第三章 妖を率いる者
第34話 突然の来訪者
山羊七の家に飛び込んで散々泣いたあと、約束していたものを持って帰れなかったことを詫び、一体何があったのかと問う山羊七に落ち着いたら話すから待ってほしいと繰り返した。
山羊七は問い詰めたそうな顔をしていたが、私の様子を見兼ねた羊夫婦が今日は疲れているだろうからと押し留めてくれた。
トボトボとした足取りで家に戻りながら、山羊七達にどこから説明すればいいのだろうと考えてみたが、自分の身に降り掛かった事のあまりの荒唐無稽さに、真剣に聞いてもらえる気がしなくて考えることを放棄した。
自分の家に帰ると、誰もいない暗くて静まり返った空間が待っていた。
ゆっくりしたくて作った家のはずなのに、外にいるのと同じように、いろいろな事が頭を駆け巡る。動こうにも動けず、寝ようにも寝られず、私は竹の寝床の上で、ただじっと時間が過ぎるままに蹲っていた。
それからどれ位がたったかはわからない。
不意に、トントンと家の扉をノックする音が聞こえた。
動くのが億劫になっていたが無視するわけにもいかず、のそのそと扉を開けると、そこには羊夫婦と山羊七が立っていた。
「……どうしたんですか?」
私が首を傾げると、来訪者達は顔を見合わせる。
「どうしたではないぞ」
「帰ってきたはいいものの、そこから一向に家から出てくる気配も、火を焚いている様子もなかったので……あの、大丈夫ですか?」
どうやら心配して訪ねてきてくれたらしい。
私は無理やり笑顔を作り、努めて明るい声を出す。
「物凄く疲れていたみたいで、ずっと寝ていました。ご心配をおかけしてすみません。ずいぶん体も楽になったし、もう大丈夫です」
ニコリと笑うと、山羊七はホッとしたような表情で私を見た。
「それなら良かった。家造りならまた手伝うから声をかけてくれ。まだ、採ってきた竹もたくさんある」
私はそれに笑顔で頷く。
正直、前向きにここを充実させていこうという気にはなれない。
でも一方で、宮中の件で今私に出来ることは何一つない。
唯一求められていることが、この地に留まることだ。
のこのこ出ていっては、せっかく私を助けてくれた者たちの行動が無駄になってしまう。
それどころか、彼らが助かる邪魔をしかねない。
この地にいる以上、このまま家に閉じこもって、何も知らない者たちに心配をかけるくらいならば、外に出て働いたほうがいいのだろう。
「はい。ありがとうございます。よろしくおねがいします」
山羊七の隣で羊夫婦が顔を見合わせたのが映ったが、視界の端に追いやった。
それから、私はとにかく体を動かしまくった。
頭を使うことはしたくなかったので、山羊七に道具を借りて竹を適当な長さに切り、ひたすら家の中の地面に敷き詰めていくことで床を作っていった。
それが終わると自分の家の外にもベランダのように敷き詰め、さらに、家から温泉までの道も同じように竹を並べて渡り廊下を作っていく。
竹を切って土を掘り並べて固定していくのをただただ繰り返す単純作業だ。
それを来る日も来る日も続け、夜は浅い眠りに目を覚ましながら暗い家で時間が過ぎていくのをただただ待つような日々を過ごすようになった。
そんな日が何日か続いたある日の夕方、私の作業を手伝っていた毛助がはたと手を止めて私をひたと見据えた。
「白月さん、妻と相談しましたが、今日はこのまま家に泊まっていってください」
「……え? ……あ、ああ、もう夕方ですね。そこまでお世話になれません。片付けて自分の家に帰り……」
と立ち上がりかけたところで、毛助にぐっと手を引かれた。私は中途半端に並べられた竹の上にすとんと座る。
「もう何日もろくに寝ていないでしょう。ひどい顔をしています。不在の間、何があったのかは聞きません。しかし、どうか御自分を大切になさってください」
毛助の真剣な表情に、カミちゃんや璃耀に自分を大事にしろと言われたことを思い出す。
私が俯くと、毛子が優しい声で私の肩に手を置いた。
「一人にならない方が良い時もあります。しばらくは、我が家に泊まってください」
