第5話 羊の依頼
蓮華の園をお暇したはいいものの、私は途方に暮れていた。
行くところもなければ、目的もない。おまけに帰る家もない。蓮華の園の主の所には織物や茶器があったから、村や町くらいあるかと思ったけれど、行けども行けども、山と森と竹林と草原。
どういうわけか食事をしなくても何ともないので、飲み食いに困ることはないのだが、正直、もう野宿は限界だ。
何もないところでは寝られないので、洞穴や木の洞を見つけては、潜り込んで寝ていたが、地面の上で眠るので体は痛いし、体は汚れるし、洞穴とはいえ当たり前だがドアはないので一部が開けていて何かが飛び込んできそうでとても怖い。そして寒い。
全然ゆっくりできない。
屋根と壁のある家で、ゆっくりお風呂に浸かって、フカフカの暖かい布団で寝りたい。そんな当たり前が遠くて遠くて、泣きたくなる。
でも、黙っていてそんな生活が手に入るわけがない。蓮華の園の主も蓮華泥棒も、煉瓦や木造建築の家になど住んでいなかった。
つまり、自然を利用したサバイバルな家を自分で作るしかないのだろう。
小物類をどうやって手に入れたのかがわからないが……
ある程度歩いてきてしまったので、蓮華の園に戻るわけにも行かない。どこかで誰か見つけたら話を聞いてみるしかなさそうだ。
兎にも角にも、ひとまず私は、居心地が良くて暮らしやすい拠点を作ろうと決意したのだった。
人の世界にいた頃は、山だろうが森だろうが、必ず持ち主がいたがこの世界は大丈夫だろうか、と頭を過ぎったが、わからないものは仕方がない。見つかって叱られたら謝って撤収すればいいと割り切ることにした。
怖い妖が出てきませんように。
それにしても、何故あの女性にいろいろ聞いてこなかったのだろうか。
私は自分を呪いながら、ひとまず拠点を構えるため、川を探して彷徨い歩くことにした。
風呂には水が必要だ。
ちなみに、当たり前のような顔で私にくっついている紙人形には、何を訪ねても無駄だった。全く役に立たない。
私はそれから、ひとまず当てもなく一方向に向かって進んでいたのだが、歩けども歩けども、川は見つからない。何日歩いても見つからないなんて、私は川に並行に歩いているのでは、と不安になって方向を変えてみたりもしたが、やはり見つからない。
そんなこんなで彷徨い歩き、実に数日が過ぎ去っていた。
大きな木の幹に体を預けて座り込む。
はあ、と息をついて周囲に耳をすませると、鳥の鳴き声がピチチチと響く。風が木の葉を揺する音も聞こえてくる。
疲れたなと、自然に身を任せてボーっとする。
私、何してるんだろう。というか、何で私はこんな世界に来ちゃったんだろう……
そんな事をぼんやり考えながら、うとうとし始めたころ、不意に、サァーという川の流れがかすかに聞こえた気がした。
私はガバっと体を起こす。
肩に座っていた紙人形がふらっとバランスを崩したが、それどころではない。
もう一度、息を殺して耳を澄ませる。すると、やはり川の流れのような音が聞こえた。
川だ!
そう思って立ち上がる。
それと同時に、ふと背後から視線を感じて、私は動きを止めた。
そろりそろりと、背後に視線を向ける。
頬かむりをし、袖のある貫頭衣を来た怪しげな動物が木の陰からじっとこちらをみていた。
怖っ! 何?!
