第10話 トンガリ山の冒険

 まず私の中を巡ったのは、なんとも言えない達成感だった。感動で胸がジンとなり、涙がこぼれそうになる。


 ここまで来るためにいろんな苦労があった。

 死にかけもした。

 やっとゴールにたどり着いたのだ。

 チョロチョロと流れ出る源流が輝いて見える。


 私はそこに両手を差出し、そっと水を汲む。感動でキラキラして見えるその水をぐっと飲み干す。

 すると、疲れた体に染み渡るように体力が回復し、未だ残っていた傷の痛みが少し引く。

 感動的だ。全てが報われたような、満たされた気持ちになる。


 はあ、と息を吐き、空を見あげる。

 

 ……あれ……違くない?


 不意に、違和感が自分の中に湧き上がった。


 源流にたどり着いた喜びで忘れていたけど、そもそも私の目的は源流にたどり着くことではない。


 頭の中に真の目的が浮かび上がった瞬間、あれ程盛り上がっていた感動がスッと鳴りを潜め、私は心底冷静に源流の流れを見つめた。


 チョロチョロ岩の隙間から流れ出る源流には確かに癒しと体力回復効果があった。


 でも、薬湯の温泉は?ここまで来る間に一箇所でも温泉はあっただろうか。


 ……これだけ?


 そんな思いが頭の中を駆け巡る。


 確かに薬効のある水は目の前で流れ続けている。でも、少し飲んだだけでは回復度は少ない。


 だからといって、ここからたくさんの水を汲んで運び出すのは正直厳しい。


 私は来た道程を思い出し、絶対ムリだとその可能性を切り捨てる。


 水を持って帰るよりも自分の身の安全のほうが心配だ。動くのに邪魔にならない程度の水筒1杯分持って帰れればいいほうだと思う。

 帰るのに同じ思いをしなければならないと思うと、持ち運べる量の水では割に合わない。


 こんなに時間をかけて調べ、険しい山を登り、滝で足を滑らせ死ぬ思いまでしたのに……


 涙がでそうだ……


  うぅ、と落ち込みながら、源流の水をもう一度グッと飲む。


 はあーーー、と大きく息をついたあと、陰鬱な気持ちを振り払うように上を見上げる。


 ふと、頂上が目に入った。ここまで来るのにこんなに大変だったのにまだ上があるのか、とぼんやりと思う。よく見ると、先程までは気づかなかったが、頂上から少し降ったあたりに、薄っすらと煙が上がっているように見えた。

 最初、雪煙かな、と思ったのだが、どうやらそうではないらしい。


 あれ、この山、もしや火山なの?

 そう考えたのと同時に、ふとある考えが頭に浮かんだ。


「……あのへん、もしや温泉があったりするんじゃない?」


 思考の一部がふっと独り言として零れ出る。


 ……いやいや、でも、あそこまで登るの?無理だよ。だって、すごい急斜面じゃない。頂上なんて兇器かってくらいだよ。


 まあ、煙出てるのはもうちょっと下だけど……それでも岩肌の間に見えるってことは、険しい道なのは間違いないし。火山なんて怖いし、何よりもうしんどい。


 私は、頭をブルブルと降る。


 止めよやめよ!無理無理。降りよう、山を。


 温泉はちょっと興味あるけど、やっぱりダメでしたっていうのは心苦しいけど、私はもうホッとできる場所でゆっくりしたい!


 ここまで来たのにもったいない、という気持ちは少しよぎるが、私はもう頑張れない。


 よし、と心に決めて立ち上がる。


 が、「帰ろう」といつもは視界の端に映るはずの紙人形に呼びかけようとして、姿がないことに気づいた。自分の体にへばり付いているのかと見まわしてみるがやはりいない。


 周囲に目を向けると、何故か少し離れた木の上に紙人形がぽつんと立っているのが見えた。

 どうやって登ったんだろう、と少し呆れ顔になる。


「おぉーーい、帰るよーー!」


 しかし、私が声をかけると、紙人形はこちらを向いて、首を振った。それから、帰り道とは別の方向へ腕を向ける。


 煙を見つけた方角だ。


「……行くの……?」


 私がうんざりした声を出すと、それが聞こえたのか紙人形は大きく頷いた。


 ぅえぇーー……?


