閑話 side.璃耀:遠い日の追憶

 白月が帝位につく前。自分が何者かも知らぬまま、白月と紙太、楠葉、璃耀の四人で京を目指して旅をしていた頃のお話。


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 パチパチと爆ぜる焚き火を掻きながら、璃耀はスウスウと寝息を立てる白月を眺める。


 チラチラ周囲を照らす焚き火の前では、小さく無防備な兎を守るように紙太がその上に座っている。うつらうつらしているところを見ると、護衛の意味があるかは不明だ。

 その隣では楠葉が丸まって眠っていた。


 璃耀はここから先の旅路を思い、小さく息を吐きだす。


 白月は京に向かうつもりだ。しかし、本当に京に近づけて大丈夫なものか。何事もなく用をすませて戻ってこられるのか。この小さな兎の身の上を思い、一抹の不安が過る。


 白月達と共に旅をするようになってしばらく経つが、まさか自分がこの様に新たな主を得、その先行きを憂う事になろうとは思わなかった。



 先帝が崩御され、柴川の長子が帝を僭称し始めたあたりから、璃耀の中で朝廷への不信感が少しずつ大きくなっていった。そして、驟雨が三貴族家に対し自分への忠誠を誓わせようとしたことが、璃耀にとっては決定的な出来事になった。


 璃耀は先帝と、あの方の示した世継ぎ以外に仕えるつもりなどさらさらなかった。だからこそ、早々にそれに反発して家と朝廷を飛び出した。

 今頃、兄が雉里の当主として諾々と柴川に仕えていることだろう。

 朝廷と家のことを考えると、どうしても苦い思いがこみ上げる。


 ただ、もう捨てたものの事を考えたところで仕方がない。

 璃耀は京を出たあと、妙に薬草に詳しかったあの方の言葉を思い出しながらフラフラと薬草を摘んでは売るようになった。



 それから、どれほどの月日が流れたのだろう。

 薬を摘んではあちこちに売りに行く生活は、自分が貴族であったことを忘れるほどに板についていた。


 そんな中、陽の山の周辺で妙な噂を耳にするようになった。


“蓮華の園の蓮華泥棒を知略を用いて何とも見事に見つけ出し捕らえた兎がいるらしい”


“あの蓮華姫が大層感謝して、見返りなしに大量の蓮華を持たせたそうだ”


“薄銀色の小兎が、狸の里の大妖を退治したらしいぞ”


“不格好な紙人形を連れた兎が、寄せられる問題事を次々と解決しているらしい”



 良くも悪くも大きな変化の生まれない、京から遠く離れたその東の地で、その兎にまつわる噂は一滴しずくの違和感を落として波紋のように広がっていく。


 半分は興味本位だった。ただ、もう半分を占めたのは、自分と同じように驟雨へ反旗を翻して朝廷を出たはずの紅翅への憤りであった。


 蓮華姫と呼ばれる朝廷の元侍医が、主上の持ち物である蓮華を良く分からぬ兎に持たせた。

 その噂だけは捨て置けなかった。


 周囲を気遣い市井の者たちにも心を砕くあの方の意志を受継ぎ、病に苦しむ者に薬を分け与える所までは良い。ただ、そうではない者に、自由に蓮華を分け与えるべきではない。

 正当な世継ぎが現れぬのなら、あの園はまだ先帝たるあの方のものだ。それに、蓮華が無闇に持ち出されれば、それが持つ効能故に園が荒らされる可能性もある。

 あの方はもう居ない。それでも、あの方の持ち物を自由にするなど、許して良いことではない。

 璃耀はそう考えていた。


 丁度近くまで来ているのだ。紅翅の元に向かい真意を問いただそうと、璃耀は蓮華の園をめざした。そのついでに、噂の薄銀色の兎とやらを探し出してどのような者か見極めてやろうと考えていた。



 しかし、そうやって蓮華の園に向かう途中で、念のため様子を見ておこうと立ち寄った人界への綻びが閉じていることに気づいて、璃耀は愕然とした。

 人界への綻びは、璃耀にとって、崩御されたあの方との細い繋がりだったからだ。


 あの方は、兎角、空やにまつわる名をつけたがった。貴族家の醜い御家騒動にうんざりしていた璃鳳に、代々受け継がれる“鳳”の字でなく“耀”の字を与えて呼んだのも、泥だらけで悪餓鬼だった狐を拾い上げて蒼穹と名付けたのも、もしかしたらもう一度、青い空と陽の光を浴びたいと密かに願ったからかもしれないと、璃耀はそう思っていた。


 だからこそ、陽の下には行けずとも、主がそこまで心を寄せるその場所を自分の目で見てみたかった。


 あの方を失い、結界の綻びが目立つようになったことで、あちらとこちらを行き来できるようになったのは、まるで皮肉のようだった。


 しかし、あの方の生まれ育った地をどうしても見たくて、璃耀はその綻びを使い、人界へ足を踏み入れるようになったのだ。


 そしてそこで目にした世界は、璃耀にとって驚愕と魅力に溢れたものだった。

 特に驚くべきはその成長速度。

 見るたびに変わり著しく進化していくその世界は、まるで妖界を置き去りにするように、ぐんぐん技術を磨いて成長を遂げていく。


 ああ、この様な世界に生きたからこそ、あの方はあんなに眩しく前を向き、歩みを止めずに生きていらっしゃったのかと、まるであの方自身を見ているようで、それが璃耀にとって何より嬉しかった。

