第15話 昼前1 商人貴族ジャックスは恥を忍ぶ

 ロードネス城の謁見室で、今日も謁見する訪問客を迎えるロードネス領の領主――ガラム・デ・ロードネスは、目の前の青い貴族服を着た赤い髪の青年の態度に、少々困惑していた。

 対面の五人掛けの豪華なソファーに座る青い貴族服を着た青年――ジャックス・レイモンドは、初日の横暴な態度とは打って変わり、姿勢を正し笑みも漏らさず、ロードネス卿を一点に見つめ、凛とした威厳のある顔をしてそこに座っていた。


 一応娘の友達として幼少の頃から知るジャックスの改まった態度に、困惑するロードネス卿が訊いた。


「一体、どうしたというのかねジャックス君……。君らしくないそんな畏まった態度を取られると、こちらの調子が狂ってしまうではないか」


 眉一つ動かさず、真剣な眼差しをロードネス卿に向けるジャックスは、深々と黙って頭を下げ、口を開いた。


「先日のご無礼、大変申し訳ありませんでしたロードネス卿」


 ますます困惑するロードネス卿は、卿自身でさえ当たり前過ぎて気にも留めていなかった先日のジャックスの態度に対する本人からの侘びの言葉に、若干引いてしまった。


「え、あ、うん……、いいよ、別に気にしてないからそういうの……」


 と、思わずフランクな、知り合いの息子に対するおじさんの、素の口調が出てしまうロードネス卿。


 頭を下げる赤い髪のジャックスが口を開く。


「いえ、改めて謝罪を受け入れていただきたく、本日は参りましたので」


 ロードネス卿は困った顔で、ジャックスの背後に立っている、隻眼で左目に片眼鏡をかけている白髪の老執事――ガルマンダに助けを求めるべく目配せをする。


 後ろで手を組み直立不動の白髪のガルマンダは、目を閉じ静かに首を振ってロードネス卿に任せますと合図した。


 ガルマンダの意図を汲んだロードネス卿は、事情が飲み込めぬまま改めてジャックスに訊いた。


「わかった、それは許そう。だから頭を上げてくれたまえ。しかし一体、もう一度訊くがどうしたというのだ?」


「ありがとうございますロードネス卿」


 と言って、ジャックが頭を上げて話し始める。


「恥を忍んで全てお話します」


 ジャックスが経緯をロードネス卿に説明する。


「今回の訪問は先日申し上げた通り、レイモンド家の長男ローエン・レイモンドから直接命令されたものでした。兄のローエンはレイモンド家の掌握をかねてより画策しております。昔から野心家だった兄の心や良からぬことを裏でしている動向を見抜いているのか、父はローエンに跡を継がせることを躊躇しております。次男は昔から自己中心的な性格で、自らがレイモンド家の跡取りになること拒否し、今はサンハイト領の学術ギルドで研究者として我々から距離を置いて生活しています。私の弟、レイモンド家の末の四男はまだ幼いながら跡取りとしての資質は十分にあり、父も期待しております」


 ジャックスは少し間をおき、続けた。


「しかし、そんな末の弟にも兄のローエンは策を講じ、本心を悟られぬまま手なずけている始末。末の弟は例え父から跡継ぎの指名をされようと、今のままでは必ずその役目を疑いもなく兄のローエンに譲ることでしょう。そして、そんな事情があり私が今、父から跡取りとしての役目を向けられている次第です。元来より自由気ままに生きてきた私ですが、現状のローエンによる権力の支配を許してしまうと、このままではレイモンド家の将来はないものと考えております。それを知ったローエンは私を邪魔に思い、本格的に私を排除することを決意したようです」


 そこまでジャックスの話を聞き、対面に座るロードネス卿が眉間にしわを寄せ、真剣な面持ちをする。

 ロードネス卿がレイモンド家の事情に何か思うことがあり、口を開く。


「そこまでのことは私も何となくだが事情は聞いておる。少々、私に厄介になるかもしれない、窮地の際は助けを頼むかも、と事前にレイモンド伯爵本人から相談をされている」


「やはり父上は現状を見越しておられたのですね」


「大商人レイモンド家の当主として、おぬしの父はかなりのものだ。数々の難題を解決し今の地位にいるが、晩年となった今、自らの血縁者たちの争いが商人貴族人生で一番の厄介事となるとは、本人も頭を抱えておった。長男のローエンにはなんとしても継がせてはならぬが、現状、まだまだ商人としては未熟で性格にも不安のあるジャックス君にしか頼るこが出来ない、と嘆いておった」


「父がロードネス卿にそんなことを……」


「まぁ、お互い個人で動かすには大き過ぎる権力を持ってしまった者同士、話し合える者も限られてしまうのでな。なに、貴族の権力闘争など、ここロードネス領だけでなく王国中で良くある話だ。ない方が少ないほどにな」