「でも……」
毛子は私の言葉を遮るようにニコリと笑う。
「さあさ、家に戻って白月さんのお布団の用意をしなくては。康太! こっちに来て、白月さんと一緒にお風呂に入ってきてちょうだい。白月さん、康太をお願いしますね。」
「え、いえ、あの……」
毛子が少し離れていた康太に声をかけると、康太はパタパタと走り寄って来て、グイッと私の腕を掴む。死にかけていた子羊とは思えないほど元気になっている。
「うん、わかった! ねえちゃん、行こう!」
戸惑っている間に、私は康太に手を引かれ、言われるがまま温泉に入り、そのまま康太に連れられて羊家族の家にお世話になることになった。
賑やかな夜は本当に久しぶりだった。
カミちゃんと二人だけの旅から、楠葉が加わり、璃耀が加わり、桜凜、蒼穹、宇柳と加わり、皆で過ごしていたのがつい最近の事なのに懐かしい。
誰かの寝息の聞こえる寝床で、私は久しぶりに何も考えずにぐっすり眠ることができた。
それからしばらく、私は自分の家に帰るタイミングを見失ったまま、羊家族の家にお世話になる日が続いていた。
睡眠をしっかり取れるせいか、誰かとともに過ごせているせいか、少しずつ、鬱々と考え込むような時間は減っていった。
それから三月程経った頃だろうか。
外で作業をしている途中で、毛助がふっと手を止めて空を仰ぎ見た。
「おや、昼間に梟など、珍しいですね」
スイっと空を指し示す。
私もそれにつられて空を見ると、一羽の梟が私達の上で旋回し、こちらに向かって降りてくるところだった。
「……宇柳?」
見覚えのある色形にぼそっと呟く。
「お知り合いですか?」
毛助が目を瞬いて私を見る間に、梟はバサバサと羽ばたきながら、私の前に降り立ち、すぐに跪いた状態で人の姿に変わった。
「白月様、ご無事で何よりです。見つかって本当に良かった。翠雨様の雑な説明と、璃耀様の嫌味混じりの説明では、ここに辿り着けるかどうしても不安で……」
ほっと胸を撫で下ろす様は、別れたときのままだ。
「宇柳、良かった。無事だったんだね。皆は? 酷い目に合わされなかった?」
すぐにかけより、宇柳と目線を合わせるようにしゃがむと、宇柳はニコリと笑う。
「大変な目に合ったと伺っていましたが、お変わりないようで安心しました。皆、翠雨様の庇護のもと、元気にしています」
私は宇柳の言葉に少しだけ眉根を寄せる。皆ではわからない。正確な情報がほしい。
「皆って、本当に皆? 璃耀や桜凛も? 楠葉はどうしてるの? 宇柳は元気そうに見えるけど、蒼穹も無事なの? 別れた時はバラバラだったじゃない。本当に一人残らず無事なの? カミちゃんは……」
私が矢継ぎ早に聞くと、宇柳は今度は苦笑する。
「大丈夫です。皆無事です。少しは私の事も信用してください」
別に宇柳を信用していないわけではないのだけど……と口籠る。すると、仕方がなさそうにふっと表情を柔らかくさせた。
「きちんとご説明します。そのために翠雨様に使わされてきたのですから。」
「カミちゃんに?」
宇柳はコクリと頷いて何かを思い出すような遠い目になる。
「本当は、璃耀様がここに来ると言い張ったのです。でも、璃耀様では空を飛び続けることは難しいので時間がかかりますし、何より監視の目が厳しいからと翠雨様に却下されて……」
確かにあの状況を考えると、いくらカミちゃんが助けてくれたとは言っても、抜け出してくるのは難しいだろう。
「それなのに、璃耀様が翠雨様に直接意見をし始めて……私のような者から見れば、天の上に居るようなお方なのに、まるで二人で喧嘩のようになってしまって……」
宇柳は困り果てたような顔をする。
カミちゃんと璃耀の喧嘩と聞くと、日常茶飯事のようにも思えるが、宮中では立場の違いから全く違って見えるのだろう。
あの頃のやり取りを思い出して、フフっと笑いがこぼれた。
宇柳はそれを見て、眉根を寄せる。
「笑い事ではありません。傍から見ていて、ヒヤヒヤしました。実際、蜉仁殿の目が怖かったですし……それに、私がお役目を頂いてからは璃耀様に嫌味混じりにいろいろと言われるようになって……」
