第55話 夜11 システムエラー
ボロボロの薄い上着と所々地の滲んだ白いシャツに丈の長い茶色いスカートを履いた少女――リア・グレイシアは、床に膝を突きしゃがみ、血を流し床に横たわる貴族の青年――ジャックス・レイモンドの青ざめた顔を覗いて叫ぶ。
「ジャックスさんしっかりして!」
青い貴族服の右胸に短剣が突き刺さったジャックスからの返答無く、目を瞑っている。
「だめですわ! わたくしの回復魔法では処置が間に合いません!」
真紅のワンピースドレスを着た金髪の女性――マリエッタ・ロードネスが、両手をジャックスの身体にかざして回復魔法をかけるが、諦めて白い魔方陣が発現する自身の手をジャックスからどけた。
リアとマリエッタは呼吸が次第に弱くなっていくジャックスの顔を見守る。
その時、大きな影が天井から覆いかぶさるように広がっていくのを感じ取ったリアが、チャペルに振り返った。
チャペルの大きなステンドグラスを背景に、とてつもなく不気味な漆黒の空間が膨れ上がり、チャペル、中央ドーム、側廊、身廊が瞬時に暗闇に飲み込まれていく。
丈の長い茶色いスカートを履いたリアが慌てて立ち上がり、急いで身廊の中央に落ちているショートソードを駆け足で拾いに行く。
毒の痺れが取れた右手でショートソードを拾い上げると、リアの周囲はもう黒い空間に飲み込まれ、天井から足元の地面まで平衡感覚がなくなるほど黒く塗りつぶされていた。
ジャックスの傍にいた真紅のワンピースドレスを着たマリエッタが、教会内の異常な事態に慌てて立ち上がり、周囲を見渡す。
「なんですのこれは⁉」
支柱の立ち並ぶ身廊、側廊も黒い空間に飲み込まれ、月明かりが差し込む二枚扉のなくなった教会の出入り口も、光を全く通さない漆黒の闇に塗りつぶされた。
真紅のワンピースドレスを着たマリエッタが足元を見ると、横たわっていたジャックスの姿も闇の中へと消えていった。
ショートソードを右手に握る丈の長いスカートを履いたリアの傍に、赤いマントを棚引かせシルクハットを被りクリーム色のタキシードを着た男――怪盗オクターが、音もなく姿を現し声を上げた。
「二人とも気をつけろ。何をしてくるのか全く予想もつかない」
月明かりに照らされていた寂れた教会内は、すべてが黒く塗り替えられた。
天井、床、チャペル、中央ドーム、側廊、身廊、出入り口も、黒い空間に包まれた。
大きなステンドグラス、瓦礫、支柱、釣鐘窓も、全部が黒く塗り替えられ、上も下も分からない漆黒の空間が、怪盗オクター、リア、マリエッタの三人を閉じ込めた。
三人を閉じ込めた漆黒の常闇の空間に、姿の見えない老人――ガルマンダの声が響き渡る。
「この漆黒の空間は我が力の領域……、この空間内は私の世界……、ここでは全ての理もこの私が全て決める。その空間内では、私は神に等しい力を持っている!」
カキーン、と金属音が響き渡る。
丈の長いスカートを履いたリアの右手から、握ったショートソードが弾き落とされた。
床に落ちたショートソードは黒い沼のような地面へと沈んでいき、跡形もなくなく消えてしまった。
真紅のワンピースドレスを着たマリエッタが、右手の掌を漆黒に覆われた天に向かってかざす。
マリエッタの右手の掌から黄色い魔方陣が出現するが、すぐに打ち消されて消滅する。
「魔法が使えませんわ!」
右手の掌を見て、マリエッタがそう叫んだ。
三人を取り込み、漆黒に包まれた空間内に、ガルマンダの声が響く。
「無駄だと言っただろう。ここでは私がルール、私が神なのだ!」
怪盗オクター、リア、マリエッタが漆黒の空間内を振り返り、響き渡る声の主に警戒する。
気配も感じない、音すら、呼吸音や心音すら全て常闇の中に吸い込まれていくような閉塞感が、三人を包み込んでいた。
三人を取り込む漆黒の空間内に、ガルマンダの声が響く。
「シャドウバインド……」
すると、怪盗オクター、リア、マリエッタの三人の黒い地面の足元から、幾つもの黒い鎖が飛び出し、瞬時に身体を巻き上げて縛り、三人の身体を拘束した。
「くそっ……」
と、ジョーカースマイルの仮面の奥から、黒い鎖に縛られて身を捩る怪盗オクターの声が吐き捨てられる。
リア、マリエッタも地面から伸びる黒い鎖に身体を縛られた身を捩るが、拘束が解かれる気配はなかった。
漆黒の空間内の三人の姿以外が見えない暗闇の中で、目に見えない物体が飛び回る。
目に見えない物体は僅かな風を起こし、三人の周囲を飛びまわっているようだった。
薄い上着を着たリアの左肩に、鈍い痛みと衝撃が走る。
左肩に痛みを感じ、黒い鎖に身体を縛られて動けないリアが、堪らず声を上げた。
「ぐあ!」
