第35話 烏天狗の山

 私は今、人の姿で烏天狗の一人に抱えられ、空を運ばれている。隣には宇柳が飛び、周りを別の烏天狗に固められている。


 まるで連行される犯罪者のようだ。

 まあ、領空侵犯の罪を犯しているので間違ってはいないが……


 あの後、減刑を願うのに偉い人に目通りする必要があるから着いてこいと言われ、黒い集団に取り囲まれる私達を心配そうに見つめる羊夫婦に事情を説明して、私たちは早々に家を飛び立つことになった。


 烏天狗がどういう者たちかはわからないが、朝廷とは別の支配領域を持つ者たちだということは、なんとなく話の流れから理解した。


 幻妖京も未知の領域ではあったが、頼れる者がいないという意味では更に不安な場所に連れて行かれていることになる。


 烏天狗に抱えられた私の隣に並んで飛びつつ、宇柳はなんとも情けない声を出した。


「申し訳ありません、白月様……」

「知らなかったものは仕方ないよ。許してもらえるようにお願いしよう」


 私がそう言うと、宇柳はますます情けない顔つきになる。


「璃耀様が近くにいたら、"大人しく目玉を差し出せ" と言われているところでした。この件を無事に乗り越えても、帰ってから無事に済まされるとは思えません」


 私は、そんなことない、と言おうとして口籠る。璃耀が宇柳を責める様子を想像できてしまったからだ。


「……内緒にしておこう」


 私がそう言うと、宇柳は力なく


「すみません……」


と呟いた。


 烏天狗達が下降を始めたのはそれから程なくしてからだった。

 薬湯の温泉を出てからあまり時間は経っていない。山を3つほど越えたあたりだ。

 険しい岩山の中腹に降り立つと、そこは石窟が無数にある不思議な場所だった。


 ぱっと見た限りでは、穴の一つひとつが部屋や家のようになっているのか、はしゃぐ子どもや盥を抱えた女性物の着物を着た者、作務衣姿の者などが崖の下の方を飛び交い、逆に上の方は、畏まった着物姿の者や、私達を連れてきた者たちのように武装した者が行き交っているように見受けられる。


 まるでオフィス一体型の大型マンションだ。


 私達は崖の比較的上のあたりにある、そのうちの1つに降ろされた。穴の少し奥に襖が設置されていて、そこを開くと広めの畳の座敷になっている。


「首領に目通り叶うまで、ここで待て。見張りはつけさせてもらうぞ」


 烏天狗の一人が指示を出すと、私と宇柳は別の者に座敷の方に押しやられ、襖の両側に薙刀を持った者がニ名立った。


 私一人では、見張りが居ようが居なかろうが、穴から出れば地面に真っ逆さまに落ちるだけなので逃げることはできない。そういう意味では、翼を持たない者に対しては、ここは自然の牢獄と言える。

 今は宇柳がいるので逃げようと思えば逃げられるのかもしれないが、それを危惧してのニ名の見張りなのだろう。


 立っていても仕方がないので、私達は畳の上に座り込む。

 ただ、直ぐ側に見張りがいるため不用意に話をするわけにもいかず、私達は言葉少なに結構な時間をただただ座って過ごすことになった。


 烏天狗達から声がかかったのは、日が沈みかけた頃のことだった。


 私達は再び外に連れ出され、最上部に位置する一つの穴に降ろされた。


 今まで私達がいた部屋と異なり、中が廊下のようになっていて、左右に襖が並んでいる。どうやら複数の部屋があるようだ。

 私達はその突き当たり、最奥の部屋に連れて行かれた。


 中に入ると、こちらも座敷になっていて、机がいくつか置かれて書類が積まれている。どうやら執務室のようだ。


 そのさらに最奥には、一段高く畳の積まれた場所があり、厳しい顔つきの壮年の男性が一人座っていた。座している位置や服装、周囲の動きから見るに、恐らく、私達が目通りすべき、首領その人なのだろう。