 私は紙人形に視線を留めたまま見なかったふりをしようかな、という思いが一瞬よぎった。


 もうやだよ。

 疲れた。面倒くさい。しんどい。ゆっくりぬくぬくしたい。


 一度、行かないと決めたことで、もう先に進もうという気力がわかない。


「帰ろうよーー!」


 もう一度声をかけるが、紙人形は首を振る。


 困ったなぁ、と思っていると、私があまりに動こうとしないのを見かねたように、ヒョイっと木の幹にしがみついてスルスル降りてきた。


 そばまで来ると私によじ登り、服を引っ張る。


 まあ紙人形に引っ張られたくらいではビクともしないけどね。


「はいはい、ワガママ言わないの。帰るよ。」


 子どもに言い聞かせるように言う。


 もう、引き止められようとなんだろうと、私は帰るのだ。

 踵を返し、源流に背を向ける。後方に上がる煙も無視だ。来た方向にまっすぐ帰る。今日のうちに戻れるところまで戻ろう。


 すると、紙人形は引っ張っていた手をパッと離した。


 諦めたかな、と思い、先を急ごうとしたその途端、紙人形の居たあたりに静電気のようなビリっとした痛みが走った。


「イタっ!」


 思わず声を出して、痛みの原因を確認する。

 しかし、そこには紙人形がいるだけだ。紙で静電気がビリっとしたことなんてないし、このあたりは山と清流のおかげで湿気が多い。


 首をかしげていると、紙人形が自分の手を僅かに光らせて、私の首のあたりに触れようとしているのが目に入った。


「え、なにそれ!? ……イタっ!!」


 紙人形が触れると、ビリっとした痛みが走る。


 唖然と紙人形を見ていると、もう一度自分の手を光らせ始めた。


「ちょ、ちょっと待って!」


 私は慌てて紙人形を手でつかみ、自分の体から引き剥がす。しかし今度は、私の指にビリっと痛みが来る。


「なになに! やめてよ!」


 私がパッと手を離すと、紙人形はひらんと地面に落ちたが、また手を光らせてこちらへ近寄ってっこようとする。


 私は紙人形の突然の攻撃から逃れるようにじりじりと距離をとる。


 会話でコミュニケーションが取れない分、何が起こっているかがわからなくて怖い。別に、すごく痛いというわけではないが、不快は不快だし、痛いのはできるだけ避けたい。


 しかし、紙人形は手を光らせては追いかけてくる。私はダッと駆け出した。


 ついさっきまで上手くやってたじゃん!今までの信頼関係はどこにいったの!?

 なんなの急に!


