

 それに、お食事が必要ならば、大したものは手に入れられませんが、ご用意します。

 温泉を探してくださっている間、生活のお世話をさせていただきます。ですから……」


 野宿続きで疲弊していたところだったので、それは大変魅力的なお申し出である。屋根と壁のある家に、フカフカのお布団だ。風呂さえあれば完璧に私が求めていたものである。


 ……でもなぁ。そうじゃないんだよね。気がかりは。


 そう思っていると、羊はさらに言い募る。


「も、もちろん、お礼も御用意します。我々羊は、このあたりでは珍しいようで、この毛で作った糸は貴重なものとしてやり取りされているのです。絹や麻などと違って温かいですから、お使いになるにも、交換するにもお役に立てると思います」


 そんな話をしていると、「ただいま」ともう一匹の羊が入ってきた。目の前の羊は黄みの強いクリーム色だが、入口から入ってきた羊は白っぽい色をしていて、父羊と同じように、頬かむりをして袖のある貫頭衣を纏っている。

 背には竹籠を背負っていて、その中に緑の草が見え隠れしている。


「妻です。子の病状を少しでも軽くしたくて、薬草を取りに行っていたのです。」

「あら、どなた?」


 奥さんが言うと、竹籠を受け取りながら、旦那さんのほうが嬉しそうに微笑み、蓮華姫の件からの事情を説明する。


 話しぶりを聞いていると、やはり、どうにも盛られているような気がしてならない。旦那さんの言いぶりでは、私がまるで名探偵のようではないか。


 遮って否定しようかと思っていたら、


「まあ、そんな方がこの家に?」


と奥さんは大きな目を丸くキラキラさせて私を見た。

……手遅れだった。


「話を聞いていただいていたんだ。宿や衣服、毛糸と引き換えに、泉を探して貰えないかって」


 旦那さんも期待を込めて私を見つめる。


 まだ引き受けると決めたわけではないんだけど……と居心地の悪い思いをしていると、ふと旦那さんが持つ籠の中の草が目に入る。


「あれ、この草……」


 竹籠の中に入っていたのは、先日、蓮華畑の犯人の畑で見た雑草のように見える。


「これが薬草ですか?」


 あのとき、犯人は役に立たない雑草だと引っこ抜いて打ち捨てていたような気がする。

 不思議に思っていると、羊夫婦が


「この近くにある川の畔でしか取れないのです。不思議なことに他のところで同じ草を摘んでも、体力が回復するような力が得られないのですよ」

「この薬草があるから私達はこの辺りに住むことにしたのです」


と言った。


「不思議ですね。その川の側でないと取れない薬草ですか……」


 私がそう呟いて、薬草をしげしげ見ていると、旦那さんがニコリと微笑む。


「興味がおありでしたら行ってみますか?たくさん生えているので、摘んで煎じてご用意しましょう。疲れたときに重宝するのですよ」


 温泉探しを断られる気配を感じ取って、時間稼ぎでもしようとしているのかもしれない。


 少し迷ったものの、私もひとまず返答を先送りにし、小さく頷いてお言葉に甘えて連れて行ってもらうことにした。

 その川のそばでしか取れない、というところが少し引っかかったのだ。


 連れられて行った先には、なんの変哲もない川があった。川幅は広めで、キレイに透き通った水の中で、緑の藻が青々と川の流れに揺られている。


「どの範囲で薬草が取れるのですか?」


 川岸を見渡すと、川に沿う形で先程の薬草がその他の草花に混じって点々と生えているのが見える。


「遠くまで行くことはないですが、見える範囲で川に沿って生えているものには効果があるようです」

「見える範囲全部ですか。」


 驚いていると、旦那さんはふふっと笑う。


「この薬草よりは効果が落ちますが、この辺の他の草花にも多少回復効果があるようです。毒草もあるので、決まったものしか摘みませんが」


 草そのものに薬効があるわけではなく、このあたりの草には大なり小なり薬効があるのか。


「川辺から離れると、効果はなくなるんですよね」

「ええ。あの辺りのものも摘んでみたのですが、効果はありませんでしたね」


 指さされたほうを見るが、見た感じは全く同じ草が同じように生えている。


「では、川に薬効の成分が含まれているのかもしれませんね。調べてみたことは? もしくはそういう話を聞いたことがあるとか」


 私がそう言うと、旦那さんは目を瞬いた。


「そんなこと、考えたこともありませんでした……それに、川の水を飲むこともありますが、体力が回復したということはありません」


