第27話 クレイジーキティ8

 ネスの街を大きく横切って港に流れ出る河口沿いの石畳の道に、棒や木枠を立てて枠組みを作り布でテントを張った露店がいくつも建ち並んでいる。

 地面に布を敷いて商品を並べる露店や、テーブルを設置したり棚を用意する露店も見受けられた。


 わたしは常に前を歩くジャックス少年の頼りない子供の背に着いて歩き、周囲を警戒していた。

 事前にガルマンダから渡された財布も、肌身離さず持っている。

 露店での支払いは現金が多く、カードが使えないことも、ガルマンダから事前に注意されていた。


 どうやら、こうやって日中に散歩がてら出店を見て回るのことが、ジャックス少年のルーティンのようだった。

 本人が言うには情報収集ということだが、楽しそうに骨董品や本や服、屋台の食べ物を物欲しそうに物色している光景を見ていると、ただただ子供らしくい楽しんでいるだけのようにも見えた。


 友達もいないのだろうか、ふとわたしはそう思った。

 今は地元のネスに帰ってきており、学園での寮生活では少なからずはいるだろうが、地元の友達がいる気配はまったく感じない。


 レイモンド家の事情は良く分からないが、先ほどの自分を取り巻く状況の分析などを見るに、厄介な事も多いのだろう。

 いつ裏切られるか、いつ命を狙われるか、血の繋がった兄さえも全く信用していない様子で、そう周囲を警戒する余り、友達を作る余裕も無かったのだろう。

 ジャックスは幼い頃から人を常に警戒し、孤独な生活を送っているのではないだろうか。


 骨董品の壷やネックレス、鉱石、古い本などに物色する時間を費やし、ジャックス少年は食べ物や服よりもそういった趣味の物に関心があるように思えた。

 ジャックス少年が骨董品の眼鏡を手に取り、口を開いた。


「メル、知っているか? このイノセント・ニュー・ワールドの世界とは別の世界のことを」


「いえ、余り詳しくは知りません。ただ、そういうものがざっくりとあるということしか……」


 この世界とは別の世界、昔、クレオネピラから聞いたことがある。

 わたしたちが住む世界とは別に世界がいくつも存在し、そこから意図せずこの世界へやってくる者たちがいることを、クレオネピラが言っていた。


「その世界では科学が発展し、人は空を自由に飛びまわり、ガソリンエンジンと言う動力により馬が鉄の乗り物に置き換わっている。遠く離れた国々にいてもその場で同時に会話が出来たり、板のようなもので過去の風景を除き見ることが出来るそうだ」


「お詳しいのですね」


「あぁ、学園の友達が昔教えてくれた。もういなくなってしまったが……」


 友達はいたのか……、ジャックス少年はどこか寂しそうな眼差しで眼鏡を見つめていた。


「俺はいつかこの世界も、外の世界に負けないような、みんなが驚く発展した世界にしていきたい。そのためには、決してレイモンド家の力は悪用されてはいけないんだ。誰が敵になろうともね……」


 ジャックス少年が急にそう語った。


 もしかして、わたしの心が見抜かれていのか……、齢十歳にして、わたしのジャックス少年への不信感を拭おうとするこの洞察力に、少し恐れてしまった。

 ある程度眼鏡を見回した後、それを元の位置に戻し、ジャックス少年はわたしに振り返った。


「メルはエルよりも眼力が鋭いから眼鏡をかけたほうが良い。学園でそんな怖い顔されてたら人が寄り付かなくなる。伊達でも眼鏡をかけたほうが顔が少し和らいだ印象になる。今触ってたこれは君に合いそうにないから、これから買いにいこう」


「今からですか?」


「あぁ、学園に帰る前に慣れた方がいいから早いほうがいい。レンズは必要ないからすぐ買えるだろう」


 行こう、とジャックス少年が振り返って歩き出した。

 突然のことで良く理解できず、わたしは言われるまま前を行くジャックス少年に着いて行く。


「街の商店街に眼鏡屋があったはずだ。そこへ行こう。昼までには間に合うはずだ」


ジャックス少年が足早に人混みの中へ先行して前へ行く。


「ちょっと、もう少し落ち着いてください」


 足を速めて追いつこうとするが、人混みが邪魔で思うように進まない。

 これだから子供は……、わたしは考えもなしにはぐれてしまいそうなジャックス少年から目を離さず、追いかける。


 嫌な予感がする、このままはぐれてしまうと誰もジャックスを守る者がいなくなってしまう。

 しかし、常に狙われているわけではないだろう……、とわたしはジャックス少年を取り巻く複雑な事情を理解せず、どこか楽観していた。


 こんな街中で堂々と命の危険に晒されるはずがない、だってここはソーモンではなく平和はネスの街、わたしたちが育った場所ではないのだから……、などと、考えたわたしが愚かで未熟だった。