一瞬、目が合ったような気もしたが、ツイっと目をそらす。
見なかったことにしよう。川へ行こう。
背後に警戒しながら無視して歩き始めると、すぐに背後から、パタパタパタと足音が迫ってくるのが聞こえてきた。
追いかけられると逃げたくなる。何もしていなくても、なんの心当たりもなくても、だ。
私は後ろを振り返ることもなく、バッと駆け出した。
ひとまず相手を巻くように、くねくね曲がりながら、障害物を回り込みながら走り続ける。森の中をとにかくひたすら走り抜けていったのだが、どこまで行っても足音はついてくる。
もう息が切れて限界だ、と思い始めたところで、
「ま……っ待ってください! お願いします!」
と後ろからドカっと飛びかかられた。
私は頬かむりの何者かと一緒に倒れ込む。
紙人形だけはひらっと優雅に飛び降り、キレイに地面に着地した。
痛た……と腰をさすりながら座り込むと、そこには、頬かむりが取れてフワフワの毛が剥き出しになった羊が同じように地面に座りこんでいた。
うわーー、かわいい。
思わず、もふもふしたくなる。
しかし、無意識に手を伸ばして触れようとしたところで、羊がビクっと体を震わせ、そのまま勢いよく土下座した。
「申し訳ございません!」
「え、え……?」
私が戸惑っていると、羊は更に頭を低くして謝罪する。
「どうしてもお話を聞いていただきたく、無茶を致しました。御無礼をお許しください。どうか!」
これ程平身低頭で謝られると、こちらが困惑する。
「ええと、怪我は特にしていませんから大丈夫ですよ」
と言うしかない。
すると、羊は少しホッとしたように頭を上げた。それでもまだ緊張しているのか、顔が強張っている。
「お話を聞いていただきたく、貴方様をお探ししていたのです。」
「……はい?……話?」
見ず知らずの羊がいったい何の用があるというのだろう。どんな繋がりがあって私に声がかかったのかがサッパリわからない。
「はい。探しものをお願いできないかとご相談したかったのです。」
「……え……私に……?」
戸惑っていると、羊は小さく頷いて話を続ける。
「蓮華姫から聞いたのです。蓮華姫の園を荒らした犯人を突き止めたのは貴方様でしょう? 紙人形を連れた銀色の兎だったと聞きました。」
蓮華姫?
と思ったのだが、話の流れから考えるに、あの園の女性のことを指しているのだろう。
羊が言うには、彼女から事件のあらましについて話を聞き、もし私に出逢うことができたら、自分達がどうしても見つけられなかった物を見つけてもらえるかもしれないと思ったそうだ。
そして、蓮華の園からの帰り道、運命的にも私達を見つけたのだという。蓮華姫の話の主に違いないと追いかけて声をかけたらしい。
「逢えたらいいなとは思っていましたが、まさかこんなに早くお逢いできるとは思いませんでした。それに、どのような方かと心配していたのですが、とても度量の大きな御方で、安心致しました」
羊が緊張していた顔を緩めて、嬉しそうに微笑む。同時に期待に満ちた瞳をキラキラとさせながら見つめられ、私はうっと一歩引いてしまった。
蓮華姫が一体どのように話を盛ったのかはわからないが、期待の目を向けられても困ってしまう。
蓮華畑の件は、本当に大した事はしていないのだ。何となくうまく行っただけで、同じような状況に遭遇したとしても、次はうまくいく気がしない。
私に探偵の真似事など求められてもこまるのだ。
「いや、あれは本当に私は大した事はしていなくて……」
私がその期待の眼差しから逃れるように身を引き、上手くあしらってその場を去るにはどうしたらいいのかに気を回していると、羊は断られる雰囲気を察したのか、勢いよく私の両腕を掴んだ。
「それでもいいのです。話を聞いていただくだけでも結構ですから! 本当に切実なのです。お願いします!」
つぶらな瞳をうるうるとさせながら懇願するように私を見つめる。
えぇぇ。
「あの、でも、本当にあのときはたまたま上手くいっただけで……お話を聞いたところで私になにかできるとは思いませんし……」
私はその目から努めて視線を逸し、ねっ!と言いながら、腕にある羊の手を外そうと掴む。しかし、先程よりもさらにがっしりと掴まれ、逃すまいという気迫が伝わってくる。
「貴方様しか頼れる方がいないのです。」
いやいや、そんなことないよ。もっと他に頼れる人がいるはずだよ。
身を捩って逃れようとしてみるが、羊は離さない。
「本当に、お話を聞いてもらうだけでいいのです! 何卒!」
羊は必死に言い募り、縋り付くように……というか、もはや私の腰のあたりにしがみついている。さらに目を潤ませて私を見上げてくる。
うぅ……その目はやめて。
兎にも角にも、この体勢から解放してもらいたい。私はグッと息を飲み込む。
「わ、分かりました、分かりましたから!