 ロードネス卿はそう言い、話を聞くジャックスを促す。


「それで一応、私も事情はわかっておるが、話の続きはどうする?」


 ジャックスが頷いて、答える。


「はい、続けます」


「では、お願いする」


 ジャックスがそのロードネス卿の返答を待ってから、話を続けた。


「知っての通りレイモンド家はロードネス領の中央港<ネス港>を拠点として活動しています。私もそこに住んでおりますが、最近は度々、不審な事故や強盗未遂、誘拐未遂などの刺客等、身の危険を感じる次第です。そのどれもがローエンの手の者による犯行だと私は思っております。ローエンは確実に私の暗殺を企てている。要は私がいなくなれば良い、と判断したローエンは、汚い手を使い、今回の婚姻の申し出を私に強制したのでしょう。たとえ上手くいかなくとも、それはそれで私を失墜させる口実となるし、もし上手くいけば身分上、養子として私はレイモンド家から出ることとなる。私は苦渋の決断でしたが、兄に従った振りをすることを決めました」


 疑問に思い、ロードネス卿がジャックスに訊いた。


「汚い手とは一体何だね?」


「はい、執事のガルマンダたち……、執事のガルマンダとメイドのメルとエルの解雇です」


「それは卑怯と言わざるを得んな。メイドの二人も、ましてやガルマンダとは幼少の頃から共におる家族同然の仲ではな」


 ロードネス卿はちらりと、目でジャックスの後ろに立つガルマンダを見た。


 いつも表情を変えず手を後ろに回し直立したまま微動だにしないガルマンダだが、その時は珍しく、片眼鏡を掛けた目が伏目がちになり、ジャックスの背を見て悲しげに何かを思っているようであった。


 視線を戻し、ロードネス卿がジャックスの話を聞く。

 ジャックスが話を続ける。


「商人特有の損得勘定というやつです。ガルマンダたちを失うよりも、今回は私の信用を失墜させる損を選ばせていただきました。間違っても婚約を成立させないよう、失敗の事実を作る為、あのような態度で謁見させていただきました」


「なるほど、ジャックス君のことなので公私混同し、いつもと変わらぬとは思ってはいたが、言動が少々おかしかったのもそのせいなのだな」


「さすがに正式な書簡を持っての領主への謁見だったので、少しは気を使いましたよ」


 はたして本当に演技だったのか、疑わしいがロードネス卿はその場は納得した素振りを見せる。


「あとはご存知の通りです。この街では兄の監視も届かないと思っておりましたが甘かった。昨夜の襲撃でマリエッタにも危害が及ぶ可能性が出てきたので、双方の身の安全を考え、包み隠さずお話しようと、今日は謁見に参った次第です」


「話はマリエッタから聞いておる。大変だったような」


「えぇ、しかし……」


 そこで言い淀み、ジャックスが咳払いをする。


「失礼、なんでもありません」


 ジャックスのよそよそしいどこかおかしな態度を、ロードネス卿は不審に思う。


「そう言えば、マリエッタとは上手くいっていないようだが。いくら好意があるとはいえ、好きな相手への表現が極端ではないかね?」


「自分のせいでマリエッタも危険に晒してしまうと思い、気を負ってしまって……」


「例え今回のことがなくとも、その様子ではマリエッタとの結婚はなさそうであろうな」


「え、まぁ、私がマリエッタと結婚なんて、考えてもいませんでしたから」


 ジャックスとなかなか話が上手くかみ合わず、ロードネス卿は首を傾げる。


「ちと訊きたい事があるのだが、よいかな?」


「えぇ、構いませんが」


「マリエッタとはその……、おぬしはあいつのことが好きなのだな」


「えぇ、昔から好きですよ、彼女のことは」


「それは、恋愛感情の話で合っておるかの?」


 ロードネス卿のその質問を聞き、ジャックスが途端に笑ってあっけらかんと語尾を強めて答えた。


「何を仰られるのですかロードネス卿! 彼女とは昔から友達ですよ。嫌いな相手と十年以上も友達として付き合うわけがないでしょう」


 少し驚き、困惑するロードネス卿。


「そ、そういうことであったのか……。では本心とは一体……」


「あぁ、そのことですか」


 少し間をおき、ジャックスが話し始める。


「ユリウスという人物をご存知ですかロードネス卿?」


「知っておるが、ユリウスとはユリウス・ロップス・グレイシアで合っておるかの?」


「はい、合ってます」


「ユリウスは私の親友の息子でな、マリエッタは昔からユリウスと仲が良く二人で一緒にいることが多い」


「なら話が早い。知っての通りマリエッタとユリウスはとても仲が良かったです。私もその輪の中に入れてもらっていました。しかしある日、突然マリエッタの前からユリウスはいなくなり、彼女はとても悲しそうでした」