 私と宇柳は緊張の面持ちで首領の前に座らされた。左右には書記のような者たちが控えていて、裁判の様相だ。


「話は聞いている。我等が領空を通り抜けた梟はどちらだ」


 首領のよく響く低い声に、宇柳はビクっと体を震わせ、第一声を裏返らせる。


「は、はい、私です」


 宇柳の返答を受けて、首領は今度は私に目を向ける。


「では、そちらが梟の上役である兎か」

「……はい」


 別に組織に属しているわけではないので、上役と言われると少し違う気もするが、余計なことは言わずにそのまま返答する。


「では、其方らの申開きを聞こう」


 首領がトントンと机を指で叩いた。

 それを、発言許可の合図と受け取る。


「では、私からご説明します」


 私は、宇柳が京からの使いで私のところに来たこと、その際、知らずに烏天狗の領空を通ってしまった事を説明していく。


 事前に報告書が上がっていたのか、首領は手元の紙を見ながら私の説明を聞いている。


 時折、私達を見定めるように、厳しい視線が投げかけられた。


「知らなかったこととはいえ、領空を通ってしまったこと、深くお詫び申し上げます。ただ、体の一部を差し出す事は、どうか御容赦いただけないでしょうか」


 私が頭を下げると、宇柳もそれに合わせて頭を下げる。


「ふむ。部下の為に直訴し頭を共に下げるのだから、良い上役を得たことを感謝せねばならぬな、梟」

「は、はい」


 首領が感心したように言うと、宇柳が頭を下げたまま緊張した声音で返事をした。


「……では、お許し頂けるのでしょうか?」


 私が僅かに顔を上げて問いかけると、首領は片眉を上げて私を見た。


「我等に敵意が無いことを示せれば、体の一部を差し出さずともそれで良い。」

「……ええっと……それは、どのように……?」


 首領は考えるように顎に手を当てる。


「……部下の為に直訴しに来るような者はほとんど居らぬから、たいてい体の一部を差し出させることで解決するのだが……」


 ……え?

 妖世界では、それが普通ってこと? 誰も助けに来てあげないの? 酷すぎない?


 宇柳が、璃耀に知られたら目玉を差し出せと言われると慄いていたが、そちらが普通とは思いもしなかった。


 私が唖然としていると、首領は一つ思いついたかのように、すっと腕を上げ、私と宇柳を指し示した。


「其方らの何れかが捕虜となりこの地に尽くすか、嫁入りか婿入りをしてくるでも良い。」

「……は……はい? ……嫁入り……?」


 思いもしなかった突飛な発言に、私は目を瞬く。


 そういえば、この世界に来て兎になってから、恋愛や結婚などという話が自分の身に起こり得るなど、考えてもみなかった。まさかこんなところで嫁入りなどという言葉を聞くことになろうとは。


