第21話 クレイジーキティ2

 深夜、ぐっすりと眠っていたわたしは、けたたましく鳴り響く村の警鐘で叩き起こされた。

 眠い目を擦り、外の警鐘を煩わしく思う。


 眠っている妹のエルを揺すって起こす。


「ねぇエル、なにあれ……」


 エルも煩わしそうに、眠い目を擦って上半身を起こす。


 わたしは閉められた木窓を少し開け、外を覗いた。

 村の住居の数件が豪華に焼かれて赤く炎上している。

 その時は火事かと思い、急いで木窓から手を離して閉める。


「エル、火事だよ!」


 と、わたしが大声を出した時、唐突に村の警鐘が止んだ。

 変だと思い暫く立ち止まったまま耳を澄ますと、外から悲鳴と共に、木材が砕ける音が何度も聞こえてきた。


 不意に怖くなったわたしとエルは、机に置いてあったお互いの誕生日プレゼントを手にとって、すぐに両親の寝室へ向かおうとした。

 プレゼントの紐の付いた工芸品の短刀を握り締めるわたしが、木工細工のペンダントを握り締めるエルの手を取って連れて、部屋のドアに手を触れる。


「お前たち無事か?」


 と、唐突に、抜き身のショートソードを握った父が、わたしたちがドアを開けるよりも先に部屋に慌てて入ってきた。

 母もすぐ後ろでおびえた表情で立っていた。


「兎に角、お前たち二人は隠れているんだ」


 父と母は部屋に入り、二人でわたしのベッドの端を持ち、ベッドの片側の足を浮かすように吊り上げた。


「床に蓋があるから、それを開けて床下に隠れてろ」


 父に言われるまま、わたしは二人が吊り上げたベッドをくぐって、身体を這いながら手探りで床の蓋を探した。

 手に凹んだ取っ手の感触があり、それを引き上げて蓋を開ける。


「エルも早く」


 と、ベッドを吊り上げる母が促し、妹のエルもわたしに続いて身体を這い、ベッドの下に潜り込む。


 わたしは蓋を開けた床下に飛び降りた。

 続いて降りてくるエルを下から見上げる。


 エルが蓋を閉め、頭上の床の板からベッドを下ろした振動が響く。


「良いと言うまで静かにして絶対にそこから出てくるんじゃないぞ」


 と、頭上の床上から父の大声が聞こえた。

 ドタドタと頭上から慌しく足音が鳴り、二人が部屋を出て行くドアが閉まる音がした。


 父と母の会話が頭上の玄関付近から聞こえてくる。


「今から助けられそうな人を助けに行く。お前は家を頼む」


「何を行ってるの見たでしょあの悪魔みたいなでかい化け物たちを! あなたも家にいて⁉」


「さっき向かいの子が助けを呼んでいるのが聞こえた。まだ間に合うかもしれない」


「まってあなた!」


 ドアが開かれそれ以降、父と母の声は聞こえなくなった。


 まだ間に合うかもしれない……、それが最後に聞いた、最後まで命をかけて人を守ろうとした勇敢だった父の言葉だった。

 父のその最後の言葉は印象的で、わたしの頭の中で何度も、大人になった今でも再生される。


 わたしたちは震えて身を寄せ合い、状況を音を立てず見守っていた。

 家に振動が響き、わたしたちがいる床下まで伝わってきた。

 何かが崩れて崩壊する音が頭上から響いてくる。


 わたしたちはお互いに紐のついたプレゼントを首から下げ、恐怖を感じながらじっと耐え続けた。


 わたしと妹のエルは床下まで聞こえてくる喧騒の中、訳も分からず恐怖し、お互い身を寄せ合い、息を呑んだ。

 暗い床下の周囲を見渡すと、壁下の木の板の隙間から、家の外の景色が赤い火の光と共に漏れていた。


 外からは叫び声、炎に焼かれた家の木材が弾ける音、そして悲鳴と人の倒れる音と逃げ惑う足音がひっきりに無しに聞こえてくる。

 外から悲鳴が響き渡ってくる度、わたしとエルは恐怖して強く身を寄せ合った。


 何度も振動を伴う大きな獣のような重い足音が地面に響いてくる。

 たまにその足音の主が影となって板の隙間から覗く。

 とても大きく、丸太のような足が一歩一歩、獲物を探すように村を徘徊している。