 少し目を離した一瞬の隙に、わたしの視界からジャックス少年の姿が完全に消えていた。


 ジャックス少年は常に敵に監視されている。

 その敵は実の兄のローエン・レイモンドなのか、またはレイモンド家を疎ましく思う何かなのか……、ジャックスはわたしが思っていたよりもずっと劣悪な環境で育ち、孤独に生活していたのかもしれない。


 わたしたち姉妹は生き残る為、人を殺す術と力を得た。

 ジャックスは生き残る為、劣悪な環境下で一体何を得たというのだ。

 それは強いものなのか、強いものを倒す力か術か、そんなものが備わっているようには見えなかった。


 ただの子供で、弱い生き物……、強いものと対峙した時、絶対に潰されてしまう。

 そう、父のように弱い者だ。

 守らなければ、と、わたしは人混みを書き分けて前に進む。


「ジャックス様!」


 わたしは大声を上げてジャックス少年の位置を確認する。

 返事はない、周囲をくまなく見渡してジャックスの姿を探す。


 何処に行った。

 わたしは立ち止まり、さらに周囲を見渡す。

 あの一瞬で先を歩いて居なくなるとは考え難い。

 連れ去りか、一番それが濃厚だった。


 頭の回転を早め、ソーモンで培った誘拐や連れ去りの経験則をフルで活用し、思考を巡らす。

 あの位置なら五人組は最低必要だろう……、五人で歩調を合わせれ取り囲み、口を塞いで抱える。


 いや、もっと必要だ。

 わたしがジャックス少年から離れるように、人混みにまぎれて視界を塞ぐ役……、わたしは早足で歩きつつ自分の目の前を凝視する。


 わたしは足捌きで前を歩く人を躱し、ひたすら人混みの先に進む。

 そして、ふいに誰かにぶつかった所で足を止め、わたしはそのぶつかった男の後頭部を鷲づかみにし、強引に顔だけ振り向かせた。


「声を上げるな……」


 悲鳴を上げそうだった男を睨み、脅す。


 男の視線の動きを注視する。

 やや右に逸れた男の視線の先へ顔を向けた。

 そこには路地があり、丁度五人ほどの男たちがそこへ入っていった。


 わたしは後頭部をつかんでいた男を地面に投げ捨て、急いで路地へと駆け出した。

 人にぶつからないように足捌きと体捌きで人混みを全て躱していく。


 路地にたどり着き、裏路地に入る五人組の男を追いかける。

 薄暗い裏路地に男たちが入り込んだとき、わたしは背後から静かに声を上げた。


「おい、お前たち……」


 男たちが一斉に振り返る。

 一人の男が丁度子供が入るほどの大きさの麻袋を脇に抱えていた。

 麻袋を見ると、どうやら動いているようだった。


 わたしはとっさに飛び出し、近くに居た目の前の男の側頭部を、左足で蹴り抜いた。

 男の身体が吹っ飛び、建物の壁に激突する。

 男たちが怯える暇もなく、わたしは麻袋を持った男の肩を右手で掴み、渾身の力で骨ごと握りつぶす。


「うぎゃああああぁぁぁ!」


 と悲鳴をあげ、麻袋を地面に落とし、関節の骨ごと砕け晴れ上がっていく肩を押さえ、転げ回る男を見下ろす。


 わたしは服の袖の腕に仕込んだナイフを鞘から抜き取り、麻袋を切り開く。

 案の定、中から猿轡をされて手足を縛られたジャックス少年が現れた。


 わたしはナイフで手足の紐を切り、ジャックス少年の猿轡を外した。


「メル! 助かったよありがとう!」


「いえ、わたしの不注意でした……」


 五人組のうちの三人が悲鳴を上げながら急いで逃げ、立ち去っていく。

 一人は地面に倒れこみ動かない。

 もう一人は肩を砕かれた男で、地面に這いつくばっている。


 わたしは肩を押さえて転げ回るその男の顔の前に立ち、顔面を蹴り上げて起こした。


「ぐあ!」


 と悲鳴をあげ、男がうつ伏せになる。

 わたしは止めを刺そうと、ナイフを突き立てる。

 すると、目の前の男と私の間にジャックス少年が手を広げて割って入った。


「待って!」


 そう言われ、わたしは突き出そうとしたナイフを止めた。

 真っ直ぐ私を見つめるジャックス少年を見下ろし、わたしは言った。


「ジャックス様、どいてください」


「なにをする気だメル⁉」


 当たり前のことを……、わたしは答えた。


「止めを刺します」