リアが左肩に顔を向けると、黒いクナイが左肩に突き刺ささっていた。
「リア!」
身体を拘束されて動けないマリエッタが、黒いクナイが左肩に刺さったリアに向かって声を上げた。
暗闇の中で、ガルマンダの声が響く。
「この技は邪神と魂を契約した我が究極の奥義。空間内に閉じ込めた者の命を必ず奪い、その魂を邪神へと捧げる生贄の儀式。術者はすべてが終わった後代償として命を落とすが、例えレジェンドクラスの実力者であろうと、例え神域スキルを使う転生者であろうと、この邪神の力の空間内では抗えずに死を迎えるしかないのだ!」
ガルマンダの笑い声が漆黒の空間内に響く。
「こんなところで……」
黒い鎖に身体を縛られて身動きの取れないリアが、ぎゅっと目を力強く瞑り、悔しがる。
目を瞑るリアの脳裏に、走馬灯のように最近起こった思い出深い記憶と、出合ってきた人たちの顔が蘇っていく。
味を想像しながら楽しみにした川原の蛙取り、ウエイトレスをしている時に店に来店した客たちの注文や顔、厨房で大きな鍋を振る店長のダニエル、友達のバレッタとエイブリンとポリリー、学生祭で食べた美味しかったイカの姿焼き、道路を占領して演奏するパレード、一緒にいるジャックス、家の玄関で育てて水遣りをしている風景とそれを浴びる土の中のジャガイモたち……、悔しがるリアの脳裏に、主に食べ物関係が多かったが、いろいろ浮かんでは消えていく。
「儚く消えていく曖昧で生温い記憶の日々を……」
そう、ガルマンダが声を発する。
「もう二度と手で掬えない清流の先に輝く記憶の泉を……」
闇の中、ガルマンダの恍惚とした声が響き、掻き消える。
「私は胸に抱き、心中する!」
黒い鎖に身体を縛られて動けない、真紅のワンピースドレスを着たマリエッタの背後に、黒い物体が足元で蠢く。
マリエッタの足元で蠢く黒い物体が、徐々に漆黒の地面から浮き上がっていく。
目を瞑るリアは、古くに出会ってきた絆の深い人たちの顔を強く思い出した。
マリエッタ、ロードネス卿、幼い頃に家にいた執事にメイド、父、そして母……。
そして、いつも居間にいて座って窓を眺める兄の顔を……。
目を瞑るリアの目尻から涙が零れる。
「お兄さま、ごめんなさい……」
それを聞き、黒い鎖に身体を縛られて動けない怪盗オクターが、目を瞑るリアに向かって静かに振り向き、頬に伝わる涙を流すリアの顔を見つめた。
身体を拘束されて動けないマリエッタの背後の黒い塊が、徐々に大きく膨れ上がり、やがてその黒い塊が人の形になっていく。
黒いクナイの刺さった左肩に痛みを感じたリアが、涙の溢れた瞳を開ける。
左肩に刺さった黒いクナイを見たリアが、痛みと共に昔の記憶をふと思い出す。
小学年の頃に岩を殴りスキルを習得したこと、夕焼けの中、川原で修行したこと、いつも強く、かっこよかった師匠――ゴバド・ボービルのことを、リアはすがるように思い浮かべた。
(師匠なら……、師匠ならこんなときどうする……)
赤い着物を着て堂々と立ち尽くすゴバドの姿を思い浮かべ、胸中で自分に言い聞かせる。
(師匠ならこの状況からでも勝てるのだろうか、師匠なら……)
岩を砕く師匠、いとも容易く攻撃を受け流す師匠、リアは赤い着物を着たゴバドの姿を頭の中で反復させる。
(かっこいい……、わたしも師匠のように……、師匠のように……)
もし、自分がゴバドと同じぐらい強かったら、もし、自分がゴバドと同じようにかっこよくなれたのなら、リアは理想を思い描く。
河川敷での修行の思い出が、ふと頭をよぎった。
上空から降りかかる赤い着物を着たゴバド……、身体が動かせない状況で横たわり、目前に迫ってくる師匠の草履の底……。
リアが目を見開き、天を仰ぎ、唐突に叫び声を上げた。
「うあああああああああああああああ!」
叫びと共に、黒い鎖に縛られたリアが全身に力を込めた。
赤い着物を着たゴバドの言葉が頭の中で響く。
『
世界の理の力……、この世界と戦う運命へと突き進んでいけば、
いずれこれと抗うこととなる。
今の死地の気合を忘れるでないぞ小娘
』
リアが叫んだ。
「
全身に力を込めたリアの身体から、湯気のような白い煙が立ち昇り始めた。
リアの身体が次第に陽炎のように揺らめき始める。
白いオーラがリアの全身から湧き始める。
リアの身体を縛っている黒い鎖に、ひびが入った。
「ぐあああああああああああああああああああああああ!」
リアが全身に渾身の力を込めて絶叫した。
リアを縛る黒い鎖のひびが大きく伸びていき、割れた黒い鎖から黒い欠片がパラパラと剥がれ落ちる。
赤い着物を着たゴバドが自分に向けて言った、力強い声が脳内に蘇った。
『
今ある全身全霊をもって、世界の理をぶっ壊せ!