 それにしても、妖同士の婚姻の場合、種族のようなものは関係ないのだろうか……


「あの、私は兎ですし、彼は梟なんですが、烏天狗のどなたかとの婚姻は可能なんですか?」


 私が純粋に気になった疑問をそのまま口にすると、私が嫁入りを考慮し始めたと思ったのか、宇柳が血相を変えてこちらを見た。


「嫁入りなど絶対にダメです! そんな事を許したとあっては、私が殺されてしまいます! 目玉を差し出した方がマシです!」


 悲鳴に近い叫びに、烏天狗達の目が一斉に宇柳に向く。


「では、其方が婿に来るか? それとも目玉を差し出すか?」

「そ、それは……」


 宇柳は俯いて口籠る。


「……あの、無理は承知なのですが、他に手立てはないでしょうか……」


 青ざめたままの宇柳を横目に、代替案の可能性を尋ねるが、首領は首を横に振る。


「それすらできぬのであれば、もっと上を呼んでこい。其方らでは話にならん。朝廷の上位の者が直接謝罪に来るのであれば受け入れよう。……まあ、どうせ来ぬであろうが」


 最後に付け加えられた言葉が、今まで捕らえられた者たちの末路を物語っている。


 でも、私には朝廷の上位者と言われて協力してくれそうな人物に心当たりがある。

 むしろ、その人物からの任務の途中で巻き込まれた事件だ。助けてもらってばかりで申し訳ないが、口添えくらいはしてもらいたい。


「あの、帝の弟である翠雨様からの任務の途中で、彼はこちらの領空を通過してしまったようなのです。翠雨様からの使者であれば、許していただけるでしょうか?」


 私が尋ねると、宇柳はバッと顔を上げる。


「白月様、それは、その……全てをお話するということですか……?」

「だって、それ以外に方法はないでしょう? 宇柳が婿入りするにしても、今回のことは隠し通せないだろうし」


 宇柳はこれまで以上に顔色を失い口をあんぐり開けたまま固まってしまった。でも、嫁ぐのも体の一部を差し出すのも避けるには、これが一番穏便な方法だと思う。


 自分達でなんとか出来るならば隠し通せる可能性もあったが、こうなっては仕方ない。


「全部終わったら一緒に謝ろう」


 私がそう言うと、宇柳は真っ青な顔のまま項垂れて小さく頷いた。


「それで、如何でしょうか?」

「相応の地位のある使者が、きちんと帝の弟直筆の書状でも持ってくれば、許してやろう」


 首領はようやく首を縦に振る。


「では、早速使いを出そう。空を飛べる者の方が都合が良い。梟と共にこちらの使いを向かわせる。梟は、翠雨とやらに取り次げ。兎はここで待機していろ」


 ……え、また人質……?


 それに、宇柳が取次というのも少し気がかりだ。


 大丈夫だと思いたいが、効率主義者のカミちゃんが、宇柳の為に動いてくれるだろうか、という懸念がある。

 体の一部を差し出せと言い出したら、カミちゃんと璃耀を止めてくれる人は居ただろうか……


「あの、この宇柳を京に向わせ、私がここに残るのは承知しました。ただ、ニつ、お願いがあります」

「なんだ、聞くだけ聞いてやる。言ってみろ」

「一つは、この宇柳に手紙をもたせたいのです。中身は確認頂いても構いせん。私からも翠雨様にお願いしたいのです」


 実は私は、羊家族の家にいる間に夫妻に教えてもらい、簡単なものであれば文章を書けるまでになっている。腕の見せ所だ。


 私の願いに、首領はひとつ頷く。


「妙な小細工をしないと約束するならば良いだろう。中身は確認させてもらうぞ」

「はい」


 良かった。役に立つかはわからないが、一応、口添えだけは出来そうだ。宇柳の為にもしっかりお願いしておかなくては。


「もう一つはなんだ?」


 もう一つの方はかなり重要だ。


「はい。今回、宇柳は秘密裏に私のもとへ使いに来ました。どうか、私がここにいることは翠雨様以外の者には明かさないでもらえないでしょうか」


 私の言葉に、首領は少しだけ眉根を寄せる。


「其方、妙な問題を抱えているのではあるまいな?厄介事に巻き込まれるのはごめんだぞ」


 ……抱えてますね。言わないけど。


 私が何も言わずにニコリと笑って見せると、首領は訝しげな視線をこちらに向けた。

 しかし、すぐに軽く手を振ってみせる。


「まあ、良い。このまま解放するわけにもいかぬし、手早く終わらせれば済むことだ。さっさと準備せよ」


 首領の言葉に、周囲の者たちが即座に行動を開始した。



 私はその場で紙をもらい、筆を借りてカミちゃん宛に手紙を書いた。


 詳しい説明は宇柳と使いの烏天狗に任せつつ、迷惑をかけることへの謝罪と、私達だけでは対処が難しいので書状と使者の派遣に協力してほしいこと、知らなかったことなので宇柳を責めることなく許してほしいことを記載した。