宇柳をいびる璃耀の姿も、なんだかありありと想像できる。
「フフフ。良かった、本当に元気そうで」
私がそう言うと、宇柳は愚痴を漏らしても無駄だと思ったのか、はぁ、と小さく息を吐いた。
しかし直後、宇柳は私の背後に目線を向けてピキっと固まる。
「そいつは誰だ、白月」
「う……うわっ! お……ムグっ!」
私は全てを言わさず、宇柳の口をパシっと塞ぐ。
「それ禁句!」
囁くように窘めると、宇柳は口を塞がれたままコクコクと頷く。
私が背後の山羊七に目を向けると、山羊七は訝しむように宇柳を睨みつけていた。
……どうしよう。
誰も来られないはずのこの場所で、見ず知らずの他人である宇柳を受け入れさせる言い訳が必要だ。私の知り合いでは納得しないだろうし……と思ったところでピンときた。
「あ、あの、私が旅に出ていた間に、璃耀という雉に会ったのですが、この宇柳は、璃耀の部下なのです。どうやらその璃耀の使いで此処に来たようで……ね!」
私は有無を言わさないよう目に力を込めて宇柳に同意を促す。
本当は璃耀に嫌みを言われながらカミちゃんの指示で来た、というのが真実のようだが、そんなことは関係ない。
私の意図をきちんと理解したのか、宇柳はコクコクと頷く。
「は、はい。璃耀様に言われてこちらに来ました!」
「璃耀に話を聞いたら、なんと山羊七さんが言っていた雉だと言うではないですか。私、びっくりしちゃいました。世間って狭いですね」
私は大袈裟に驚いたような素振りを見せる。
すると、山羊七は宇柳を睨みつけていた表情を僅かに緩めて私を見る。やはり、璃耀の名前を出して正解だった。
「おお、其方も璃耀殿に会ったのか。立派な雉だったであろう。私はずいぶん世話になったのだ。それにしても、その部下がどうして此処に?」
宇柳は鬼の風体に体を強張らせたままだ。余計なことを言わないように制しながら、私がそのまま受け答えをする。
「私も旅の道中、随分お世話になったのですが、その縁で、私に言付けを持ってきたようなのです。ね、宇柳」
「は、はい!」
山羊七は私と宇柳に順に視線を巡らせる。
「ずいぶん懐かしそうに山羊七さんのことを話していましたよ」
私がニコっと笑うと、山羊七はようやく表情をふっと緩めた。
「そうか。まあ、璃耀殿の部下であれば仕方がないな。ゆっくりしていくがいい。
必要があれば、温泉の湯も持っていってやってくれ。自分ではなく部下が来るほど忙しいのであろう」
「は、はい、そうさせていただきます! ありがとうございます!」
宇柳がそう答えると、山羊七は満足そうに頷いて作業に戻っていった。
人の話を信用しすぎて騙されやすそうな山羊七は気がかりではあるが、今回ばかりは助かったと言わざるを得ない。
私も宇柳も、ほっと胸を撫で下ろした。
私達のやり取りを見ながら、毛助がニコリと微笑む。
「なんだか良くわかりませんが、白月さんに元気が戻ったようで良かったです。」
私はその言葉に表情を緩める。ずっと気遣ってくれていたのだろう。
一方で宇柳は目をキラリとさせて毛助を見る。
「珍しいですね。羊ですか?」
その食らいつくような視線に、毛助がうっと息を呑む。
「やめなさい!」
私が宇柳の頭をパシッと叩くと、宇柳は即座にガバっと突っ伏した。
「申し訳ございません!」
謝罪する宇柳に、毛助は苦い笑みを浮かべた。
羊家族が少しだけ宇柳を警戒しているし、山羊七に許可を得たばかりなのに妙な疑惑の目を向けられても困るので、私の家の前まで移動することにした。
しかし、どうにもさっきから空がうるさい。ガサガサ、バサバサ、木立を揺らす音や鳥が羽ばたくような音が引っ切り無しに聞こえてくる。
私が空を見上げると、宇柳も同じように目を向けた。
「白月様?」
「なんか、空が騒がしいなと思って。いつもはもっと静かなんだけど……」
一体、騒ぎの原因は何かと目を凝らす。すると、空に複数の黒い大きな鳥がバサバサと羽ばたいているのが見えた。
……烏……?
