第13話 夜4 貧乏貴族は大切な思いに向かって……

 麻袋を担ぎ、レザートランクケースを手に持った少女――リア・グレイシアは、へとへとになりながら家の玄関のドアを開けた。


「た、ただいまですわ……」


 ドス、と廃棄処分のジャガイモが大量に積まれた重そうな麻袋を床に置き、レザートランクケースを持った手でリアが玄関のドアを閉める。


 リアはその場でレザートランクケースを床に置き、両手で両膝を押さえ前屈みになり、肩を大きく上下させながら荒い呼吸を整える。


「思ったよりも重労働でしたわ……」


 ぜぇ、ぜぇ……、と今にも床に倒れそうなリアは、大量の汗を顔から流しつつ心底くたびれた様子で、荒い息を整える。


 そんなくたびれた様子の妹のリアに、いつものようにリビングの窓際のテーブルでくつろいでいた貴族風ニートなのに超がつくほどのイケメンの兄――ユリウス・ロップス・グレイシアは、迎えの言葉をかける。


「おかえり我が妹よ! なんだが疲れた様子だが珍しいではないか」


 前屈みのまま、両手で膝を押さえて荒い呼吸のリアが、苦しそうに声を発する。


「な、なんでもありませんわ……」


 頬と額に溜まった大量の汗を右手の甲で拭い取り、リアが上半身を起こす。

 顔を上げると、キッチンカウンター越しのリビングに、いつもの兄の様子が目に映った。


 一度、大きく息を吐き呼吸を整えたリアが、左手でレザートランクケースの取っ手を持ち、リビングの兄の元へと向かう。


「今日の晩御飯はジャガイモですわお兄さま」


 リアがそう言いつつ、キッチンカウンター脇を通り、リビングでテーブルに向かってくつろぐ兄の前に立つ。

 どこか今朝とは様子の違う、兄のくつろぐ光景の違和感に気がづいたリアが、兄に訊いた。


「あらお兄さま、いつものマグカップとやかんですわね」


 兄の前にはいつもの木のマグカップと、ベコベコのやかんが置かれていた。

 ふっ、と前髪を掻き揚げ、ユリウスが言った。


「妹よ、形ある物はいずれ滅してしまうものだ」


 怪訝な顔をしてリアが、清々しい顔の兄をさらに問いただす。


「どういうことですの?」


 兄は傍らに置いてあったヌワールのティーカップであった物を、リアに見えるようにすっ、と静かにテーブルに差し出した。


「壊れた取っ手ですわね……」


「見てくれ妹よ。壊れてもなお美しさを保つこの名品を」


「まさかとは思いますがお兄さま、あれを壊されまして?」


 ふっと笑い、美形の兄は再び前髪を掻き上げてセクシーな吐息を吐く。


「物の大切さを知らしめる為に、我々と過ぎしてきた日々を大切な思い出として、彼らは儚く散ってしまったのだ」


「思い出なんて三十分も持ってないですわ!」


 ドーンと、床に手を置いて悲痛な叫び声を上げながら右拳で床を叩くリア。


「彼らとの時は金では買えないのだよ」


「買ったお金でご飯は買えますわ!」


 ドーンと、額を床に叩きつけ、悲痛な叫びを繰り返すリア。


「この際いくらでご購入されたかは怖いのでお聞きしませんわ! でも、少なくとも思い出の中で生きて通帳の中で使用されることをぬくぬくと楽しみにしていたであろうわたくしの可愛い五十ゴールドたちは……、誘拐同然で引き出しが印字された彼らの生まれてきた意味とはなんだったのですの! 彼らとそのゴミとは思い出の重さも夢も希望もある明日に向かって生きていく重要さも、同等の価値ではありませんわ!」