 川の水では回復しないのか。

 でも、川にそって薬草が生え、同じ草でも川から離れれば効果が無いのであれば、川に秘密があると考えた方が自然だろうと思うんだけど。


 例えば、川の水から養分が滲み出し、それを吸い取って育つ草に薬効成分が溜まっていっている、とか。

 もしくは、川か川の側の土にだけ含まれる特別な養分を得た草が薬効を生み出しているか。


 そして、教えてもらった薬草は、養分をよく蓄える性質があるのかもしれない。


 まあ、すべて仮説の積み上げでしかないけれど。


 そう思いながら、さらに思考を巡らせる。


 川に含まれる薬効は何処から来ているのだろう。

 良い例ではないが、山から流れた水に工場から流れ出る汚染水が加わって、下流の川に影響を及ぼすように、何処かに原因となる場所があるのではないだろうか。


 そもそも、源流に薬効があるという可能性もある。


 川は、山全体に降り注ぐ雨が集まって湧き水になり川の元となる水源を生み出す。さらに流れていくたび他方からの水が加わり、水流を増し大きな川となっていく。


 この川の水を飲んだところで回復効果は無かったとしても、ただ多量の水に薄められているだけで、実は回復成分が少量含まれている、ということはないだろうか。


 そしてその付近に生えるこの草が、川の回復効果の高い成分を養分として吸い取って育っているのだとしたらどうだろう。


 もしそうだとすれば、上流の何処かに、薬効成分がかなり高い場所があっても不思議ではない。


 例えば、羊の親子が探し求める温泉のような。


 かなり大雑把な仮説で、希望的観測ではあるものの、全くないとは言い切れない気がする。


……探してみる?


 なんとなく仮説まで立ったものを、確かめずにそのままにするのは気持ちが悪い。


 地道ではあるが、それらしい事柄から仮説が立っているのだから、少しずつ検証してみたい、という気持ちが湧いてくる。


 羊の夫婦が求めているものにたどり着けるかどうかはわからないけど。


 とりあえず、調べてみるか。

 まあ、本当にやることないし。


 私はそう思い、旦那さんを見る。

 変に期待させてガッカリさせては困るから、こっそり調べたいところだけれど、協力してもらったほうが早そうだ。


「まだ仮説の段階ですが、少し調べてみたい事ができました。協力してもらえますか?」


 私が問いかけると、


「それは、温泉につながることなのですか?」


と旦那さんが期待に目を輝かせる。


「まだわかりません。でも、手がかりがない以上、細い可能性でも辿ってみたほうがよいと思うのです。ダメならまた手がかりを探せばいいです」


 私がそう言うと、旦那さんは小さく頷いた。


「この川の上流はどうなっているかわかりますか?川の途中に変わったものがあるか、とか源流が何処にあるか、とか」


 私が川の上流を指差すと、旦那さんも同じように上流へ目を向けたあと、静かに首を振る。


「源流まで行ったことはありませんが、いくつかの支流が交わり、この川に合流しているようです。その途中に変わったものがあるかどうかまでは……以前歩いた限りでは見当たりませんでしたが……」

「支流はどこから来ているかわかりますか?」

「あの山と、あの山と、あの山、それからもう少し向こう側にある山から湧き出る水が元になっているようです。」


 旦那さんは、手前にある比較的なだらかな低めの山と、左手奥にある頂上が尖って聳え雪化粧を纏う高く険しい山と、右手奥に見える富士山のように雪をかぶり頂上だけが平らに見える山を指さした。


 ふむ。もしかしたら、陽の気の山が関係あるかもと思ったが、直接繋がっているということはなさそうだ。


 仮説を証明するには、それぞれの支流を遡り、本当に川に沿って回復効果のある草が生えているのか、どの支流に回復効果のある薬草が生えているのかを突き止め、どの山から流れてくる川かを突き止めなければならない。


 支流と山を突き止めた上で、源流目指して遡り、大元を調べる必要がある。


 私が考え込んでいると、旦那さんはふと何かに気づいたように空を見上げた。


「ああ、月が上り始めましたね。一度家に戻りましょう」


 旦那さんが指差すと、確かに空の色に似た月が、山の少し上に出ていた。


 紙人形は、いつものように私の肩に乗りながら、静かに私達の会話を窺っていた。

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