 一体だけではなく、何体も現れ、そいつらが村人を襲っている。


 家も人も焼かれ、引き裂かれ、砕かれ、枯れ草や枯れ木を踏むように軽く蹂躙されていく。

 わたちたちは震えながら身を寄せ合い、息を殺してその場を凌いだ。




***********




 時間はどれ程経ったのか分からない。

 数時間であったかもしれないし、数十分だったかもしれない。

 身を寄せ合っていたわたしたちは、一秒でもとても長いと感じるその時間を、震えながら待っていた。


 外では家が破壊される音や木材が焼けて爆ぜる音が止まなかった。

 人の悲鳴はとうに聞こえなくなっていた。

 獣の唸り声が重い足音ともに聞こえるが、人の気配はもう全くしていなかった。


 キェェェェェェェ、というこの世のものとは思えない奇声が、時々聞こえてきた。

 大型の鳥が翼を羽ばたかせる音も聞こえる。

 木材が粉砕される音も、わたしたちの家の中から聞こえた。


 玄関やテーブルが破壊されている音が聞こえ、大きな獣の気配も感じた。

 わたしたちは必死に息を潜めた。


 やがて、徐々に獣たちの気配も薄れていく。

 奇声も時々聞こえ、重い物が倒れる音も、振動と共に地面を伝ってくる。


 辺り一面が急に静かになる。

 家が燃える音だけが、聞こえてくるようになった。


 獣が徘徊する重い足音も、翼の羽ばたく音も、奇声も、唸り声も、耳をつんざく人の悲鳴も、それまで鳴り止まなかった喧騒が急に鳴り止んだ。


 外が静かになり、わたしたちは顔を見合わせ、やっと深い息を吐いた。


 隙を見て、わたしは人差し指を口に当てて声を出さないようにエルに伝え、床の上を指差して出てみることを提案した。

 エルは頷き、わたしたちは一度、状況を確かめたくなり、上へ出ることにした。


 背が丁度足りない高さの頭上の床を、わたしたちは協力してエルに背負ってもらい、床の蓋を開けた。

 蓋を少し開けて周囲に異常が無いことを確認し、蓋を押し上げた。

 蓋はベッドの底でつかえたが、子供が這い出る隙間はあった。


 わたしはエルに背負われたまま蓋を押し上げ、なんとか上半身を床の蓋から這い出した。

 身体を完全にベッドの下まで這い出し、身体を反転させてベッドの底限界まで蓋を開け、その隙間から床下のエルに手を差し伸べた。

 エルは手を掴み、わたしは蓋を開けたままエルを引っ張り上げた。

 上半身が蓋から出たエルは、そこから自力で床から這い出る。


 わたしはベッドから這い出て立ち上がる。

 続いてエルもベッドから這い出て立ち上がった。

 二人で顔を見合わせ、部屋を出た。


 わたしたちは息を殺し、恐る恐るドアを開けた。

 部屋を出ると、そこには半壊した自分たちの家の光景があった。

 自分たちの部屋から手前まで、壁や屋根が破壊され崩れ落ち、木材の破片や瓦礫が足の踏み場もなく積まれていた。


 わたしは素足で瓦礫を踏みながら玄関のあった場所へと急いだ。

 木片が足の所々を刺さったり引っかいたりした。

 足の裏を怪我しながら、屋根のなくなった自分の家を踏みしめる。


 玄関先、そこは玄関だったところに、破壊されたドアの先に、血溜りになった地面に横たわる人だったものが目に映る。

 わたしたちはそれに駆け寄り、立ち尽くした。


 抜き身のショートソードを握ったまま血溜りに横たわるそれには、首から上が無かった。

 折り重なるように、四肢がバラバラになり、腹が裂けて内臓がたれ流れ、顔が砕け、目が転がり落ちている人だった破片が、覆いかぶさっていた。

 父だったものと、母だったものが、そこにあった。


 わたしたちは声も出せず、動けず、恐怖もせず、ただ黙って呆然と血溜りのそれらを見下ろしていた。


 重い地響きがした。

 一歩一歩、向かって大きく響き、足音と振動が大きくなるが、わたしたちは立ち尽くし、父と母の死体を見下ろしたまま動けなかった。