 わけがわからなすぎて涙目になりながら逃げているうちに、私は源流から大きく離れ、帰り道を見失ってしまっていた。


 空に白い月が昇りはじめる頃、私は息を切らして大きな木に体を預けて座っていた。

 途中から、後ろを振り返ることもなく走ったために、紙人形の姿も見失ってしまった。

 あんなことをする紙人形でも、今までのことを考えると居ないととても心細い。


「相棒だと思ってたのに……」


 ポツリと呟きが溢れる。


 もう、ここが何処かもわからなくなってしまった。たった一人、完全なる迷子である。

 もう泣きたい。


 はぁ……とため息をついていると、目の前に小さな洞穴が見えた。


 今日はあそこで休もう。

 泣きたい気持ちを堪えて、ぐっと立ち上がる。


 その瞬間、ふと視界の端に白いものが映った気がした。

 ばっと振り返ろうと首を動かすと、紙人形が何食わぬ顔で私の肩によじ登ろうとしていたところだった。


 私は、悔しいやら憎らしいやらホッとしたやらで、定まらない複雑な気持ちのまま紙人形を睨んだ。

 衝動的に振り払いたい気持ちが湧いたが、それをぐっと抑え込む。


「なんなの、もぉ。」


 堪えてた涙がぽとりと落ちた。


 私は知らないうちに、随分と紙人形に精神的に依存していたらしい。


 紙人形は驚いたのか、ピタッとその動きを止めて私の顔を見る。


 私はそれにぷいっと顔をそらし、洞窟に向かい、そのまま一晩を過ごした。



 翌朝洞窟を出ると、紙人形が指し示す方向に昨日見た山の煙が見えた。少しだけ近くなったような気がする。


 私が紙人形を見ると、コクコクと頷いている。


 ……つまり、どうしてもあそこに行きたかったってこと?


 私はムッと唇を尖らせる。


 まさか紙人形がこんなやり方で強引にワガママを通すとは思わなかった。

 暴力に物を言わすなんて、キチンとした教育が必要なのではなかろうか。


 私がブツブツ文句を言っているのに、紙人形は私の肩で我関せずといった雰囲気で満足そうに座っているように見えた。


 あんなことがあった後で、紙人形の思い通りにするのは心底癪だが、もう帰り道もわからなくなってしまったので、仕方なく煙の上がる場所を目指して進む。


 木々が生い茂る中をずっと進んでいたのだが、しばらく進むと開けた草原のような場所に出た。


 その更に先にはさほど高くない崖があり、崖を登りきったところに少し平らな面が見える。しかし、その背後には更に上に伸びる崖がある。


 煙が上がっているのは、その直線上だ。


 最初に見たときには気づかなかったが、複数箇所の煙がモヤモヤと合わさり山の一部から立ち上がっている。


 ただ、この二段の崖を登ってみないことには、ここからどのように繋がっているかは見えない。


 この崖を登るのか……

 無理じゃない?


 私は崖の前で立ちつくす。

 チラッと紙人形を見ると、紙人形は私に向かって大きく頷いた。


 登れと……


 ひとまず、崖の真下に行き岩肌に触れてみる。

 思ったよりゴツゴツしていて、足場になりそうなところはいくつかありそうだけど……

 この軽い体なら登れるだろうか?


 ……でもまあ、試してみて無理なら紙人形も諦めてくれるだろう。


 私は登れそうなルートを見定めた上で、一歩一歩、ゆっくりと手足を動かしていく。


 一段目の崖はそれほど高くなかったこともあり、なんとか登り切ることができた。


 とはいえ、途中で2度ほど足を滑らせて、鋭い岩肌で足に傷を作ったし、腕の一部に擦り傷も作ったし、さらに登り終えたところで腕も足もガクガクする。気持ちの上では、もはや満身創痍だ。


 私は一段目の崖の上でよつん這いの状態で二段目の崖を見上げて絶望した。今登ってきた崖の倍ある。


 そのままペタンと座り込み、しばらく崖を見つめたまま途方にくれた。

 今の崖で手も足も限界なのに、登れるわけがない。


 私は崖から目をそらし、いったん現実逃避を決める。

 低い崖を登っただけなので、大した景色はみえないのだが、登ってきた崖の向こうを見つめ心を無にして「いい景色だなー」と呟いてみる。


 あーあ、帰りたい。


 心の中では羊の家を思い出して本音が漏れた。


 その時、本当に突然、ふっと背中の籠が上に強く引っ張られる感触がしてバランスを崩し、体ごと地面を向いた。


「へゎっ!?」


 間抜けな声が出た頃には、籠の紐で宙づりにされ、足が地面から離れていることに気づく。


 えぇっ!?


 何事かとあわあわしている間にも、地面はどんどん遠くなる。グングン上に吊り上げられていく恐怖に慄きつつ、かなり不安定な命綱となっている肩紐を必死に握りしめて見上げると、そこには大きな翼を広げる鳥が鉤爪で籠を鷲掴みにしているのが目に入った。


 か、紙人形は!?