 最後に、私の無事を伝え、皆を助けてくれたお礼と、これからも守ってあげてほしいとお願いする旨も烏天狗に読まれて不自然にならない程度に記載した。


 それから、この書状は直接カミちゃんにだけ渡すように使いの烏天狗に念を押してお願いした。


 書状を渡すと、受け取った烏天狗は不審な点がないかを隅々まで確認してから一つ頷いた。


「一応、書状では謝っておいたし、宇柳を責めないでほしいって書いておいたけど、相手はカミちゃんと璃耀だから、何かあったら周りに助けを求めてね。」


 烏天狗との出立準備を整えた宇柳に、私が何の助けにも励ましにもならないアドバイスを送ると、宇柳は蒼白な顔のまま、縋るように私を見た。

 でも、今回ばかりは宇柳に帰ってもらわないと困るし、間に入ってあげることもできない。


「いくらあの二人でも、そんなに酷いことはしないよ、大丈夫」


 私が気休めにそう言うと、絶望したように項垂れ、烏天狗に急かされるように飛び立っていった。


 可哀想ではあるが、無事を祈るしかない。



 さて。私は再び、先程までいた部屋に逆戻りだ。


 宇柳がどれ位で帰ってくるかはわからないが、使者と共にカミちゃんの書状が来るまでは一人軟禁状態である。


 ただ、思い出したくもないが、前に捕らえられた時と比べれば天地の差がある。


 座敷に閉じ込められてはいるが、縛られることもなく部屋の中では自由がきく環境だし、烏天狗の皆さんは、今までのやり取りを見るに、話せばわかる者達だ。


 最悪、カミちゃんが協力してくれなかったとしても、拷問や命を取られる心配は恐らくいらない。知らん土地で知らん者に嫁ぐのは勇気がいるが、最終手段で嫁入りという選択肢も残っている。

 有無を言わさず処刑されそうになったあの時と比べれば随分平和な方法だ。


 さらに、宇柳が来て皆の無事を知らせてくれたおかげで、心のつかえが取れて心にゆとりも生まれている。


 そう言うわけで、私は何もない座敷で、のんびりゆったりと宇柳の帰りを待つことになった。


 平穏なのは良いことだ。

 外の空気が吸いたいとお願いし、少しだけ襖を開けさせてもらって外を飛び交う烏天狗達を眺めて過ごす。


 日がな一日、そうやってゆったり過ごすのは本当に気持ちがいい。


 しかし、そんな時間はあまり長くは続かなかった。


 …………暇。


 宇柳が旅立ってから丸一日が経つ頃には、私は完全に暇を持て余していた。


 襖の隙間から外を眺めるにも限界がある。本当に何もない部屋で、話相手もいない。居るのは見張りをしている烏天狗だけだ。


 ……この人は暇じゃないのかな……?


 私はぼうっとお兄さんを眺めながら、暇つぶしの方法を考える。


 ……というか、どうせ暇同士だし、烏天狗のお兄さんは私を見張るのがお仕事なんだから、一緒に何かゲームでもしてくれないかな……

 カードゲームとかボードゲームとかがあると良い暇つぶしになりそうなんだけど……


 とはいえ、流石の私でも、この妖世界に私が知っているようなゲームがあるとは思っていない。


 ルールが単純で初心者にもわかりやすくて、さらに手に入りやすい材料で簡単に作れたりするものはなかっただろうか。


 私は、覚えているテーブルゲームをいくつか頭に思い浮かべる。


 この世界は、紙はあるが厚紙は見たことがない。トランプやウノは難しそうだ。

 双六も、サイコロやルーレットがすぐには用意できない。

 将棋やチェスはルールがあやふやで私が理解できていないし……


 と考えたところで、一つ、簡単にできそうな遊びを思いついた。出来るかどうかはわからないが、工夫すれば多分大丈夫だと思う。


 私は早速見張りの烏天狗に声をかける。


「お兄さん、お兄さん、紙を少しもらえませんか?」


 私が唐突に話しかけると、烏天狗は訝しげな目を私に向けた。


「紙など何に使うのだ。どこぞに書状など、妙な真似はさせぬぞ」

「違います。暇なので、お兄さんとゲームでもしようと思って」


 烏天狗は更に不可解な顔になり眉を顰める。


「げえむ、とはなんだ。」


 ……あ、ゲームが通じてない。あれ、ゲームって何ていうんだっけ……遊戯? なんか違う……えーっと……


「……遊びです。私とお兄さんで、遊びながら勝負をしましょう。」

「遊び? 私は仕事中だぞ」


 烏天狗は、呆れたような目線を私に向ける。でも私は諦めない。どこにも行けず、やることもなく、話相手も居ないまま、何日も閉じ込められるのでは辛すぎる。


「でも、ずっとそうやって立っていて暇じゃないですか? 私は暇です。お兄さんは、私をここから出さない事がお役目でしょう。つまり、私から目を離さなければいいわけですよね?」