 わたしたちは父と母の死体を見下ろし、ただ呆然と立っている。

 背後に近づいてくる巨大な何かに振り返ることも出来なず、わたしたちはすぐに来る死を待っていた。


 地響きと足音が止まり、大きな影が顔を上げることもできないわたしたち姉妹に覆いかぶさる。

 大きな翼に牛のような角の生えた頭、丸太のような四肢に、壁のように大きな身体、地面に映る影だけでも、それがこの世のものではないことは理解できた。


 獣のような唸り声と、大きな息遣いが背後で聞こえた。

 地面に映る影の太い腕が、わたしたちを狙って振り上げられた。

 これで死ぬのか……、わたしは覚悟も何もなく、自分の運命を受け入れた。


 渋い男の声が、唐突に響いた。


「シャドウバインド」


 と、背後の巨大な何かの動きが、腕を振り上げたまま止まった。


「シャドウスピア」


 鋭く尖ったものが肉壁を何度も突き破っていく鈍い音が聞こえた。


 わたしたちに覆いかぶさっていた大きな影がゆっくり明け、地面が月明かりに照らされていく。

 背後で巨大な何かが地面に倒れ、地面が揺れ響いた。


 渋い男の独り言のような声が背後からした。


「こいつで最後か……」


 声の主は、わたしたちのことは眼中にないようだった。

 わたしは背後にゆっくりと振り返る。


 そこに立っていたのは、黒装束を着て赤いマフラーをたなびかせ、黒いマスクをして鼻から下を隠した、月明かりに照らされた白髪交じりの長い髪を後ろで束ねた一人の男だった。


 男は片腕に小柄の黒い壷を抱えていた。

 その壷は、昼間に村長が行商人からもらった壷だった。

 昼間とは違い、その黒い壷には紫色の紋様が怪しく輝き浮かび上がっていた。


 冷たく、鋭い男の目が、漸く小さな虫のような存在のわたしたちを認識した。

 黒装束の男はわたしたちを見下ろしたまま、何も言わない。


 ただ黙ってわたしたちを偶然足元にいた蟻でも見るかのような冷たい目で、黒装束の男は見下ろしていた。

 わたしたちも、黙って男を見上げていた。


 黒装束の男はわたしたちを助けに来たわけでもなさそうだった。

 偶然居合わせたわたしたちを保護するわけでもなく、ただ淡々と黒装束の男は言った。


「ここから南東にずっと行けばソーモンの街がある。最悪な街だが死んだこの村よりはましだろう……」


 一呼吸置いて、黒装束の音が続けた。


「険しい道だ。たどり着けなければ途中に集落もなく、お前たちは森の中、山の中で死ぬだろう。たどり着いても、運が良くなければ悪党に殺され、見捨てられ、短いうちに死ぬだろう。これから先を考え、辛いのなら俺が今、この場でお前たちを苦しまず始末してやってもいい」


 言わんとするところは、何となく分かった。

 この人は、わたしたちを助ける気などまったくないのだと。


 わたしは、彼の冷たい目を見て、ただゆっくり首を振った。

 すると、黒装束の男は黙ったまま、振り返ってその場から立ち去った。


 ソーモンの街、そこに行けばいいのかと、わたしは良く理解もせず、すべてを捨てて、そうしなければならない気がしていた。


 わたしはエルの手を引いて歩き出した。


 弱い生き物は強い生き物に、理由もなく、逆らえもせず殺される。

 家畜の羊のように飼われて、一方的な理由で生き続ける選択すらできず強者に殺される。


 弱肉強食、猟師の娘として自然に教わった理だった。

 みんな弱くて、強いものに蹂躙された。

 その強いものを蹂躙したさらに強い者は、弱い者を助けもしなかった。


 弱い、死んだ村は捨てる、死んだ弱い父も、死んだ弱い母も、その他の死んだ住人も捨てる。

 強くなりたい……、強くなって、狩られる側にはもう絶対になりたくない……。


 そして、わたしたちは、ただ昨日までの日常を失った現実から逃げ去るように、ソーモンの街がある南東に向かった。

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