終章 幻妖京の乱

第47話 出発の時

 布は一箇所が綻びると、一気に穴が広がってボロボロになってしまうが、結界も同じなのだろうか。


 最初に大きく穴が開いたと知らせを受けてから、息をつく暇もないくらいに鬼が現れる。


 使者の話によると、鬼が京に現れたのは今日の明け方。


 幻妖宮の裏側から、十を超える大小の鬼が直接京の商店通りに飛来し、更に、東西通りからも、十数の鬼が地上から侵入してきた。


 京は上空からの攻撃から守られるよう、結界が張られていると聞いたが、何者かに結界を解かれ、無防備な状態だったらしい。


 京の結界は、陽の気を必要とせず、市中四方にある結界石を破壊すれば、簡単に解けてしまう代物だったそうだ。


 通常ならば検非違使が守り、結界石のある柵の中に入るだけで重罪に処されるほどのものだが、守りの検非違使はことごとく殺され、結界石は破壊されていた。



 門番は既に鬼に喰われ、巡回していた検非違使は辛がら宮中に逃げ込んだ。幸い明け方で京には人気がない時間帯だ。


 ただ、そのうち、何も知らない市井の者達は出てきてしまう。


 状況を案じた瑛怜は、帝に、残されていた軍団の一部と近衛の一部を借り受ける相談をした。


 しかし帝は、実質カミちゃんの指揮下にある軍団の使用は許可したが、近衛の貸出は一切許可しなかった。


 更に、検非違使は鬼と戦いたいのであれば勝手にすれば良いと、宮中から一切が出され、帝は近衛と共に宮中を封鎖して閉じこもった。


 この時点で、瑛怜の裏切り行為は帝側に洩れているだろうと当たりをつけ、こちらに救援を要請したようだ。


 話を聞くところによると、検非違使と軍団では、警察と軍隊くらいの差がありそうだ。検非違使達が鬼と真っ向勝負を挑み抑え込むのは難しい。


 ひとまず、鬼の目を盗んで京を駆け抜け、市井の者たちに外に出ないよう呼びかける事を優先しているらしい。


 ただ、それも時間の問題だろうと使者は言う。

 鬼が建物を壊して侵入を試みる動きが見えたそうだ。


 事態は急を要する。


「……様子を見に行ってもらったけど、やっぱり、直ぐにでも皆で行った方がいいかな。急がないと京が滅茶苦茶になっちゃう」


 しかし、カミちゃんは首を横に振る。


「落ち着いてください。信用出来る者の目で真偽を確認しなければ」


 そうなんだけど、この待ち時間がもどかしい。


「何れにせよ、動き方を確認できるのは今しかありません。時間を有効に使いましょう」


 蒼穹の冷静な言葉に、私は焦る気持ちを抑えて頷いた。


 状況をまとめると、


 宮中に岳雷達近衛兵

 京の街に鬼が少なくとも二十体以上

 何も居ないと良いけど、近くにあるはずの黒の渦


 この三箇所を押さえる必要がある。


 ただ正直、宮中なんて後回しでいい。引きこもっていてくれているなら都合がいい。


 先に黒い渦と鬼を何とかする。


 一方でこちらの手勢は、


 検非違使と宮中に残っていた軍団の一部

 今ここに居る蒼穹達軍団

 あとから合流してくれる筈の烏天狗

 それから、カミちゃん達、璃耀、紅翅、私だ。


「一部とはいえ、あちらには三分の一の手勢を残してきました。全てが宮中から出されているなら、大きな戦力になります。

 まず、こちらの軍を二手に分けましょう。京には私が向かいます。白月様は軍の半分と烏天狗の応援全てを連れて、黒の渦を探して向かってください。宇柳と桔梗をつけます」


 蒼穹の言葉に私は頷く。


「使者さん、どこかに黒の渦があるはずなんだけど、心当たりない?」

「いつの間にできたのか、幻妖宮の裏手側に大きなものが一つ確認されています。」

「その周辺に鬼の姿は?」

「私がこちらに向う前までは、特にそのような報告はございませんでした」


 私はほっと息を吐く。

 少なくとも、次々とあちらから鬼がやってきているような状況ではなさそうだ。


「それなら、烏天狗もいるし、黒の渦の側まで連れて行く兵はもう少し少なくても……」


と言いかけたところで、今まで沈黙を守ってきた璃耀から待ったがかかる。


「これ以上、白月様の護りを減らすことには賛同できません」


 蒼穹もそれに頷く。


「今は渦の周りに何も居なくても、いつ何が中から出てくるかわかりません。備えておいたほうが良いでしょう」

「……わかった。カミちゃんはどうするの? もともと、宮中に潜入する予定だったけど、帝や近衛が引きこもってる以上、今、宮中に入るのは危険でしょう?」


 私の言葉に、カミちゃんは一つ頷く。


「私の指揮下にあった軍も外に出されたと言うことは、私の目論見も洩れている可能性があります。蒼穹と共に京へ行き、瑛怜に直接会ってみましょう。宮中の様子も知りたいですし、瑛怜の狙いも把握したいので」


