第52話 結界石の間
泉を前回のように対岸からあがると、そこには、蝣仁が待っていた。
「御召し物を」
蝣仁が差し出してくれた着物や小太刀を身に着けながら現状を教えてもらう。
「軍の兵達は、白月様の生存を知らぬままですが、翠雨様は鬼に世を明け渡そうとした者を許すなと、軍を鼓舞して戦い続けています。今の間に結界石を押さえに参りましょう」
「璃耀と紅翅は?」
「無事です。宇柳殿が部下に命じて保護を」
「そう。良かった。二度も落ちて助かってたら、流石にこの泉の正体もわかっちゃうかな」
私が零すと、蝣仁は小さく首を横に振る。
「正確には確かめようがありません。前回と同じ方法で助かったと言っておけばよいのでは?」
「それもそうだね」
私は手早く準備を整え、蝣仁に向き合う。
「ところで、私達二人だけで向かって大丈夫?」
椎が情報を流していた以上、向こうは私が結界石を押さえるつもりだということを知っているだろう。
待ち伏せされている可能性が高い。
「暁と律が、兵を数名連れて先に道を作っているはずです。それに、死の泉周辺の制圧が叶えば、翠雨様達も合流される予定です。ご安心を」
なるほど。先回りして状況を整えていてくれてるのか。ありがたい。
私は蝣仁の影に隠れて移動する。
蝣仁は、文官なので腕っぷしは強くないが、姿を隠したり幻影を見せたりといった能力があるのだそうだ。
宮中から逃げ出したあの時も、その力を使ったのだろう。
すごく便利な力だが、敵に回ったら結構厄介だと思うのでカミちゃんの部下で本当に良かったと思う。
しかも、カミちゃんの事を語る様子を見るに、苦労はしていそうだが相当な忠臣のようだ。
蝣仁に案内されて死の泉の注連縄の外に出ると、あちらこちらで戦闘が起こっていた。
土埃の中でそれぞれが刀を合わせ、矢が飛び交う。
空から猛禽類が素早いスピードで降りてきて戦う者を空へ連れ去り、妖の姿で食らいつくように戦う者もいる。
何処かで爆発音のような轟音が聞こえ、突如突風が吹き荒れ、空が光る。
矢が刺さり、空から人が降り、刀傷に倒れ、それでも皆が戦っていた。
多分、蝣仁はできるだけ安全で、争いの少ない場所を選んで進んでくれているのだろう。
それでも壮絶な戰場の雰囲気に、怖くて、胸が苦しくなって、目を覆いたくなる。
私はただただ蝣仁の袖をギュッと握り、できるだけ蝣仁の背だけを見るように先へ進んだ。
ただ、チラと見えた空の戦いを見る限り、こちらが押しているようにも思えた。
検非違使が抜け、鬼が倒され、近衛だけになった現帝側に対して、軍団と烏天狗の連合軍だ。
数だけで見れば圧倒的である。
一方で、こちら側はその前の戦いからの連戦で、怪我と疲労が蓄積されている。
それが、圧倒的な武力で抑え込みきれない要因になっている。
……どうか、皆無事でいて。
私は祈るような気持ちで先を急いだ。
建物の一つに入ると、周囲の喧騒から少しだけ静けさを取り戻す。
建物の中はどこも似たような作りで、一体どのように歩いているのかわからなくなるが、一箇所だけ、見覚えのある場所に辿り着いた。
周囲に比べて一際豪奢な襖の前。
この部屋の地下に、結界石の置かれた部屋がある。
いよいよここまで来た。
私は大きく息を吸い、吐き出した。
部屋の前には、律と暁が居た。
私達に気づいた二人は、なんとも微妙な顔になる。何事かと思っていると、蝣仁に咳払いと共に私が掴んでいた袖をクイクイと軽く引かれた。
随分しっかりしがみついていた事に、私はようやくそこで気づいた。
「ごめんなさい……」
ぱっと手を離して謝ると、蝣仁は無表情のまま
