第48話 幻妖京の乱

「お乗りください。」


 桔梗が一歩進み出て、大きな鷹の姿に変わる。

 私がそれに乗せてもらい飛び立つと、各々が一斉に飛び立った。

 ある者は自分の翼で、またある者は翼のある者の背に乗って。



 私達は全速力で大空を駆け抜ける。栃も、今回ばかりは翼のある者に乗せてもらって飛んでいた。

 スピードが段違いだからだ。


 途中、烏天狗への使いが私達を追いかけて来るのが見えた。


「首領に書状を届けたところ、想定外ではあるが協力すると言付けを承りました。急を伝えたところ、すぐに動いて下さるそうです。ただ……」


 使者はそこで口籠る。


「……ただ?」

「決着がついたら、すぐに約束を果たしに来いと。しかも、一つでは足らぬからなと仰って……一体何のことかわからず……」


 使者の言葉に、私と栃は顔を見合わせる。

 こんな時まで遊びのことを持ち出す首領に、何だか気が抜けてしまう。


 すぐに栃が大きく笑った。


「ハハハ! これは楽しみですな」


 近くを飛ぶ凪も苦笑を漏らす。


「あの首領も不思議なお方ですね。」

「遊びを仕事にしちゃうくらい、遊びに真剣だからね。全てが終わったらすぐに行きますって伝えてくれる?」

「は……はい……」


 私が使者に言うと、使者は目を丸くしながら了承の意を示した。


「また烏天狗のところに行かれるのですか?」


 カミちゃんは何だか不服そうだ。でも、協力してもらう以上、こちらも約束は果たさねば。


「だって、約束だもん」

「……白月様は、何だか楽しそうですね」


 烏天狗にいい思い出のない宇柳も恨みがましい目を向けてくる。

 でも、揃ってそんな目をしたって無駄だ。

 戦が終わったあとの楽しみが増えて、私は少しだけ心が軽くなったような気がした。



 ただ、そんな気分も直ぐに吹き飛ぶことになる。


 京に着いたのは日暮れ前だった。

 そしてそこは、想像以上の地獄絵図だった。


 異形の鬼が我が物顔で町を破壊し、道には食い散らかされて姿が戻った妖達がそこかしこに血みどろで倒れている。

 小さな鬼がハイエナのように遺体に群がり、大きな鬼は、新たな餌を求めて家々の戸を無理やり引き壊す。

 パニックになった市井の者達が家を捨てて外に駆け出し、鬼に追われ逃げ惑う。

 誰かが捕まると、その犠牲の側を別の者たちが駆け抜けて逃げていく。

 血と土煙が夕闇に紛れ、視界が悪く、その様相が更に妖達から冷静な思考を奪っていっているようだった。


 検非違使や残された兵達は傷つきながらも京の町を駆け巡って鬼に立ち向かい、捕まった者達を救い出そうと奮闘している。


 でも、力及ばず地面に叩きつけられる姿が見られた。

 そこを別の鬼が餌食にしようと近づいていく。


 目を覆いたくなるような光景だ。


 吐き出さないよう、ぐっと奥歯を噛み締め、胸元の手をギュッと握り締める。


 ふと、一つの家が鬼に破られ、中から小さな影が連れ出されたのが目に入った。

 楠葉より、まだ小さな子どもだ。中の母親が慌てて駆け出し、子どもを取り返そうと手をのばす。

 しかし、鬼は嘲笑うかのように長い爪の生えた手を振り上げた。

 背筋にざわっと寒気が走る。


「桔梗! あそこに降りて!!」

「しかし……!」

「良いから、早く!!」


 私が急かすと、桔梗はまっすぐ子どもを掴んで持ち上げる鬼のところに下降し始めた。


 桔梗の下降に合わせて、予想していたかのように凪と蒼穹もついてくる。


「無茶をなさらないでください!」


 凪が叫んだが、それどころではない。

 すぐに動かなければ、母子共に殺されてしまう。


 しかし無情にも大きな鬼の手は、手を伸ばした母親にまっすぐに振り下ろされる。