 確かに、何処から洩れたかはわからないけど、向こうが何も知らないと高を括ってコソコソ動くのは危険だ。


「うん。わかった。くれぐれも気をつけて。それから、凪は一回返すから連れて行って」

「え!?」


 私の言葉に、凪は声を上げる。


「えって……凪はカミちゃんの腹心じゃない。椎も帰ってこないし、軍は鬼の対応に集中しなきゃいけないから、カミちゃんの護りは必要でしょう?」


 凪は困ったような顔で、私とカミちゃんを交互に見る。

 それにカミちゃんは苦笑を漏らした。


「凪は、白月様と共にありたいのだろう。良い。私の変わりに白月様に着いていてくれ」


 カミちゃんはそう言うが、私は首を横に振る。

 カミちゃんが何かに巻き込まれて居なくなられると困る。


「ダメです。どれだけ周囲の護りを手薄にして京に乗り込むつもりなの? 凪は連れて行って」


 カミちゃんは、眉尻を下げる凪を見遣る。凪も、請うような目を向けたが、カミちゃんはそれに小さく首をふった。


「白月様の仰せだ。仕方あるまい。」

「……承知しました。」

「流石に、そんなに嫌そうな顔をされると傷つくのだが……」


 残念そうに返事をする凪に、カミちゃんはもう一度苦笑した。


「それから、璃耀は私と一緒に来るとして、紅翅はどうするの?」


 私の言葉に、ずっと離れたところに控えていた紅翅がすっと進み出る。


「私は白月様の主治医ですよ。共に参ります。」

「でも、戦場に来るなんて危険じゃない?」

「軍医が許されるのです。私だってお供しても良いでしょう。大丈夫です。離れたところで璃耀様と共に待機していますよ。」

「……は? いや、私は……」


 離れたところに待機、という言葉に引っ掛かったのだろう。璃耀は紅翅に言葉を返そうとする。

 しかし、紅翅にニコリとした笑みを向けられ、口籠った。


「武も知らぬ貴人が、戦場で何ができるのです。お側にいたいならば、せめてお邪魔にならない様にしなくては。そうでしょう?」


 紅翅の言葉に、璃耀は悔しそうに眉間に皺を寄せて口を噤む。


 うーん……蒼穹に言われて改めて意識すると、確かに、璃耀の様子はちょっとおかしい。


 この前は、口では納得してくれたようだったけど、完全に腹落ちしている感じではない。

 私が決めたことだからと無理やり飲み込んだ感じだ。


 戦場で側に居られない間、ちょっと、誰かに着いていてもらった方が良いかもしれない。

 璃耀も私にだけは言われたくないだろうが、何かあったら飛び出していきそうな危うさがある。


 私が蒼穹に目を向けると、蒼穹は心得た様に頷いた。



 京に偵察に行っていた者が戻ってきたのは、日が傾き始めた頃だった。


 やはり、使者の言っていた事に相違はないようで、鬼たちは京で暴れまわっているらしい。


 検非違使の尽力もあってか、日が昇ってからも通りに人気はないが、鬼たちが建物を壊し、中に居る者達を引きずり出している様子があると報告を受ける。


 それを兵や検非違使達が助けようと奮闘しているが、鬼の数が多く苦戦しているらしい。


 きっと、京の者たちは建物の中で脅えて過ごしていることだろう。


 直ぐに助けに行かなければ。


 更に、程なくして栃も戻ってきた。


「は!? 京に鬼ですか!?」


 ……ごめん、栃さん。烏天狗への連絡をすっかり忘れてた……


「ちょっと、事態が急に動いて……協力してもらえますか? というか、協力してもらいたいんですけど……」


 先程の計画では、完全に烏天狗を戦力に数えてしまっている。首領に直訴してでも協力してもらわなくては困る。


 栃は唖然としたまま、額に手を当ててしまった。


「……我らの兵は、明朝直ぐに京へたてる様、準備を進めています。ただ、状況が状況ですから、一度、首領に伺いをたてたほうがよろしいかと……」


 ……ですよね……


「私から、お願いの書状を書きます。私達は今から直ぐに京に向かいますが、栃さんは書状を持って首領のところに……」


 私はそう言いかける。しかし、栃はそれに首を振り、覚悟を決めたように私を見た。


「いえ、京へは私も共に参ります。一度は協力すると宣言しておきながら、烏天狗が一人もお供せずに出遅れるわけには参りません。書状は最短で届けられるこちらの方にお願いしたい」