 当時を思い返すように、ジャックスが続けた。


「それが耐えられなくて、私は決心しました。マリエッタの為に自分がユリウスの代わりになって彼女を支えて、ユリウスの為にユリウスの代わりになってマリエッタを守ってやろうと。しかし、昔からユリウスの代わりとしてがんばってはいたのですが上手くはいきませんでした。それは今回も同じことです。気が付けばいつも彼女の邪魔ばかりして、機嫌を損ねてしまう」


 額を押さえ、ジャックスが落ち込む。


「友達を作るということは難しいですね。私には向いていないと思います」


 想像以上にクリティカルな話題だったのか、思いつめた様子のジャックスに、ロードネス卿が堪らず無理やりフォローする。


「い、いや、多分良い線いっていると思うぞジャックス君。なにより親である私が君をマリエッタの友達として認知しているのだから」


「そう言っていただけると助かります」


 落ち込んだ気持ちの回復が見られないジャックスの弱い返答に、ロードネス卿がこれはまずい、と話題を変えようとがんばる。


「しかし、あれだな……。あ、そうだ、マリエッタが色恋の相手ではないと言うのなら、そなたにもあるのだろう、ほら、なんか……」


「それならご心配に及びません」


 少し自信が回復した様子のジャックスを見て、ロードネス卿は心の中でガッツポーズをした。


 ジャックスが嬉しそうに口を開いた。


「この街で運命の人と出会いました」


 ジャックスの嬉しそうな顔に合わせて、ロードネス卿も無理矢理気持ちを上げて、上ずった声で笑顔で聞き返す。


「ほう、それはよかったではないか! 怪我の功名というものだな。して、相手は?」


「情報によると、『隣のメシヤ亭』という冒険者ギルドの隣の飲食店でウエイトレスをやっている、リア・グレイシアという女性です」


 紅茶の入ったティーカップの取っ手をつまみ上げ、腕を上げつつ笑顔を絶やさないロードネス卿が名前を復唱する。


「飲食店でウエイトレスをやっているリア・グレイシアと言う女せ……」


 と、紅茶を飲もうとしたところで、ロードネス卿はティーカップを手にしたまま目を見開き笑顔が崩れ、立ち上がり大声を上げる。


「ええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ⁉」


 突然の奇声に堪らず部屋にいるジャックス、グレーのスーツを着た女性秘書、ジャックスの後ろの片眼鏡をかけた白髪のガルマンダまでもが驚き顔を上げて、急に大声を出して立ち上がったロードネス卿の奇行に目を見開く。


「ど、どうなされたのですかロードネス卿……」


 駆け寄って落ち着くようにと女性秘書が、呼吸の荒いロードネス卿の体を支える。


「だ、大丈夫だ……」


 と、ゆっくり腰をソファーに下ろし、ロードネス卿は震える手でテーカップを口元まで運ぶ。

 紅茶を口に含み喉を鳴らし、震える手のままティーカップを皿の上に置く。

 ロードネス卿が口を開く。


「ほ、ほう……、だが、上手くいくとは……」


「マリエッタから情報をもらいました。紹介状も書いてもらい、これから彼女のお店へ行く予定です」


 と、青い貴族服を着たジャックスが、胸のうちポケットから一枚の封書を取り出して落ち着かない様子のロードネス卿に見せた。


 ロードネス卿が、頭を勢い良くがくん、とうな垂れて搾り出すような声で呟く。


「おのれマリエッタ……、リアに面倒ごとを押し付けたな……」


 飲食店で働くウエイトレスのリアと、マリエッタの幼馴染のユリウスは、ロードネス卿にとって死んだ親友の忘れ形見であり、両親がいなくなってからは彼が兄妹の面倒を見て大切に育ててきた。

 お金に関することは、兄妹が頑なに断ることもあり、大人になった今は支援などはしていない。

 血の繋がりは無いが、リアとユリウスの兄妹は赤子の時から知っていることもあり、ロードネス卿にとってその兄妹は家族そのものだった。


「ガラム様、顔色がよろしくないようで……」


 と、女性秘書がロードネス卿の背に手を置き体を支え、顔を覗いて声をかける。


 ジャックスの背後にいるガルマンダも、ジャックスの背後から口を開く。


「ジャックス様、ロードネス卿はどうやら体調がすぐれないようなので、このあたりで……」


「うむ、そのようだな……」


 と、ジャックスは心配し、ソファーから腰を上げて席を立った。


「貴重なお時間お付き合い頂きありがとう御座いましたロードネス卿。では、我々はこれにて失礼致します」


 頭を下げ、ジャックスが歩き出す。

 ガルマンダも丁寧にお辞儀をし、ジャックスの背後に着いて歩き出す。

 慌てて女性秘書がドアまで駆け寄り、取っ手を掴んでドアを開ける。

 二人が出て行くのを見送り、女性秘書がドアを静かに閉めた。


 訪問客が去り静かになった謁見室には、ロードネス卿の心労の負担を表すかのような苦悩する唸り声が、暫く響いていた。

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