 失った生活費たちに涙を流しながら別れを告げ、リアが無常な世の儚さを嘆く。


 さらっと、兄が話題を変える。


「それにしても妹よ、あの重そうな麻袋は何なのだ?」


「廃棄処分を免れたジャガイモさんたちですわ……」


 家庭の為に健気に働く妹の大切な五十ゴールドを攫った悪魔のようなニートの兄が、ふっ、と妖艶な笑みを浮かべる。


「ではこれからは、その廃棄処分を免れた可哀想なジャガイモさんたちと、素敵な思い出を作っていこうではないか」


「数日間食べただけで終わってしまいますわ。しかも可食部分も少ないですわ」


 兄が人差し指を立てて左右に振り、腕の中で顔を伏せる妹を否定する。


「甘いぞ妹よ。文字通り、そのジャガイモさんたちを育てれば良いではないか」


 はっ、と泣いて赤くなった顔を腕から上げるリア。


「まさかお兄さま……」


 両手の掌を返し、余裕そうな態度を見せる兄は、妹に助言する。


「私がこれから夜なべをして、可愛い妹とジャガイモさんたちのためにプランターとその他もろもろを造ってやろうではないか」


「お兄さま!」


 両膝を床について跪いた姿勢で手を組み、どこかカッコイイ兄を見上げ崇める妹のリア。


「グッドアイデアですわお兄さま! それなら食費も浮きますし誰も悲しみませんわ!」


 兄が前髪を掻き上げて、顔を輝かせつつ言った。


「さぁ、始めようではないか妹よ。家庭菜園とやらを!」


「お兄さま、素敵ですわ」


 二人はこうして、家庭菜園というジャガイモたちとの思い出作りを開始し、とりあえず今日の晩御飯として、リアは麻袋に詰められた状態の悪いジャガイモを丁寧に剥き始めるのであった。




**********



 それから一時間半後。


 リアとユリウスは食事を終え、リアは食器を片付けて洗い物をしていた。


 食事の献立は可食部の少ないジャガイモだけのポテトサラダだった。

 粉ふきいもにしたジャガイモを潰し、油で整え、塩とマヨネーズで味付けして、乾燥パセリで彩を加えて皿に盛っただけのものである。


 ユリウスに言われて不思議に思いつつも、リアはジャガイモから取った芽と青い部分と皮をバケツに分けて捨てずに保管した。


 椅子に座りくつろいでいたユリウスが、レザートランクケースに気がつき、キッチンカウンター越しに洗い物をするリアに訊いた。


「妹よ、さっきから気になっていたのだが、これは一体何なのだ?」


 リアが洗剤の泡が付いた皿を水で流し、洗った皿を水切りかごに並べつつ、答える。


「忘れていましたわ。それはマリエッタお姉さまからお兄さまに渡すように申し付けられていた物でしたわ」


 レザートランクケースを拾い上げ、ユリウスがテーブルの上に置いた。


「ほう、直接渡さないとは珍しいな」


 ユリウスが疑問に思いつつ、レザートランクケースの左右のシリンダーを回してスライドし、蓋を開ける。

 トランクケースの中身を見たユリウスが、思わず声を上げる。


「これは……」


 トランクケースの中にはヌワールのティーセット、ティーカップと皿が二つと銀のスプーンが二つ、ティーポットが一つと、それぞれがスポンジなどの衝撃吸収材で丁寧に包まれて入っていた。