でも、なんか烏にしては大きいし形が歪だ。
それが、次第にこちらを見下ろすように崖の上に集って止まり始める。
崖の上に五羽が揃い羽を畳むと、遠目でハッキリとはわからないが、確実にただの烏ではないことがわかった。人の姿のようにも見える。
さらに、その五羽がキラリと武器を取り出す。
「……ねえ、宇柳。あれ、お友達……じゃないよね?」
私が指差すと同時に、その五つの影が再びバッと飛び立ち、瞬く間に私と宇柳はその黒い羽の妖に取り囲まれた。
「か、烏天狗!?」
宇柳は素っ頓狂な声をあげる。
烏の黒い羽と鋭い嘴、山伏の装束に薙刀を持つ、如何にもな烏天狗に、私も目をみはる。
カッコいいが、それどころではない。彼らは一様に厳しい顔つきで私達を睨んでいる。
どう見ても友好的な態度ではない。
「貴殿は其処な梟の主とお見受けする。我等が領空を侵犯した理由をお聞かせ願いたい」
「……はい?」
烏天狗のうちの一人が、私を見つめて厳しく問い詰めるような声音を出す。
領空侵犯?
烏天狗が治めている土地があって、そこに侵入したってことだよね……宇柳が……
私は宇柳に目を向ける。しかし彼は、私と烏天狗達を交互に見たあと、必死に首を横に振って自分ではないと主張する。
「あの、どうやら心当たりが無いようなんですが……」
私が代わりに返事をすると、烏天狗は訝しげな目で宇柳を見たあと、表情を更に厳しくさせて私を見据える。
「なんと、朝廷の使いである印を持ちながら、我等の領地を知らぬと仰せか。今上の御世ではそのようなことも周知されておらぬのか」
朝廷の使いの印?
私が首を捻りながら宇柳にもう一度目を向けると、足首に金色に光る足輪のようなものをチラッと見せてくれる。
あれか。
表向きはカミちゃんの使いだと宇柳は言っていた。帝の弟の使いなのだから、持たされていても不思議はない。
「宇柳、烏天狗さんの領地が何処か知ってる?」
私が聞くと、宇柳はブンブンと横に激しく頭を振る。
「存じませんでした。確かに、年嵩の者に東に向かうときには気を付けよと言われた事はありましたが、そもそもここまで東に来ることはありませんでしたし……それに、目印のようなものも無かったので、入ってしまったことにも気づけず……」
実際にどのようになっていたかはわからないけれど、ハッキリ領地として区切られていなければわからないだろう。その上、空ともなれば、判別はかなり難しいはずだ。知らずしらずのうちに入ってしまっていてもおかしくない。
「故意ではないんだよね」
「もちろんです!」
今度はコクコクと縦に激しく頭を振る。
首が忙しなく動いているのが、宇柳の動揺を体現しているようだ。本当に、偶然入り込んでしまったのだろう。
「あの、この通り、本人は知らずに入ってしまったようなのです。謝罪いたしますので、今回は見逃して頂けないでしょうか……」
私は烏天狗に向き直って頭を下げる。
烏天狗は、検分するように私と宇柳をじっと見つめる。固唾をのんで返答を待っていると、しばらくしてようやく、うむと頷く声が聞こえてきた。
「相分かった。では、今回は片方の目玉で勘弁してやろう。故意に入ったならば処刑になっていたところだが、今回は主の謝罪に免じて許してやる」
「は!?」
私と宇柳はぎょっと目を見開く。
「か、片方の目玉ですか……?」
「そこらの妖が通るのとは訳が違う。朝廷の者が領地を犯すということは、そういうことだ。」
開いた口が塞がらない。目印もなにもない領空を、ただ通り抜けただけで片目を取られるとは。
私達が呆然としている間にも、烏天狗のリーダーが厳しい顔つきで指示を出し、他の者が宇柳を捕らえにかかる。
宇柳のヒィィ! という叫び声に、私はハッとする。
「あ、あの、他に何か手立てはないでしょうか。目玉を取るのではなく……あの、他に私達に出来ることで許してはいただけませんか?」
烏天狗は片眉をあげて私を見る。
「……無いこともないが、目玉の方が手間が無いのだが……」
要は、面倒だからそれで終わらせたいということなのだろう。でも、こちらとしては、他にチャンスがあるなら、そちらに縋りたい。
「そこを何とか、お願いします!」
私が頭を下げると、宇柳も見倣うように頭を下げる。すると、しばらくしてから、小さくため息が漏れ聞こえた。
「……上の単願があれば、考慮する決まりだ。致し方あるまい」
烏天狗はしばらく迷う素振りを見せたあと、ようやく不承不承といった様子で頷いた。
「我等を下に見るような者であれば話は早かったのだが、命拾いしたな、梟。主に感謝せよ」
烏天狗の言葉に、宇柳は再び地面に突っ伏した。
「ありがとうございます! 白月様!」
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