「止めるんだ!」


 真剣な眼差しをこちらに向け、ジャックス少年はわたしに訴えかけた。


「こいつはジャックス様に危害を加えたのですよ。あなたはこれから殺されるか身代金を要求されるか、いずれも良い事にはなりません。始末するのをなぜ止めるのですか?」


 わたしは当たり前のこと過ぎて、逆に疑問に思ってそう訊いた。


 ソーモンの街の掟では殺されるのが当たり前の行為だった。

 覚悟のない者は生き残れない、生き残る覚悟がある者は、命のやり取りに従順だった。

 自然の摂理、獲物は狩られて死を受け入れて、強いものが進む道を邪魔せずに空けなければならない。

 わたしたちが進んできた道は、そんな強い者の道であるはずだった。


 しかし、弱い者であるはずのジャックス少年は大声で、わたしの進む道の邪魔をした。


「まだ間に合うからさ!」


 わたしは聞き覚えのあるその言葉を聞き、動揺した。

 父の最後の言葉、何度も父の声で再生される、弱い者の言葉が、また頭の中で響き渡る。

 まだ間に合うかもしれない……、自分よりも更に弱い誰かを助けようとして、声もなく死んだ弱い者の言葉だった。


 目の前のジャックス少年も何も持たない弱い者、誰かを助けようと、懸命にそう声を上げただけのお人好しだった。


 わたしは笑ってしまった。


「ふっ、そんなやつを助けても何の価値にも値しませんよ」


 わたしが言い切る前に、ジャックスが叫んだ。


「違う! 君を助けたいんだ!」


 意外な答えを聞き、わたしはさらに動揺した。

 何故わたしを……、どう見てもわたしは狩る側だ。


 ジャックス少年の瞳を暫く見つめる。

 嘘は言っていないようだった。


 村が襲撃されたあの夜、村から出たあの日、獣に怯えながら山と森をさ迷ったあの日々、空腹で意識も朦朧とした中たどり着いたソーモンの街……、わたしはずっと誰かに助けてもらいたかった。


 ソーモンの街では誰も助けてはくれなかった。

 助けられた人も、見たことがなかった。

 誰もが他人に無関心で、自分のことだけを考えて街をさ迷い、闊歩していた。

 助けるとは、一体どんなことだったのだろう……、わたしはその行為を完全に忘れてしまっていた。


 ジャックスが続ける。


「こんなクズのために君が破滅する必要ない!」


「破滅? しませんよ」


「ローエン兄さんのようになって欲しくないんだ。気づかないうちに誤った道を突き進み、もう引き返せないところまでたどり着いてしまった。あれは、もう化け物だ、あんな人間に、君までなる必要はないんだ!」


 ローエン・レイモンド、一見して普通以上の貴族だが、確かに悪に染まった者特有の、常に獲物を探している飢えた獣のような独特の恐ろしさは感じた。


 目の前の子供はそれすら見抜き、戦ってきたのか。

 弱い者は強い者に、抵抗も出来ずに蹂躙される。

 はたして目の前の弱い者のジャックスは、強い者に蹂躙されているのだろうか。

 弱い者が強い者に立ち向かい、誰かを助けようとしている。


 あの時の父のようではないか。

 まるであの時の父のように、子供を助けに家を飛び出してあっけなく死んだ、あの時の……。

 じゃあ、今のわたしはその父に手をかけたあの悪魔なのか。


「まだ間に合う! だからもう止めるんだ!」


 まだ間に合う、わたしはまだあの悪魔にはなっていない……。

 もう、わたしは強い者になっていたと思っていたのに、目の前の子供の純粋な瞳には、わたしはまだ弱い者として映っていたのか、今朝出会ってからずっと……。


 村を出てからずっと、待ち望んだ人だったかもしれない。


 わたしはゆっくり態勢を整え、ナイフを袖の中の鞘に収めた。


「ジャックス様、わたしは何に見えますか?」


「怖い顔だ。早く眼鏡を買いに行こう」


 わたしは目の前のジャックス少年に微笑んだ。

 まだ間に合うかもしれない……、村が襲われたあの夜のあの時から、床下に隠れて怯えて震えていたあの時から、ずっと悪夢のような重石になっていた父の言葉が、少しだけ軽くなったような、そんな気がした。

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