 私が蒼穹を見ると、蒼穹は直ぐに使いを呼び出す。私はそれを見届けて、書状をしたためた。


 烏天狗への使いは直ぐに飛び立ったが、これ以上、京を鬼に荒らされ続ける訳にはいかない。


 テントに入ってきたカミちゃんに、


「準備ができたら直ぐに行こう」


と声をかけると、カミちゃんはニコッと笑い、私の前で大仰に跪いた。


 蝣仁からやや短めの刀を受け取り、それを私に恭しく差し出す。


「準備が整いました。ご出陣を。」

「……この刀は?」

「白月様のものです。戦地へ向かうのに丸腰という訳にはいかないでしょう?」


 私はそれを戸惑いつつ眺める。


「私、使えないけど……」

「教えて差し上げられる者は居ませんが、刀身に向けて陽の気を込めると、刀が陽の気を帯びて、刀身に触れるだけで危険な武器になるそうですよ。先の帝も武はからきしでしたが、常に帯刀されていました。

 白月様は刀など扱ったことがないでしょうから、小太刀を」


 私は呆れ顔でカミちゃんを見る。


「……もうちょっと早く渡してくれない? こんな直前じゃ練習も出来ないじゃない」


 それにカミちゃんは苦笑する。


「そもそも、こんなに早く、しかもこちらから直接出陣する予定ではなかったので、持参してきていなかったのです。取りに行かせて、今日届いたのですよ」


 そうだったのか。文句を言って申し訳無い。


「わざわざありがとう。でも、取りに行かせたって、どこに?」

「鍛冶の村です。白月様に合わせて特注させていたので。白月様には随分感謝していたようで、村一の職人が腕によりをかけて作ってくれたようです。白月様のご注文の品も完成したと伺っています。随分面白いものを作らせたそうですね」


 カミちゃんの話に、あの狐の村の職人を思い出す。きっと、あの職人が作ってくれたのだろう。何も知らず、平和だったあの頃が懐かしい。


 私はカミちゃんの手から、刀を受け取る。

 持ちやすくはなっているが柄の部分も鉄がむき出しでちょっと不思議な感じだ。長すぎず短すぎず。私の身長に合わせて作ってくれたのだろう。


 ただ、真剣なんて持ったことがないから、本当に扱いが分からない。

 鞘から抜くだけで怪我をしそうだ。


 こわごわ刀を抜いて、皆から少し離れて刀身に意識を集中してみる。


 すると、刀身が僅かに光を帯びて輝く。

 私は自分の手を見下ろす。


「触れてみましょうか?」

「え!?でも……」

「大丈夫ですよ。万が一のことがあっても、山羊七のところの薬湯があるのでしょう?」

「それはそうだけど……」


 躊躇う私を他所に、カミちゃんはすっと立ち上がり、徐ろに私の腕のあたりに軽く触れる。


 そのまま手を離すと、ニコリと笑って私に掌を広げて見せた。


「これで、周囲を気にすることなく身を守れますね」

「うん」


 これはすごく有り難い。

 私の唯一の武器は陽の気だが、周囲を危険に晒すため、軽々しく使えない。

 刀の扱いに慣れさえすれば、いつでも使える自分だけの強力な武器になる。


「さあ、参りましょう」


 カミちゃんが私を誘導し、テントの布がめくられる。

 そこには、蒼穹を先頭に、軍団の皆が一斉に跪き、私を待ち構えていた。

 こんなにいたのかと思うくらいの人数だ。


 外に出ると、カミちゃんは私の斜め後ろに立ち、全体を見渡す。


「白月様。これから戦場に向う者達にお声を。時の帝は、その声に力を乗せて妖達を鼓舞しまとめてきました。陽の気を纏う言葉は望む道を叶える力になります」


 言霊という言葉があるが、この世界の者にとっては、陽の気を含む言葉が、大きな影響力をもつことは経験済みだ。


 私の言葉で皆の力になるのなら、いくらでも声をかけよう。


 私は思いっきり息を吸い込み、意識して声に力を込め張り上げる。


「皆、妖界の為に力を貸して! 京を絶対に守ろう!」

「はっ!!!」


 全員の声が揃い、周囲に大きく響き渡った。

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