「いえ、お気になさらず」
といった。
そんな風に言われたら気になるんですけど……
「首尾は?」
蝣仁が尋ねると、律が進み出る。
「室内は制圧しました」
「下は?」
「問題なく」
蝣仁は一つ頷く。
「では、参りましょう。結界石のある部屋さえ押さえられれば、勝利は目前です」
私も蝣仁の言葉に頷いた。
豪奢な部屋の奥にぽっかり口を開ける地下通路の入口に向かい、ニ列になって石階段を降りていく。
辿り着いた先は、以前見た、結界石が奥の地面の上に鎮座する部屋だった。
結界石の周囲は陽の気で出来た結界で覆われている。
部屋を見た瞬間、あの時のことが急に蘇ってきて全身に悪寒が走った。
「白月様」
背後を守る暁に気づかわし気に声をかけられ、ビクッと肩を震わす。
私は一度奥歯をぐっと噛んだあと、暁を見てニコリと笑った。
「大丈夫、行こう」
私達は一直線に結界石に向かう。
まだ外では争いが続いている。
でも、私が結界石に気を注ぐことができれば、鬼界の者や帝の目論見を潰すことはできる。
鬼の脅威を心配する必要が無くなるのだ。
しかし、私が陽の結界に足を踏み入れようとしたその時、部屋の外が俄に騒がしくなったのがわかった。
「何事だ?」
蝣仁が言うと、直ぐに兵が一人部屋に飛び込んでくる。
「申し上げます! 岳雷様が兵を率いて……」
と言ったところで、報告をしていた兵が前向きに倒れ込んだ。
背に大きな刀傷がある。
その向こうに、複数の兵がこちらへ押し入ろうとしてきているのが見えた。
格好から見るに、近衛兵だろう。
こちらの手勢を遥かに上回る数が、先程の兵を乗り越えて入ってくる。
「袋の鼠だ」
その兵の後方から、岳雷が笑みを浮かべながら悠然と進み出た。
岳雷を見るやいなや、蝣仁が私を陽の結界の中へぐっと押す。
「白月様は結界の中へ」
私にとっては、この陽の気の結界は守りになるが、この結界を背後にする皆にとっては、危険と隣り合わせの状態だ。
押し込まれただけで生死に関わる。
逃げ場がない。
「やれ」
岳雷の掛け声と共に、陽の結界を背に構えるこちらの手勢を、近衛兵が力押しで攻撃し始めた。
多勢に無勢だ。こちら側の兵が何とか迎え撃とうとするが、次々と倒れていく。
怪我にうめき、気を失って姿が戻ってしまう者もいる。
岳雷はその間を縫うようにこちらへ歩み寄ってくる。
律と暁が、私の前に立つ蝣仁を守るように立ち塞がった。
しかし、一閃。
岳雷が刀を振るうと、律と暁は抵抗も許されず、その場に崩折れた。
二人はうめき声を上げて地面でのたうつ。
その二人に目を向けることもなく、岳雷はいやらしい笑みを浮かべて私と蝣仁に向き合った。
「まさか、生きているとは」
私を見てそう言いながら、刀の切っ先だけは蝣仁に向けている。
「たかが兎に随分と煩わされた。こちらの手勢も随分減ってしまったぞ」
蝣仁も私も、蛇に睨まれた蛙のように立ち竦む。
できたら蝣仁に逃げてほしいが、こちらの手勢は既に皆倒れ込んでしまっていて、岳雷の背後を近衛兵が取り囲んでいる。
完全に逃げ道を塞がれた状態だ。
「翠雨も璃鳳も蒼穹も紅翅も、全て、得体の知れぬ兎に協力し、我らを裏切った事を心底後悔させてやる」
切っ先を当てられた蝣仁の首から、一筋の血がツウと流れる。
「手始めにこいつだ」
岳雷は蝣仁の胸元をぐっと引き寄せ、私に見せつけるように、蝣仁の首に、刃を水平にぐっと近づけた。
「出てこい。兎。出てこなければ、お前のせいでコイツは死ぬぞ」
「なりません、陽の結界に……」
蝣仁がそう言いかけたところで、岳雷はぐっと刀を引き上げる。
刀を伝って溢れる血がポタリポタリと滴る。