 姿を探すと、私の肩にしがみついてバタバタはためいているのが目に入る。


「ちゃんと捕まって!」


と呼びかけると、紙人形は頷いて風の抵抗を避けられるところまでなんとか移動した。


 その間にも、大きな鳥はどんどん高度を上げていく。登るのは無理だと思っていた崖を軽く越え、その先に広がる鬱蒼とした森を下に見ながら飛びつづける。


 籠を掴んだ鉤爪といい、先が折れ曲がった嘴といい、恐らく猛禽類の類いだと想像がついて私は青ざめる。このまま巣へ運ばれたら、喰われるのではないだろうか。

 か弱い兎の身が、鋭い嘴で肉を啄まれていく様を想像して震え上がる。


 幸いなことに、自分自身をつかまれているわけではなく、籠に吊り上げられているだけだ。

 肩紐を離して抜け出れば逃げることはできる。


 高度を下げたタイミングか、下に飛び降りても安全な場所さえあれば逃げられるはず。


 そのはずなんだけど……


 鳥は全然高度を下げないし、森を通り抜けたと思ったら、ゴツゴツした岩肌がむき出しの場所へ出てしまった。全く飛び降りるタイミングが訪れない。


 巣まで運ばれたら終わりだ。その前に逃げ出したい。私はじりじりした思いで鳥が向かう先を見つめる。


 徐々に、目指していた煙が立ち上る場所が近づいてくる。ところどころから立ち上っているのは噴気のようだ。噴気の周りは何もない岩肌が続く。


 鳥が噴気が上る場所を迂回しようとした時、

 ふと、前方に湖が見えた。


 それほど広くはないが、木々に囲まれ、更にその周りを岩壁が取り囲むカルデラのような場所だ。地面にぽっかり穴が空いたように見える。


 鳥は一直線にその上を通り抜けようとしている。


 一か八か、今しかない、と思った。


 あとから思えば、一歩間違えば岩壁や地面に激突、泉も含め周囲に有害物質があれば毒に息絶えるか皮膚を焼かれ、浅い泉であれば湖底に激突、100度に近い熱湯であれば大火傷を追う可能性もある危険づくしの大変命がけの行為である。


 でも、その時の私は、鳥から逃げ出すことしか頭になかった。


 泉の真上に差し掛かった瞬間、


「飛び込む!」


と紙人形と自分自身に叫び、籠の紐から手を離し、スルッと腕を引き抜いた。


 フワっと一瞬内臓が持ち上がるような浮遊感が襲い、そのまま勢いよく落下する。周囲で空気が煩く通り過ぎ、あまりの恐怖に声も出せない。一瞬が永遠にも思えるような時が過ぎ、私は泉の中にザバンと落ちた。


 プハっと泉から顔を出すと、籠を掴んだままの鳥が崖の向こうに姿を消すところだった。


 私は自分の周りを見渡して、紙人形がそばにいるかを確認する。


 すぐに私にしがみついたままプカプカしている姿が目に入りほっとする。水に濡れているのに、ふやけることもなく、いつものままの姿なのが不思議だったが、まずは陸に上がることを優先する。


 泉の水は温かい。温泉水だ。熱すぎず、適度な温度だ。


 ふう、と陸地に上がって周囲を確認する。

 上空から見た通り、泉の周りには木々が生え、その向こう側には切り立った崖がみえた。


 とりあえず、木立の中に入り上空から身を隠し、ようやくほっと息を吐いた。


 落ち着きを取り戻してからようやく気づいたのだが、不思議なことに、使ったはずの体力が完全に回復している。


 ……おやおや? この温泉は……もしや?


 私は紙人形と顔を見合わせる。


 紙人形は、鳥に捕まる前の滝登りや崖登りで作った足や腕の傷を指し示す。

 命の危機に忘れていたが、見るときれいに治っていた。


 病気に効くかどうかはわからないが、多分間違いない。探していた薬湯の温泉だ。


「やっったぁーーーー!」


 私は、万感の思いを込めてそう叫んだ。

 直後、声が反響してこだまが返り、小鳥が一斉にバサバサ羽ばたき、私は慌てて口を塞いだ。

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