第26話 クレイジーキティ7
ソーモンの街からネス港へ移動した翌日の朝、わたしたちはガルマンダに連れられてローエン・レイモンドと面会した。
ローエンは貴族として容姿も仕草も申し分なく、口調や声も気品に溢れていた。
一見してローエンがソーモンと関係を持っているということを見抜ける者は、絶対にいないだろうと確信できた。
ローエンとの面会は形式的なもので、簡単な挨拶と歓迎が殆どで、ソーモンのことなど一切触れられずに終わった。
面会を終えたわたしたちはガルマンダに連れられて、今度はジャックス・レイモンドと会うことになった。
ガルマンダから昨夜のうちに簡単な給仕の手ほどきは受けていた。
お茶の用意もたどたどしかった不器用なエルは、掃除や片付けや必要品の買出しなどのジャックスとは直接対話をあまりしないような役割を当てられた。
ソーモンでの仕事で貴族の家への潜入や貴族令嬢への変装など比較的に上品な振る舞いも心得ているわたしは、ジャックスにより近い位置での給仕や我がままを聞くことなり、少し気が滅入り溜息が多くなった。
ガルマンダがお茶の乗ったサービスワゴンを引き、わたしたちをジャックスの部屋へ連れて行く。
わたしたちはガルマンダの背後に着いて、黙って歩調を合わせる。
ジャックスの部屋の前に着き、ガルマンダが足を止める。
わたしたちも足を止め、部屋をノックするガルマンダを見つめる。
「ジャックス様、お茶をお持ちしました」
「入れ」
部屋の中から子供の澄んだ声が聞こえた。
「話は朝のうちに通してある。お前たち、着いてこい」
ガルマンダがそう言い、わたしたちは、はい、と短く返事をする。
サービスワゴンを押して、部屋に入るガルマンダに続いて、わたしたちも部屋に足を踏み入れる。
部屋を見渡すと、テーブルの前のソファーに深々と腰をかけている子供がいた。
生意気そうなその少年は、新聞を広げて足を組んでソファーに背をもたれて、年とは似つかわしくない堂々とした態度で座っている。
ガルマンダから一歩引いて、わたしたちは部屋の中で立ち止まり、新聞越しの少年を見つめる。
ガルマンダがサービスワゴンの上でティーポットにお湯を入れる。
ティーポットの中でお茶の葉を少し蒸らしてから、慣れた手つきでティーカップに紅茶を注いだ。
テーブルに紅茶の入ったティーカップを置き、ガルマンダが口を開く。
「ジャックス様、今朝、お伝えした新しいメイドの二人を連れてまいりました」
「うむ」
そう頷いて、ジャックスが新聞から顔を覗かせる。
わたしとエルは同時に静かに頭を下げた。
「メルと申します」
「エルと申します」
わたしたちは名前をジャックスに告げた。
ジャックス少年は男性的でも女性的でもない年相応の、まだ可愛げがある顔をしていた。
「姉妹ともども、どうぞよろしくお願いいたします」
わたしは新聞越しのジャックス少年に頭を下げたまま、そう挨拶をする。
「顔を上げたまえ」
ジャックス少年が新聞を折り畳みテーブルに置き、偉そうな口調でそう促す。
顔を上げると、大股でソファーに座る赤い髪のジャックス少年が、窮屈そうに無理して腕をソファーの後ろに回す。
わたしたちの澄ました顔を見て足を組みなおし、掌を返して不敵な笑みを浮かべてジャックス少年が言った。
「目つきが悪い、あと怖い」
わたしたちに言った第一声がそれだった。
ジャックス少年が続けた。
「まるで噛み付くタイミングを見計らっている凶暴な猫のようだ。いかにもローエン兄さんが好きそうなやつらだな」
このガキ……、わたしはすかした態度のジャックスに対し胸中で舌打ちをした。
わたしは顔色を変えず、生意気なジャックス少年を見つめる。
「猫の飼い主はローエン兄さんで良いのかな? まぁ、いくら俺を監視しようと無駄だけどね。俺はローエン兄さんについて行くつもりはないよ」
齢十歳のこの歳で自分を取り巻く状況が読めているのか……、疑いつつわたしは黙ったままジャックスの話に耳を傾ける。
「何を企んでるのか知らないけど、俺はレイモンド家をローエン兄さんに任せる気なんて到底ない。でも、折角だからお前たちにはしばらく俺の為に働いてもらうよ。ガルマンダの負担も減るだろうしね」
ジャックス少年はソファーから立ち上がり、サスペンダーを調えて口を開く。
「よろしく。君たちの主人のジャックス・レイモンドだ。今日から兄さんではなく俺が飼い主だ」
少し間を置き、平常心を保ったままのわたしと、若干イラついていそうなエルは、頭を下げた。
「よろしくお願いします、ジャックス様」
わたしは頭を下げてそう言ったが、エルの声は聞こえなかった。
「早速で悪いが、誰か買い物に付き合ってくれ。出店を見回りたい」
ジャックスがそう言うと、ガルマンダが慣れた口調ですらすらと答えた。
「それでしたらメルをお供に連れて行かれるとよいでしょう。エルにはこの後、雑用の仕事を教えなければなりませんので」
「そうか、わかったガルマンダ」
ジャックス少年がわたしを見て、指を向けて言った。
「髪の長いほうがメルだな。準備をするから少し待っててくれ」
「はい、ジャックス様」
ジャックス少年はそう言うと鏡台に向かい赤い髪を整え始めた。
わたしはガルマンダに顔を向けた。
ガルマンダは何も言わず、まかせた、と言わんばかりに私に向けて静かに頷いた。
わたしもガルマンダに頷き、その意図を汲み取った。
大体、事前にガルマンダから聞いた通りの展開となり、わたしは少し安堵した。
隙を見てジャックス少年を睨むエルの機嫌が悪くなるのも想定済みだった。
その後、わたしと支度を終えたジャックス少年は部屋を出て、ネス港の出店へと向かった。
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