岳雷は本気だ。
私をここから引き摺り出すためなら、この部屋に生き残っている者全てを殺し尽くすくらいの事、簡単にするだろう。
……ああ、やっぱりダメだ。
私のせいで、死なせることはできない。
私が一歩、陽の結界から足を踏み出すと、近くにいた近衛兵が私の手を掴み後ろに捻りながら、体ごと上から押さえつけ、そのまま膝をつかされる。
蝣仁を床に叩きつけるように突き飛ばした岳雷が、私の目の前に立ち塞がった
陽の気を発して身を護る余裕もなく、私はギュッと目を瞑る。
「死の泉での処刑などと言わず、最初からこうして息の根を止めておけば良かったのだ」
そう言うと、刀を思い切り振り上げた。
瞬間、ドッという音が頭上から聞こえ、地面にポタタっと血が落ちた。
覚悟した痛みはやってこず、恐る恐る顔をあげると、岳雷の体がグラっと揺れる。
大量の血飛沫と共に倒れ込んだ先に立っていたのは、返り血で赤く染まった着物を纏い、血に塗られた刀を持って立つカミちゃんだった。
同時に、拘束されていた体が自由になる。
体を起き上がらせると、私を捕らえていた近衛兵を凪が押さえつけているところだった。
「ご無事ですか?」
カミちゃんは、血で汚れた手を私に差し伸べる。
でも、手が震えてしまい、それを掴めない。
カミちゃんは自分の手や着物を見下ろす。
「……私が恐ろしいですか?」
私はそれに首を横に振る。
多分、安心したからだろう。ほっと息を吐くと共に、体が急に震えだしたのだ。
麻痺していた恐怖が遅れて急にやってきたように、今更心臓がドクドクと強く打ち付ける。
「……ご……ごめん……今回ばかりは本当に死ぬかと思って……ホッとしたら、急に遅れたみたいに震えが……」
カミちゃんはハァと息を吐き、懐紙を取り出して手を拭う。
それから、ペタンと座り込んだままの私の目線に合わせるように、膝をついた。
「……大事な右腕を救おうとしてくださり、ありがとうございます。おかげで、彼の者を失わずにすみました」
そう言うと、私の震えたままの手をスッと取って強く握る。
「ただ、どうか今回限りにしてください。我らの到着が遅れていれば、確実に命を失っていました。これを申し上げるのは二度目ですが、誰の命が失われようと、貴方は生き残らねばならないのです」
言いたいことは理解できる。
でもやっぱり約束はできない。
もう、こんな事は起こらないと思いたいが、多分同じ状況に陥ったら、同じように飛び出してしまう気がする。
自分のせいで、目の前で誰かを失うのは耐えられない。
カミちゃんは私の様子に、もう一度、ハァと息を吐き出した。
「立てますか? 結界石に力を注いで頂かなくてはなりません。」
「もうちょっとだけ待って」
私は未だ小さく震える自分の手を見る。
「そこまでお供しましょうか?」
「……お供って……」
陽の結界の中に入れないのに、、、と思っているとカミちゃんは得意げにニコリと笑った。
「なに、いつもの通りですよ」
そう言うと、懐から紙人形を取り出し、体を紙人形に移す。
ああ、そういうことか。
カミちゃんの人の体はふっと消え失せ、私の目の前には、頭に不格好な絵が描かれた紙人形が現れた。
それが、ぴょんぴょんと飛び跳ね、私の肩の上に乗る。
何だか凄く懐かしい感じがする。
カミちゃんは、私の着物をぐいっと引っ張った。
さっさと力を注げということだろう。
「はいはい」
私は苦笑紛れにそう返事をして、ゆっくり立ち上がる。
カミちゃんが肩の上に来たからだろうか。体の震えはようやく落ち着きを見せていた。
改めて周囲を見回すと、かなりひどい状態だ。
