第54話 夜10 死を夢見る幻の狼

 それまで天高く顔を仰ぎ笑っていたタキシード姿の白髪の老紳士――ガルマンダが、急に顔を変えて振り向き言った。


「さぁ、決着をつけようか諸君」


 シルクハットを被りクリーム色のタキシードを着た男――怪盗オクターが、シルクハットのつばを右手で摘み位置を整え、ガルマンダに訊いた。


「御老人、一つ窺がってもよろしいかな?」


「なんだね? 明日の天気なら北向きの渇いた風にでも訊いてみると良い。因みに明日は晴れだがね」


「そりゃ良かった。洗濯物が溜まってそうなんでね、心配はしなくても良さそうだ」


 シルクハットを被った怪盗オクターが、ジョーカースマイルの仮面の奥の瞳でちらりと出入り口付近の少女――リア・グレイシアを見た後、続けて口を開く。


「貴方たちの本当の目的を伺いたい」


 左目に片眼鏡をかけた隻眼で白髪のガルマンダが、眉を動かし目を見開いて怪盗オクターを見つめる。


「我々はジャックス・レイモンド及びマリエッタ・ロードネスを暗殺し、達成の報酬であるソーモンのギルドに再び復帰することだ。二十年以上も耐え続けたこの屈辱的な生活も、ようやく本日で終止符が打たれるのだ」


「その情報は私がもう既に手に入れたものと一致しているが、納得がいかない……」


「我々はようやく生温い貴族の生活から解放され、故郷にも等しい血生臭いソーモンへと帰ることが出来るのだ。それ以上でも以下でもない、呼吸一つすら演じ続けた偽りの自分たちから、ようやく本来の自分へと戻ることが出来るのだ」


「では何故、貴方たちは早々と暗殺を実行しなかった? ターゲットの二人を殺すチャンスはいくらでもあったはずだ。それに、街の襲撃に関しても手を抜いているな?」


 シルクハットを被りタキシードを着た怪盗オクターが、再びガルマンダに訊く。


「もう一度訊く。本当の目的はなんだ? ローエン・レイモンドからのジャックス暗殺の依頼と、ソーモンのギルドからのマリエッタ暗殺の依頼、この二つと関係していることなのか?」


「そこまで調べがついているとは、なかなかやるではないか。しかし、残念ながら答えは先ほどとは変わらんよ。我々はその二人を暗殺し、ソーモンへ復帰する。ただそれだけだ」


 怪盗オクターが顔に被ったジョーカースマイルの仮面の奥から溜息が漏れる。


「どうあっても教えてはいただけないようだな……」


「忠誠心とは他人の物差しでは計りかねるものなのだよ」


 片眼鏡を掛けたガルマンダの瞳が、ちらりと僅かに出入り口付近で血を流し倒れている青年――ジャックスに向けられた後、正面に立つ怪盗オクターへと戻される。

 怪盗オクターはガルマンダのその視線の移動を見逃さず、無言で軽く頷いてから口を開いた。


「最後に一つ問いたい。ほかに方法はなかったのだろうか?」


「ありはしない。望みを叶えるには代償として犠牲を払わねばならない。すべてを手にしたまま上手くいく方法など、そんな甘いことなどありはしないのだ!」


 赤いマントを翻し、シルクハットを被りタキシードを着た怪盗オクターが、決意を込めた言葉を発し目に覚悟の宿ったガルマンダに向かい声を上げた。


「ならば、私も主君を守るため全力で止めさせていただく!」


「貴様等の命、我が主君の為この夢死幻狼むしげんろうが命に代えて頂戴する!」


 タキシードを着た白髪のガルマンダが続けて叫んだ。


外法げほうスキル発動!」


 そうガルマンダが叫ぶと、ガルマンダの身体から黒い煙が立ち昇る。

 そして、ガルマンダの振絞る気合と声と共に全身から黒紫色のオーラが立ち上がった。


「我が魂を捧げ邪神と契約したこの闇の力、とくと味わうが良い!」


 ガルマンダから黒い煙が噴出し、黒く濃い霧が身体を包み込んだ。

 慌てて怪盗オクターが動いた。


「これはまずい!」


 チャペルの大きなステンドグラスを背景にガルマンダから噴出する黒く濃い霧が、教会内に差し込む月明かりを僅かにも残さず、物言わぬ風景画が描かれたパレットを強引に塗りつぶすかのように、瞬時に黒で飲み込んでいく。


 タキシードを着た怪盗オクターが赤いマントを翻し、その場から姿を消す。

 漆黒に塗りつぶされていく空間内で、タキシードを着たガルマンダの叫び声が響く。


「奥義!」


 暗闇が周囲の全てを飲み込んでいき、チャペル、中央ドーム、側廊、身廊と出入り口まで黒く塗りつぶされていく。

 暗闇の中、ガルマンダの叫び声だけが響いた。


悠久ゆうきゅう常闇とこやみ牢獄ろうごく!」


 ガルマンダの叫び声と共に教会内が一瞬にして、出口のない全てを漆黒に染める常闇に飲み込まれた。

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