「……それはそうだが……」


 お兄さんは警戒感も顕に私を見る。


 私はそれにも怯まず、両手を胸の前で組み、目をウルウルさせてお兄さんを見つめてみる。


「ここに何日も閉じ込められているだけでは暇なのです。子ども一人質となって、こんな何もない部屋に閉じ込められているのを少しでも憐れと思ってくださるなら、どうか相手をしてください。」


 すると、お兄さんがウッと一歩引いたのが分かった。


 どうやら、効き目があったようだ。


「……しかし、勝負とは言うが、勝ったらどうなる? 無茶な要求は聞けぬぞ。」

「どうもなりません。暇つぶしですから。」


 烏天狗のお兄さんは、少し考える素振りを見せはじめる。もうひと押しだ。


「では、先に別の遊びで勝負しましょう。私が勝ったら、紙をください」

「それは道具は要らないのか?」

「はい、手があれば大丈夫です」


 私が自分の掌を見せてそう言うと、お兄さんは一つ息を吐き出した。


「分かった。それならば付き合ってやろう」


 やった!


 ひとまず、手遊びに引きずり出すことはできた。

 このまま紙をゲットしよう。


「では、まずはこうして手を出してください」


 私は烏天狗のお兄さんに手のひらを見せる。


「これがグー。石です。そして、これがパー。紙です。そして、これがチョキ。ハサミです」


 私が手でじゃんけんの形を作ってみせると、お兄さんも自分の手で真似始める。


「石は紙で包んでしまえます。だから、石より紙が強い。でも、紙はハサミで切れてしまいます。だから、紙より鋏が強い。そして、ハサミでは石は切れません。だから、ハサミより石が強い」


 私は両手を使って、グー、チョキ、パーの意味合いを一つひとつ説明していく。

 お兄さんはふむふむと聞いてくれている。


「つまり、グーよりパーが強く、パーよりチョキが強く、チョキよりグーが強い、というわけです。これを、掛け声に合わせてお互いに出し合います。強い手を出した方の勝ちです」