ただ、カミちゃん達が敵を抑え込んでくれたようで、この場には既に味方しかいない。
暁や律、倒れたり怪我を負った兵たちも、運び出されていく。
私はふうと息を吐いて、カミちゃんを肩にのせたまま、陽の結界に入った。
カミちゃんの体が、僅かに光を帯びるのもいつもの通りだ。
「じゃあ、やろう」
結界石に向き合うと、カミちゃんが肩の上で頷いたのがわかった。
パチンと手を合わせ、頭の中の祝詞に言葉を這わせる。
掌から、白と黒の光が折り混ざって溢れるように出ていき、それが結界石に次々と吸い込まれていく。
不思議と、コップに水が注がれていくのが見えるかのように、結界石の状態がわかる。
それに合わせて、妖界を包む結界が少しずつだが補強されていくのもわかった。
注ぎ始めは、本当にギリギリの状態だった。あれでは、あちらこちらで綻びが生じるのも無理はない。
ただ、先程から結構な勢いで注いでいるつもりなのに、なかなか増えていかない。
元はそれだけ大量の力が注がれていたということだろう。
徐々に私の手から出る光の粒の量が少なくなってきた。
ぐっと手に力を込めて、なるべく多く注ごうとするが、なかなか思うように増えない。
額から頬にツウと汗が伝う。
……あ、この感覚は知ってる。前に気が枯渇しかけて倒れた時と同じだ。
もともと残っていたのと合わせて、結界石の十分の一も注げていないが、私はぱっと手を下げる。
倒れはしないが、目眩がする。
ギュッと目を閉じてその場合に座り込むと、陽の結界の向こうから、ざわめく声と凪が私に呼びかける声が聞こえ、カミちゃんが心配げに私の顔を覗き込んだ。
「……大丈夫。ただ、満たすにはかなり力が必要みたい。何日か通わないと」
カミちゃんはこくんと頷くと、私の上からピョンと飛び降り、陽の結界から出る。
直ぐに人の姿に変わると指示を出し始めた。
「誰ぞ、紅翅の元へ行き、白月様に薬を。宇柳、一部の兵をここに残し、蒼穹達の加勢に向かえ。あちらも然程時間はかからぬだろう」
それから、私の方に向き直る。
「白月様は、結界内に留まるのが一番安全です。そちらでゆっくり体を休めていてください。全て終わらせてまいります。凪、白月様を頼んだぞ」
「承知しました」
カミちゃん達が踵を返して外に出ていくと、私はほっと息を吐いた。
「白月様、大丈夫ですか?」
結界の中に入れない凪は、外からもどかしそうに私の様子を伺っている。
「うん。私は大丈夫。蒼穹やカミちゃん達は大丈夫かな」
「ええ。我らがこちらに来る頃には、ほとんど趨勢は決まっていました。翠雨様達が合流すれば、程なく制圧出来るでしょう」
凪は躊躇いなく頷く。
この様子なら、外のことはきっと大丈夫だろう。
「怪我をした皆も、無事だと良いけど……」
「怪我が酷く気を失っている者はいましたが、死者は居ませんでした。恐らく大丈夫かと」
「璃耀と紅翅は?」
「紅翅殿は意識もはっきりしていたので問題ございません。璃耀様は……体は問題無さそうですが、意識が戻ってみないとなんとも……」
璃耀は精神的に不安定な状態になっていた。
それが元の状態に戻るには、少し時間がかかるのかもしれない。
戦乱が落ち着けば、少しは璃耀の精神も落ち着くだろうか。
結界石にもたれかかると、先程よりも少しだけ注がれた力が揺らめいているのがわかる。
満たすにはまだまだ時間が掛かりそうだが、少しは補強出来ただろう。
最大の目的をひとまず達成し、どっと押し寄せる疲れに身を委ねて、私はそっと目を閉じた。
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