 どうしても見ていられず、私は思わず目を閉じた。


 しかし、すぐに蒼穹から厳しい声音が飛ぶ。


「救いたいならば目を背けてはなりません!」


 私は歯を食いしばって目を開ける。

 すでに母親は鬼の前で倒れ込んでしまっている。でも、子どもはまだ無事だ。


「桔梗、鬼の背後に回って私を下ろして。陽の気を直接当てる。桔梗は隙をついて子どもを奪って」

「白月様をこの戦場に降ろすなんてできません!」


 桔梗は悲鳴のような声を上げる。

 でも、子どもだけは確実に助けたい。


「白月様、桔梗から降りず、刀をお使いください! 凪殿、隙をついて子どもを! 私が周囲を護りつつ首を取る。」


 蒼穹が周囲を確認しながら的確に指示を出してくれる。二人が来てくれて助かった。


 鬼の背後に迫ると、私は小太刀を抜いて刀身に力を込める。


 刀の使い方なんて知らないが、当たりさえすればそれでいい。

 私は僅かに光る刀を思い切り振り上げ、そのまま目の前に迫る鬼の背中に叩きつけた。


 鬼は背中に襲った衝撃と痛みに悲鳴を上げ、手に掴んでいた子どもを投げ飛ばす。


 すかさず、凪が子どもを拾いに向かった。


 鬼は、私達を振り払うかのように腕を振り回し、鋭い爪で切り裂こうとしてくるが、桔梗はそれを上手く躱して避けていく。


 鬼がこちらに意識を向けている隙に、鬼の上部に移動した蒼穹が、思いきり鬼の首に刀を振り下ろした。


 私達がそのまま上空に退避すると、凪がそれを追って子どもを連れて来てくれた。


「ありがとう、二人とも。子どもは無事?」


 私が聞くと、凪が抱えた子どもを見下ろす。


「気を失ってますが、生きています」

「良かった」


 私は小さく息を吐き、周囲に視線を巡らす。


 近くまで来ると、よりはっきりと、地上のパニック状態がわかる。このままでは、統制の取れぬ混乱の中で被害が更に拡大してしまう。


 ここに来る前と同じように声を張り上げれば、少しは状況を改善する一手になるだろうか。


 私は子どもに目を向け、ぐっと拳に力を込める。


「聞いて!」


 私の声が周囲に響くと、パニックになっていた者達も、鬼も引っくるめて、皆がはたと止まり私達を見た。


「京は必ず助ける! 市井の者は落ち着いて建物内に退避! 検非違使は市民の避難を優先! 蒼穹!」

「はっ!」

「ここをお願い!」

「お任せください!」


 蒼穹は上空を仰ぎ見ると、バサっと手を大きく一つ振る。


「かかれ!」


 蒼穹の轟くようなの掛け声に、上空に控える軍が一斉に下降する。


 凪は近くの検非違使に子どもを預け、私達は下降する軍とすれ違うように上空へ移動した。


 途中、凪が疲れたような声をだす。


「後先考えずに飛び出すのはお止めください……璃耀様が目を離すなと仰ったことが身に沁みます。」


 私は凪の言葉に、上空でこちらを心配そうに見つめる璃耀を見やる。


 ……しまった……


「私は本当に翠雨様に着いていって良いのでしょうか」


 凪が呟くように不満を漏らした。



 残りの兵が待機する場所まで近づくと、カミちゃんが私の側まで降りてくる。


「白月様の無茶は相変わらずですね。」

「早速もらった刀が役に立ったよ。」


 ニコっと笑って見せると、カミちゃんは先程の凪と同じように疲れた表情をする。


「無茶をさせるためにお渡ししたわけではないのですが」


 カミちゃんと凪は揃って深い溜め息をついた。


「では、私達も向かいます。白月様。くれぐれも無茶はなさらず。どうか、ご無事で」

「うん。カミちゃんも」


 私の声に、カミちゃんは気を取り直したように勇ましい笑顔で頷き、下降していった。