「なるほど」

「掛け声は、私が、じゃんけん、と言いますから、ポン、と言ったら手を出してください。遅れては駄目ですよ」


 お兄さんはコクリと頷く。


「では、まずは練習をしましょう。いきますよ。……じゃんけん……ポン!」


 声につられて、お兄さんが咄嗟にパーを出す。私はチョキだ。


「フフフ。私の勝ちですね」


 私が笑うと、先程まで乗り気でなかったお兄さんが、ぐぬぬと悔しがる素振りを見せた。いい調子だ。


「じゃあ、本番をしましょう。私が勝ったら紙をくださいね」


 私が言うと、お兄さんはやる気満々に構えの姿勢を取る。


「じゃあ行きますね。……じゃんけん……ポン!」


 お兄さんはグー、私はパーだ。


「やったーー!」


 私が大袈裟に喜んで見せると、お兄さんは悔しそうに拳をつきだした。


「もう一回だ、もう一回!」

「……良いですけど、紙はもらいますよ?」

「いいだろう。次に勝ったら、もう一枚くれてやる。」


 どうやら意地でも勝ちたいらしい。まあ、暇だし別にいいけど。


「じゃあ行きますね。じゃんけん、ポン!」


 それから、お兄さんが勝つまでの間、じゃんけんを繰り返しさせられた。お兄さんはびっくりするほどじゃんけんが弱い。

 途中で掛け声を代われと言われて変わったりもしたが、お兄さんがようやく勝てたのは、7回目のじゃんけんだった。

 勝つ度に紙が増えていくので、全部で7枚の紙が手に入ることになった。


 まあ、くれると言うなら貰っておこう。


 翌日、お兄さんは交代の時間に、約束通り紙を持ってきてくれた。事前に頼んでおいたので、墨と筆も借りる。

 床に突っ伏して作業をしていると、お兄さんが興味深そうに私の手元を覗き込んできた。


「一体何を作っている?」

「だから、遊びの道具ですよ」


 私はそう言いながら、一枚の紙に縦と横の線をいくつも引き、碁盤の目状にしていく。何マス必要だったかは覚えていないので、適当な数を用意することにした。


 さらに、もう一枚の紙を、折り目をつけつつマスに入る大きさに手で切り、マスの倍数作って、その半分を墨で黒く塗りつぶした。


 本当は、表裏白黒にしたかったが、紙が薄くて墨が染み込んでしまうので、仕方なく黒と白を用意する。


 お兄さんは始終私の手元を見て首を傾げていた。


「出来た!」


 私が声をあげると、お兄さんはますます不可解な顔をする。


「これでどうやって遊ぶのだ?」

「じゃあ、実際にやってみましょう。お兄さん、黒と白、どっちが好きですか?」

「それは黒だろう。」


 まあ、烏天狗ですもんね。


「じゃあ、お兄さん、この黒の駒を持ってください。私は白です。まず、じゃんけんをして、先攻と後攻を決めます。勝った方が先攻にしましょう」


 じゃんけんをすると、再び私の勝ちだ。このお兄さんは本当にじゃんけんが弱い。


「先に、白の駒2つ黒の駒2つを置いておきます。ここからスタートです。先攻の私が、白の駒をおきます。すると、この黒の駒が白に挟まれます。そうしたら、この黒は白に変えることができます。縦横斜め、いずれかで挟めばその分色を変えられます。ただし、相手の駒を挟めない場所には置けません。こうやって順番に駒をおいていって、最後に盤上にコマの色が多かった方の勝ちです」


 そう。私がやろうとしているのは、リバーシだ。

 先程も言ったが、紙をひっくり返したところで色は変わらないので、駒は差し替え方式だが、ここでお兄さんと遊ぶだけだ。十分だろう。


 お兄さんは、じゃんけんの時と同様に、ふむふむと言いながら説明を聞いてくれている。すごく素直なお兄さんである。


 実際に説明をしながら模擬戦をしていると、お兄さんの姿勢が徐々に前のめりになっていくのがわかった。

 どうやらお気に召したらしい。


 ただ、実際にゲームをし始めると、経験者である私がどうしても有利だ。何度か対戦し、良いところまで行くゲームもあったのだが、お兄さんはあと一歩及ばない。

 悔しそうにしながら、もう一回、もう一回、と挑んでくる。


 しかし、私が勝ち続けていたら遊んでくれなくなるかも、という思いがふとよぎった。


 そこで、一度くらい良い思いをしてもらおうと手を抜いてみたのだが、すぐに


「手を抜いただろう」


と睨まれた。


 子どもの遊びに付き合うだけのはずが、だいぶのめり込んでしまっている。


 それから何戦かした頃、唐突に入口の方から怒声が響いてきた。


「何をしている、とち!」


 交代の時間になったのだろう。私に向き合って座り込んでいたお兄さんがビクっと体を震わせた。


 お兄さんは、どうやら栃という名前らしい。


 そのまま、リバーシを隠すような位置で立ち上がる。

 ただ、そんな事で隠せるようなものではない。


 私と栃は、交代の者にギロリと睨まれた。


 でも別に、私はやましい事は何ひとつしていない。


「一緒に遊んでいただけですよ。私のような子どものお相手をしてくださったのです。何もすることがなく、どこにも行けず、ただただ閉じ込められていては息が詰まってしまいます。質の子どもと遊んでくださるのですから、烏天狗の方々はお優しいのですね」


 私がニコリと笑うと、交代の者が訝しげに栃に目線を向ける。


「暇だ暇だと押し切られてしまい……その……」


 栃も私の話に乗ることにしたようだ。交代の者はしばらく私と栃とを交互に見ていたが、表情を崩さない私にハアと一つ息を吐いた。


「……それで、どうするのだ?」


 交代の者は、諦めたように私と栃の間に座る。


「お兄さんも一緒に遊んでくださるのですか?」


 私が目を瞬くと、


「子どもに騒がれては堪らぬからな」


と私を見た。


 さすがに、ただ暇というだけで癇癪を起こすような子どもでは無いのだが、烏天狗は違うのだろうか……


 とはいえ、相手をしてくれると言うならば、してもらおう。暇つぶしは重要だ。

 栃もお咎めなしと悟ったのか、ほっと息を漏らした。

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