 ティーセットを見つめるユリウスが、洗い物が片付きそうなリアに言った。


「妹よ、に付き合ってもらってもいいかな……」


 洗い物の最後の鍋の洗剤を水で洗い落としながら、洗い物が片付きそうなリアが答える。


ですわ……。今日はもう遅いからお風呂に入って寝させていただきますわ。色々あって疲れましたのでそういうのは明日にしてくださいまし……」


 ユリウスがレザートランクケースの中身を見せるように、キッチンカウンター越しのリアに向ける。


「マリエッタからもらったんだ、これを見てくれ」


 最後の洗い物を水切りかごに入れて、リアが水の流れる蛇口を閉め、水を止める。

 ため息をつき、リアがトランクケースに視線を移しつつ言った。


「もうなんですの、一体何を頂いたのですの……」


 リアもトランクケース内のヌワールのティーセットを目にし、驚く。


「それは、ヌワールの……」


 もう一度、ユリウスは中身を確認する。


「気を使わせてしまったな……」


 と、ユリウスがティーカップを手に持って言った。

 リアがキッチンカウンター越しから、ティーカップを手にとって眺める兄に言う。


「でも、やっぱり今日は疲れてましてよ。明日にしていただけませんかお兄さま?」


 ユリウスがティーカップを眺めながら答えた。


「今日でなくてはだめなんだ……」


「一体、今日は何ですの? お兄さまは、今日は朝から様子がおかしくてよ」


 疑問に思い、リアはティーカップを眺める兄にそう訊いた。


 ユリウスは、手に取ったティーカップの金の縁や薄い黄緑色の線を優しい目で見つめながら、答えた。


「今日は、母上の誕生日だ……」


 はっと、リアがそのことに気づき、暫く黙り込む。


 ユリウスがトランクケースからティーカップ、皿、ティーポットを順に全部取り出し、テーブルに置いて整える。


 そんなユリウスをキッチンカウンターから眺めつつ、リアは無言でやかんに水を入れる。


「お湯を沸かしますわ……」


 そう静かに言い、リアが水の入ったやかんをコンロの上に置き、火をつける。


 ユリウスが中身を全部取り出したトランクケースの蓋を閉め、それを床に置いた。


 テーブルの上には皿に乗ったティーカップとスプーンのセットが二つと、ティーポットが一つ置かれている。

 ユリウスが金の線に薄い黄緑色の彩がされたティーポットを手に持ち、言った。


「座っていてくれ」


 リアが頷き、ユリウスと入れ替わりでキッチンカウンターから出て、リビングの窓際のテーブルの席に着いた。


 ユリウスはキッチンカウンター内の上の棚から、高級紅茶ゴゴノカーディンの茶葉が入った筒を取り出し、ヌワールのティーポットに入れて蓋を閉める。

 角砂糖の入った硝子のポットを棚から取り出し、ユリウスはそれをカウンターに置く。


 ユリウスはやかんのお湯が沸騰したので火を止め、蓋を一度開けて湯気を少し逃がした後、蓋を閉める。

 生乳のような濃い白をベースに金と薄い黄緑色で色づけされたヌワールのティーポットの蓋を取る。


 ユリウスは茶葉の入ったティーポットの中に、ゆっくり回すように優しくやかんからお湯を注ぐ。

 お湯を十分に入れ、ティーポットの蓋をして、やかんをコンロに置く。

 

 ユリウスは紅茶の入ったティーポットと、角砂糖の入った硝子のポットを手に持ち、テーブルに向かう。


 兄の無駄の無い優雅な仕草に圧倒されながら、それを眺めつつリアは席で待つ。


 金の縁に薄い黄緑色の線で彩られたティーカップと皿を前に、口を閉じたリアが普段見せない優雅でおっとりとした表情で、すっ、と静かに姿勢を正す。


 ユリウスが砂糖の入った硝子のポットをテーブルに置く。


 リアの目の前のティーカップに、ゆっくり円を描いて泡が立たないように、ティーポットを持ったユリウスが静かに紅茶を注ぐ。

 リアの目の前のティーカップから立ち上る紅茶の湯気から、ほのかに甘い匂いがした。


 ユリウスがティーポットを持ったまま、静かに立つ。


 リアが硝子のポットから角砂糖を一つ取り出し、それ紅茶に入れて、スプーンで静かにかき混ぜる。


 リアはティーカップの取っ手をつまみ、しなやかに手と腕を動かし口に運ぶ。


 口に含み、目を閉じて舌の奥に甘みを残して喉を流れる紅茶を味わう。

 喉から鼻に抜けていく紅茶の香りを楽しむ。


 ユリウスはそのリアの姿を見守る。


 ユリウスの瞳に映っていた妹の優雅な仕草は、まるで、悠久の時とともに葉を凪ぐそよ風を楽しみ、緑色のぬくもりをもった木漏れ日の射す木陰で、優雅にお茶を楽しむ貴族の令嬢の姿のままだった。


 妹のその姿に圧倒され、驚くユリウス。

 我に返り、自分もティーポットから紅茶を自分のティーカップに注ぎ、リアと反対側の席に着く。


 ユリウスは砂糖を入れず、ティーカップの取っ手を摘んで上げ、そのまま口に含む。


 ユリウスは瞳を閉じ、紅茶の味わいを頼りに、おぼろげにしか思い出せない死んだ母との記憶を思い起こす。


 事件当日のことは一分一秒の細部の光景まで思いこすことが出来る。

 しかし、大切にしたいと今では思う昔の母との記憶……、母の姿や仕草、どんな表情をしていたのかという大事な思い出と記憶は、時がくれば儚く散ってしまう一輪の白い花のように、記憶の網を青空を漂う雲のようにすり抜けていってしまう。


 大事な思い出ほど大切で守りたいと思い、その守れず零れ落ちた記憶たちは、白昼夢のように漠然として思い出そうとしても霧散する。

 儚く、夢のような一時……、その時は目で見えていた現実の光景が、手のつかめない何かに変わってしまう。

 時の彼方に失ってしまった景色と、今も進んでいく時の景色は、お互いが反発する物質かのように同時に存在することが出来なかった。


 母との思い出……、ユリウスは薄っすらと思い浮かべた。


 木陰の白いテーブルに、白いティーポットとティーカップを並べ、優雅に気品溢れる優しい母の姿。

 そよ風に揺られている長い髪と母のドレス。

 母は、葉を凪ぐそよ風を聞くように、木漏れ日から瞳を閉ざしている。


 そんな、子供のころは当たり前だった儚く消えていく大切な記憶。


 ユリウスが目を開ける。


 目の前の瞳を閉じているリアと母の姿が重なる。


 リアも母との思い出に耽っているのか、再び、ユリウスも瞳を閉じる。

 口に含んだ紅茶の甘い香りが、当時、何でもなかった母との古い記憶を思い起こさせる。


 ユリウスとリアの兄妹は瞳を閉じ、紅茶の味と香りを頼りに、今現在も激しく流れる記憶の流れに逆らっていく。


 母の、大切な思いに向かって……





                  <貧乏少女と怪盗オクター>

                               ――了――  

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