「私達も行こう!」


 私達が自分と共にくる予定の者たちの元へ合流すると、瑛怜の使者が進み出る。


「ご案内します」



 私達は、使者に着いて幻妖京を飛び越える。宮の後ろにある森につくと、使者は次第に下降を始めた。


 黒の渦のある場所を聞くと、使者は二つの大石が重なるように鎮座するその間を指し示した。

 例のごとく、周囲は切り開かれたように何もない空間だが、そもそもが荒れ地のようになっていて、渦があることがすぐにはわかりにくい。


 ただ、それよりも大きな問題がある。


 徐々に、小鬼が穴の向こうからこちらにやってきているのだ。


「烏天狗がまだ到着していませんが、まだ、数が少ないうちに対処してしまうのがよろしいかと」


 宇柳の言葉に私も頷く。


「うん。そうしよう。

 桔梗、黒の渦まで真っ直ぐ飛んで、私が降りたらすぐにその場を離れて。宇柳、小鬼をお願いね」

「はっ!」


 二人が歯切れよく返事をすると、宇柳は早速兵たちに指示を出し始める。


「白月様」


 背後から突然、璃耀の声が響く。

 振り返ると、璃耀は眉根を寄せて何か言いたげに一度口を開いたが、すぐに口を噤んでしまった。


「どうか、ご無事で」


 思い直したようにそれだけ言う璃耀に、私はできるだけ安心させられるよう、ニコリと笑って見せる。


「うん。行ってきます」


 私は明るくそう言うと、桔梗に乗ってまっすぐに黒の渦の前まで移動する。


 随行していた兵たちは、散開してそれぞれが小鬼に向かっていった。


「絶対に近くに入らないで!」


 そう兵たちに呼びかけながら、パチンと手を合わせ、そのまま桔梗から飛び降りる。


 桔梗が背後をそのまま過ぎたのを目の端に捉えながら、黒の渦に向かって手を広げて祝詞を唱え始めた。


 直近で見てきた黒の渦と同じくらいの大きさだ。


 鬼たちはここから出てきたのかと唇を噛む。

 もっと早く対処できていれば、と思わずに居られない。


 あの時と同じように、私に目をつけた小鬼達がこちらに寄ってこようとしては、陽の気に晒されて悲鳴をあげる。


 妖だろうと、鬼だろうと、何者かが傷つき死に向かう様は見ていられない。


 ギュッと目を閉じ、掌に集中する。


 瞬間、突如背中にドンという衝撃と刺すような鋭い激痛が走った。

 周囲に小鬼の姿はない。皆が私に近づけまいと戦ってくれている。


 ただ渦を消滅させるだけで、そんなことになったことがなく、ただただ疑問が湧き上がる。


 黒の渦は三分の二ほどまで小さくなっていた。

 でも、まだもうちょっとだ。小鬼が屈めば通れる大きさでは困る。


 刺すような痛みは、体の中でずっとズキズキしていて、息がしにくい。

 一体何が起こったのだろう。


 手のひらから気の力が流れていき、ただでさえ力が抜けていっている状態だ。激痛で目の前が霞む。苦しい。耳鳴りがして周囲の音が聞き取りにくい。


 誰かに名前を呼ばれた気がしたけれど、それも良く分からない。


 渦はさらに小さくなってきている。ここで気を失うわけにはいかない。

 少なくとも、前のように、何者も通れなくなるくらいまでは小さくしておかなければ。


 ツウっと汗が頬を伝う。


 後もうちょっと。そう思った時、誰かにドンと突き飛ばされた。霞む目で、桔梗が直ぐ側で刀を構えたまま何かを叫んでいて、いつの間に降りてきたのか、璃耀が私に覆いかぶさったのだけが見えた。


 穴は小さくなっただろうか。京の鬼達は退けることが出来ただろうか。カミちゃん達は無事だろうか。


 私の意識はそこで途絶えた。



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