とりあえず、離してください……!」
私がそう言うと、羊はハッとしたようにその手を離し、その場にペタンと正座で座り込んだ。
「あの、本当に話を聞くだけで終わりかもしれませんよ? 聞いただけで何もわからないかもしれませんよ?」
私は言い聞かせるように言葉を重ねるが、羊はふるふると首を振る。
「それでも結構です。どうか、どうかお願いします!」
もこもこした毛をわずかに揺らしながら必死に頼み込む様子に、これ以上断る言葉を見失った私は、しぶしぶ頷かざるを得なかった。
紙人形が私の肩の上で、短い腕を辛うじて組みながら、何故かイライラしたように自分の腕をトントンとしているが、私は見てみぬ振りをする。
私が引き受けることでこの紙人形が不利益を被ることなどないはずだ。明確な目的がある旅でもない。
それに、喋れない上に、さっきまで傍観してたくせに文句を言わないでほしい。
というか、なんで私に付いてくるのさ。勝手にどこかに行ったらいいのに。
ひとまず「分かった」と言ってしまった以上、話だけは聞かなければならない。
まず一緒に来てほしい、と歩きだした羊にとぼとぼとした足取りで、着いていくことになった。
「あのー、それで、私に何を?」
「私には息子がいるのですが、重い病にかかってしまったのです。」
聞くと、羊は父親で、妻と息子と三人で暮らしているそうだ。息子は生まれてすぐに病に冒され寝込むことが多かったそうなのだが、それがここ最近になり、特に酷く咳き込むようになり、だんだん体が弱ってきているのだそうだ。どんどん悪化していく病状にほとほと困り果て、色々な噂を辿って、蓮華姫を頼ることにしたのだと言う。
「蓮華姫の蓮華には、ご存知の通り癒やしの力があるので、私や妻の毛を紡いで糸にし、それと交換で蓮華を頂いていたのです。最初の方は蓮華を与えることで徐々に快方に向かっていたのですが、ここのところ、再び病状が悪化し始めて……」
しばらく歩いたところで、羊は足を止めた。
そこは、羊の背丈よりも少し高いススキが薄黄色に広がる茂みだった。
「この奥です」
羊はそう言うと、躊躇いなくススキを掻き分けて入っていく。
チクチクしそうで嫌だな、という思いが少しだけ心にうかんだが、羊がズンズン進んでいくので、私は見失わないように後を追う。
紙人形は私の肩からちゃっかり胸の上あたりに移動してきてピタリとしがみつき、自分の身を守る体勢だ。手で掻き分けていくから、一番ススキが当たりにくい。
ただ、実際に分け入ってみれば、穂のつぶつぶがいくつか体にひっついたくらいで、チクチクすることもなく毛皮が地肌を守ってくれていた。
なるほど、毛皮って重要だね。
ある程度進むと、羊が掻き分けたススキの間にぽっかりと口を開けた穴が現れた。
「私達の住まいです。お客様をお通ししても問題ないか、少しだけ見てきますね。少しお待ちください。」
羊がニコリと笑って穴の中に入っていくと、再び目の前はススキで閉ざされた。
まあ、突然人を家に招くことになると、いろいろ困るよな、片付けとか……でも、ここで待たされるのはちょっと……
ススキ中でそんなことを思っていると、羊がひょこっとススキの間から顔をのぞかせる。
「大丈夫そうです」
というと、ススキを押さえて穴を顕にし、私を穴の中に通した。
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