』
リアから白いオーラが勢い良く噴き出した。
白いオーラが陽炎のように揺らめくリアの身体を覆う。
白いオーラを纏ったリアは、全身全霊の力を込めて自分をきつく縛る黒い鎖を粉砕した。
突如、不思議な声が白いオーラを纏ったリアの頭の中に響いた。
――*****――
!WARNING !WARNING
!WARNING !WARNING
システムエラー
システムデータの破損を確認
システムデータ データベースの異常を検知
システムメモリ ステータス数値の異常な上昇を検知
システムメモリ数値 破損を確認
データベース イベントオブジェクト破損を確認
イベントオブジェクト オブジェクト関数の数値異常を確認
オブジェクト イベント管理オブジェクトのデータ破損を確認
イベント管理オブジェクト データベース照合不可
イベント管理オブジェクト データ復旧不可
イベント管理オブジェクト 破損したデータを隔離します
システムエラー 破損データの隔離処置を確認
破損したデータを破棄します
……
……
……
破棄の実行が阻害されました
再試行
……
……
……
破棄の実行が阻害されました
破損データを隔離処置します
……
……
……
メモリ関数のループを確認
ステータス数値を破棄します
システムデータから異常検知したデータベースナンバーを破棄しました
処置を完了します
……
……
……
完了しました
システムエラー処理を終了します
――*****――
真紅のワンピースを着たマリエッタの背後に、片眼鏡を掛けた隻眼のタキシードを着たガルマンダが現れ、逆手に持った右手の短剣を振り上げた。
「私はソーモンに帰るのだ!」
マリエッタが突如現れた短剣を振り上げるガルマンダに驚愕し、背後に振り返った。
白いオーラを纏ったリアが、右手の拳に力を込め、地面を踏み込み、マリエッタに向かって飛び出した。
丈の長いスカートを履いたリアの姿が消え、瞬時にマリエッタに襲い掛かるガルマンダの傍らに現れる。
リアの拳に白いオーラが濃く纏わりつき、暴風のような風が空気を裂く轟音を響かせる。
ゴオオオオオオ、という轟音を轟かせた右手の拳を、リアはガルマンダの顔に目掛けて放った。
「
リアから放たれた白いオーラを纏った右手の拳が、ガルマンダの顔面を振り抜いた。
マリエッタの背後にいたガルマンダの身体は音速で吹き飛び姿が消え、代わりに拳を振りぬく体勢のリアが、背後に振り返ったマリエッタの瞳に映った。
凄まじい音と衝撃音が漆黒の空間に響き、振動が空気を揺さぶった。
凄まじい破裂音と衝撃波が巻き起こり、漆黒の空間を振動させた。
とてつもない速度で吹き飛んでいったガルマンダの身体が、漆黒の空間の壁に激突した。
激突した漆黒の空間にひびが入り、ひびが徐々に拡大していき漆黒の空間が裂け始めた。
硝子が割れるようにひびの入った漆黒の空間が割れる。
漆黒の壁に衝突したガルマンダの身体が、割れた漆黒の空間の外に飛び出した。
漆黒の空間の外に飛び出したガルマンダの身体が、教会の壁に激突し、更にその壁をもぶち破り、ガルマンダの身体が教会の外へ飛び出した。
穴の空いた漆黒の空間は次第に破壊が進み、硝子が割れ崩れていくように割れ落ち剥がれていく。
マリエッタと怪盗オクターを縛っていた黒い鎖が割れて崩壊した。
マリエッタと怪盗オクターの二人の拘束が解かれる。
漆黒の空間も、天井、床、身廊、側廊、中央ドーム、チャペルへと崩壊が進み、やがて全てが割れ落ち崩壊し消え去った。
チャペルの壁には大きなステンドグラスが現れ、天上からは月の明かりが差し込み、教会内は元の姿に戻っていた。
ドサ……、という外へ吹き飛んでいったガルマンダの身体が止まった音が、悲しく響き渡った。
リアの身体から白いオーラが立ち消え、陽炎のように揺らめいていた姿も元に戻った。
静寂が訪れ、教会内に静かな虫の音と雑草がざわめく風音が包んでいく。
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