第30話 深夜 ガルマンダの想い

 深夜の暗がりの街に家族の団欒の明かりはなく、目に映るのは誰も通らない長い十字の道を照らし続ける街灯の灯火と、街を二重に取り囲む城壁の門の警備用の灯火だけだった。


 街に建ち並ぶ建物よりも遥かに高い城壁の上に、黒いローブを着た白髪の老人――ガルマンダが、膝を立てつま先で身体を支える蹲踞そんきょの姿勢で身を屈んでいた。

 後ろで束ねた白髪の長髪とローブが、高い位置の風に煽られ棚引いている。

 ガルマンダは街の夜景を眺めながら、右手に持ったナイフを何度も宙に放り投げ、回転するナイフの柄を起用にキャッチする。


「……」


 何も言わず、夜景を眺めながら、ガルマンダはナイフを宙で回転させ、宙で回転しながら落下するナイフの柄を何度も右手でキャッチして遊ばせる。

 ガルマンダは昔のことを思い出しながら、一人、城壁の上で思いに耽る。




 幾度となく戦い、何人もの命を奪ってきた過去の自分……。

 幼い頃から秘密の里で暗殺者として鍛えられ、やがてソーモンの街にたどり着き、暗殺者家業を謳歌する。


 親も兄弟も、友も仲間も居ない、ずっと一人だった。

 一人で全てやってきて、生き抜いてきた。

 気を抜けば崖に落ちる暗闇の中を目を瞑って走らされるような日々の中、自分の強さ以外、頼れるものはなかった。


 領内で競合、敵対する秘密ギルドを壊滅させた時も、またあるときはギルドの計略で山奥の村に放った化け物を殲滅する時も、またあるときは王都に潜入して国王と敵対する王族の血筋を根絶やしにするときも、ずっと一人で戦い抜いて生き延びてきた。


 生きがいとは何なのだ、ソーモンの命令にただ従順に従い、自分の力をもって死線を超えて生き延びて帰ってくることか……、ガルマンダは自問自答を繰り返す。

 自分が強すぎて、このまま行けばいつか自分一人以外、全員殺してしまうのではないか……、若い頃、積み上げられた死体の山を眺めてそう思ったことが何度もあった。


 王都での任務の際、それがソーモンでの最後の殺しの任務だったが、同じように思ったことがある。


 国王に敵対する王族の分家の血筋になる一族を、一晩で皆殺しにした時だった。

 王都から少し離れた王宮で、その一族はガルマンダ一人の手によって終焉を迎えた。


 最後に殺したのは幼い兄弟だった。

 幼い弟の亡骸の上に覆いかぶさった幼い兄の亡骸から流れ出ていく大量の血と床の血溜りを、ただ立ち尽くして見下ろしていた。


 一晩でいくつもの命を奪い、静かになった宮殿の中で、ただ自分一人が人類から置き去りにされたような感覚に陥った。

 全ての命や歴史を根絶やしにして自分一人だけになって生き残るのか……、漠然とそう思い、むなしさが床を侵食していく血溜りのように広がっていった。


 後世に紡ぐ歴史も血もなにも残すものなどない自分が生き残り、一人で何をすればよいのか想像ができなかった。

 自分が唯一出来る殺しも、対象がいなければもう、自分にはなにも出来ない。




 その王族の分家の血を絶つ任務を終えて王国を出る時に、ガルマンダは人生初めての敗走をした。

 鬼神と恐れられた剣士ゴバドとその弟子のに遭遇した。

 そして鬼神ゴバドたった一人により、ガルマンダの存在意義であった伝説と恐れられた力は、自信と共になすすべなく砕け散った。


 戦闘で左目を失い、自分を追ってきてはいなかったことも認識しつつも、鬼神ゴバドを恐れて大陸を東から西へ何日も全力で逃げ回り、ボロボロの姿でソーモンにたどり着いた。

 死ぬことが怖かったのか、ただ鬼神が恐ろしかっただけなのか、追いかけてこない相手から無我夢中で逃げ回った理由が、何度考えても自分でも分からなかった。


 ソーモンのギルドでその無様な姿を見た他の者たちは、陰で嘲笑していただろう……、ガルマンダは自分の過去の姿を恥じる。

 伝説の暗殺者、ギルド最強の夢死幻狼むしげんろうが、ただただ無様な姿を嘲笑の中でさらけ出した。

 うな垂れて意気消沈したまま動かない、その姿を見たギルドの頭首は、使い物にならなくなった伝説を容赦なく切り捨てた。


 ギルドから次に与えられた命令は夢死幻狼むしげんろうの抹殺。

 そして、殺しとは程遠い、貴族の子供のお守りだった。




 それは今まで経験したことのない、生温く穏やかな環境だった。

 裏の世界で生きてきた自分の、その全てであった命のやり取りなどとは程遠く、想像もしたことがなかった表の世界の日常と光景だった。


 冷たい氷の塊を素手で掴むような、ナイフで削りとられる凍った命が、渇いた音を立てて擦り減る実感を受ける日々ではなかった。

 温い水が掬い上げた掌の指の隙間から流れ落ちていくような、浮かんでは消えて行く、掴めないものを掴もうとする儚い記憶の日々だった。


 ただただ子供の成長を見守り、我がままを聞くだけの日々。

 想像すらしたことのない、非現実的な光景だった。


 あるとき、その子供から自分の似顔絵を貰ったことがあった。

 とても下手な絵で、特徴は縛った髪と顔の傷、それに片眼鏡だけで表現されていた。


 家族という題材で美術の教師から子供が描かされたその絵を手渡された時、ガルマンダは経験したことのない、理解の出来ない感情を覚えた。

 自分に対する長年疑問だった答えがそこに合ったが、それがどういう答えなのか、見えているのに見えないものを掴もうとする、指の隙間から零れ落ちていく感情の水の正体を、はっきりと知ることが出来なかった。

 言葉に言い表せないが、気持ちが揺れ動いて何かを感じ取った感覚だけはわかった。


 その感覚が、未だに分からない。

 あれは一体何だったのか……、何度も自分の心に確認しようとするが、答えが掴めなかった。




 城壁の上で風に煽られながら、黒いローブを着たガルマンダは右手で遊んでいたナイフを鞘にしまい、夜景を眺めがなら口を開いた。


「ソーモンのやつらめ、あれだけの人数を潜伏させおって……」


 ガルマンダが苦い顔をして続ける。


「そんなに我々が信用ならんというのか」


 吐き捨てるようにそう言い、ガルマンダが立ち上がる。

 標高の高い城壁の上で、吹き止むことのない風が黒いローブとガルマンダの長い縛った白髪を棚引かせる。


「いよいよ明日だ。明日、長かったすべてが終わる……」


 明かりがぽつぽつと点在する街の夜景を見下ろし、ガルマンダが口を開いた。


「私は、必ずソーモンに復帰する」


 ざわついた心の中で揺れ動く決意を確認するように、ガルマンダは眼下に広がる街の夜景にそう吐き捨て、力強く言葉を発した。





             <ジャックス・レイモンドと執事たち>

                               ――了――

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