 あの方を失い味気のない惰性のような生活の中で、ようやく小さな光を見出したような、そんな気がしていたのだ。


 それを失うかもしれないという現実は、ようやく灯った蝋燭の小さな火を一本ずつ消されていくような、僅かに残った細い光の筋すら断ち切られていくような、絶望にも似た思いを璃耀に抱かせる。

 璃耀の中に、失いたくないという焦燥が押し寄せた。


 璃耀はあちこちに話を聞いて原因を探りはじめた。しかし、光の渦が人界につながる結界の綻びだということは、朝廷やそれに匹敵する自治区の上層部に仕える者以外には殆ど知られていない。

 情報を集めるのは中々に困難を極めた。


 それでも諦めずに根気強く聞き込みを行っていくうちに、例の薄銀色の兎が結界を閉じていっているかもしれないという一つの可能性が浮かび上がってきた。


 璃耀は眉を顰める。


 結界の綻びは、陽の気を使う以外には閉じることが出来ない。

 もしそうだとすれば、あの方と同じ陽の気の使い手が、あの方の死後100年経ってようやく遣わされたということだ。

 紅翅が蓮華を持たせた理由はそれだったのだろうか……


 そんな疑念を抱きながら、璃耀は自分の知るいくつかの人界への結界の綻びを周り、ようやくその原因に遭遇した。


 そこに居たのは、聞いていた通り、不格好な紙人形を肩に載せた薄銀色の小さな兎だった。


 しかも、なんとも頼りない風体のその兎は、璃耀の制止も無視してパンと手を合わせ、キラキラした光の粒を白く輝く結界の綻びの渦に注ぎはじめた。


 本来なら力づくで阻止するところだ。如何に力のない元文官といえど、小さな兎くらい、何とでもできる。

 しかし、璃耀はそれに手も口も挟むことは出来なかった。


 それは、あの方を失ってから何度も夢に見た、あの方との思い出の一つと重なる光景だったから。


 結界石に陽の気を注ぐあの方の姿を、璃耀は毎日側で見守ってきた。

 疲れるから休みたいと言い出す主上をなだめて結界石の間に連れ出すのが日課だった。

“璃耀はうるさいな” と小さく笑いながら、彼は陽の気の結界の内に入り、パンと手をうつ。

 まるでうたを歌うかのように低く紡がれるその声とキラキラと輝く白と黒の光の粒がなんとも美しく、結界の外から見るその光景が、璃耀は何よりも好きだった。


 驟雨に支配された京を出た今、その光景をもう一度目にすることができるとは思いもしなかった。



 あの方との細い繋がりであった結界を目の前で閉じられることに、璃耀はもっと絶望するかと思っていた。でも、そうはならなかった。


 あの方の姿が、その小さな兎に重なったから。


 璃耀は言葉を発することもできずにその姿に魅入っていた。


“次の帝が来たら、お前がその子を支えるんだよ”


 病に伏せり、弱々しく笑ったあの方の声が、ありありと脳裏に蘇る。


 あの方と同じ陽の気の使い手が、今、自分の目の前にいる。あの方と同じ血を引く者が、あの方と同じ力を使う者が、その地位を奪われていることも知らずに、ひっそりと妖界に遣わされたのだ。


 璃耀の中に、じんとした何かが広がっていく。


 その兎がどのような者かは分からない。

 ただ、璃耀はあの方に、心のなかで静かに頭を垂れた。


“はい、仰せのとおりに”


 そう、一つ返事をする。

 あの方の最期の望みに、否と答える理由はなかった。




 白月は、旅の途中で次々と持ち込まれる相談事にため息をつきながらも、結局は放置できずに足を突っ込み解決していく。

 市井の問題事を放置できずにあれこれと指示を出していたあの方のように。


 人界の者の特性だろうか。それとも、その血に宿るものだろうか。


 何れにせよ、白月を見ていると、あの方と過ごしたあの頃を思い出す。もう二度と、こんな気持ちになることはないと思っていた。


 最初はただ、あの方の意志を継いだだけだった。白月がどんな者か見極めなければと冷静に思う気持ちもあった。


 しかし、何だかんだ言いながら、自分のことは後回しに周囲や見知らぬ妖に心を寄せ、危ういほどに真っ直ぐに突き進むこの小さな主を、璃耀は少しずつ慕い始めていた。



 璃耀は小さく寝息を立てる白月にそっと触れようと手を伸ばす。すると、先程まで寝かけていた紙太がピクリと反応し、ピリっと手を光らせて璃耀を牽制した。


 璃耀はそれに苦笑する。


 この紙人形も良く分からぬものだ。

 白月が随分信頼しているようだから側に置かせたままにしているが、どうにも反りが合わない。

 小さく喋れぬ癖に、感情表現と主張の強さは人一倍だ。


 そういえば、宮中に似たような人物が居たな、と、ふと黒髪の貴公子の姿を思いだす。

 ただ、璃耀はすぐに首を小さく横に振った。


 白月の身の上を考えれば、少なくとも、驟雨の弟など合わせるべき相手ではない。そもそも、今の朝廷に近づかないにこしたことはない。


 今はただ、白月のことをもう少し側で見ていたい。朝廷になど行かず、共に旅ができればそれでいい。


 そんなことを思いながら、警戒を解いてペタリと白月の上に座り込んだ紙太を横目に、璃耀は再び火をつついたのだった。

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白月色の兎 ー妖兎の幻妖京異聞ー 御崎 菟翔 @misaki-toto

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