第10話 夜1 退勤

 今宵の『隣のメシヤ亭』は、大勢の客でごった返し、繁盛していた。

 テーブル席もカウンター席も埋まり、ビールジョッキやつまみ類の注文が飛び交い、ウエイトレスや料理人、店長まで料理を作っては運び、空のジョッキや皿や器を運び、客と店員でごった返すほど満員であった。


 ウエイトレスの少女――リア・グレイシアは、そのせいで帰りが遅くなってしまった。


 少し落ち着いた頃を見計らい、口髭を生やしスキンヘッドで顔に傷がありゴリラのように筋骨隆々な体格の店長――ダニエルが、ウエイトレスのリアに仕事を切り上げるように指示して、漸くリアはいつもよりも遅く完全に日が沈んでしまった頃に帰ることとなった。


 着替えを終えたリアが厨房に顔を出した。


「お疲れ様でしたー、お先に失礼します」


 リアがそう言うと、厨房からウエイトレスや料理人が、お疲れー、と返した。


 丸鳥の照り焼き十人前を運び終えたゴリラのような体格のダニエルが、帰ろうとするリアを呼び止める。


「リアちょっとまってくれ」


 呼び止められたリアは、物が詰め込まれた麻袋を手に持ったダニエルに振り返った。


「はい、店長」


 と、リアが返事をすると、ダニエルは物が詰め込まれた重そうな麻袋をリアの前の床に置いた。


 ダニエルが口を開いた。


「今日は遅くなって悪かったな。礼代わりと言ってなんだが、こいつをもらってくれ」


「なんですかこれ?」


 と、内心、先日のから揚げのこともあり少々警戒しながらリアが、麻袋を開けて中身を確認する。

 麻袋の中には芽の生えた状態の悪い大量のジャガイモが入っていた。


 ゴリラのような体格のダニエルが、申し訳無さそうに言った。


「すまねぇな、実は今日、倉庫で使うの忘れてたジャガイモが大量に見つかってな、捨てて処分するのも勿体無いから貰ってくれないか?」


 食べられる物……、疑心暗鬼だったがこれなら余裕で食べられて嬉しい、とリアが素直に喜ぶ。


「ありがとうございます店長!」


 大きな右手を後頭部に回し、照れくさそうにダニエルが笑顔で説明する。


「いやぁいいってことよ。あと、食べる時は絶対に満遍なく火を通すこと。芽を取って、青い部分をそぎ落としてくれよな。その二つの部分は毒だから、火を通さずに食べたり、芽の部分が残ってたりするとあたるから、慎重に調理しろよ」


 開いた麻袋のヒモを固く縛り、リアは廃棄処分のジャガイモが大量に入った重そうなそれを、よいしょっと、軽々肩に担ぎ上げながら再びお礼を言う。


「はい、わかりました。どうもありがとうございました」


「おう」


「じゃあ、お先に失礼します」


 と、リアが帰ろうとしたとき、それを見送ろうとしたダニエルが、一つ伝え忘れていたことを思い出し、手を伸ばして呼び止める。


「ちょっとまってくれ」


「はい?」


 リアが麻袋を担いで嬉しそうな顔で振り返る。


 ダニエルが少しだけ緊張した面持ちで口を開く。


「遅くまで働かせといて何なんだが、最近このあたりで盗みとか食い逃げとか物騒なことが多くてよぉ、普段見かけねぇ危なそうなやからも街で見かけるようになってるから、夜道は十分気をつけて、なるべく街灯が立ってる明るい大通りを歩いて帰るんだぞ。いいな?」


「はい、大丈夫です。いざとなったら走って逃げます。体力には自信あるんで」


 嬉しそうに麻袋を担ぐリアがあっけらかんとそう言った。


「まぁ、そういうことで。気をつけて帰りな」


「はい、ありがとうございました。では、お先に失礼します」


「おう、お疲れ」


 ダニエルは麻袋に入った大量のジャガイモを担ぐ嬉しそうなリアを見送った。


 とにかく食料が確保できて嬉しそうな金欠のリアは、夜道の心配をするダニエルなど気にも留めず軽い足取りで厨房を出て、バックヤードのドアから店の裏路地に出る。

 バックヤードのドアを閉め、状態の悪い大量のジャガイモの入った麻袋を嬉しそうに担ぐリアは、明かりの無い暗い裏路地から表の通りへ、そのままの軽快な足取りで向かった。


 立ち並んだ街灯の明かりが道を照らす通称<ギルド通り>にリアが出る。


 すると、麻袋を担いで裏路地から出てきたリアが、そこへ偶々通りかかったベージュのワンピースを着たよそよそしいマリエッタと鉢合わせた。




 ベージュのワンピースを着たマリエッタは、左手にレザートランクケースを持っていた。

 よそよそしい態度のマリエッタが偶然を装いつつ、麻袋を担いだ機嫌の良さそうなリアに言った。


「あ、あらリア、偶然ね」


 突然鉢合わせたマリエッタに驚き、麻袋を担いだリアが声を上げる。


「マリエッタお姉さま! どうしてこんなところに?」


 リアから目をそらし、レザートランクケースを左手に持ったマリエッタが口を開く。


「ちょっとあなたに用事がありまして……」


「わたくしにですか?」


 と、きょとんとするリアに、マリエッタは続けて言う。


「えぇ、実はユリウスに届けてほしいものがありましてよ」


 マリエッタは左手に持ったレザートランクケースを、麻袋を担ぐリアに差し出した。


 差し出されたレザートランクケースを不思議そうに眺め、リアが訊いた。


「お兄さまに……、なんですのそのケース?」


「ちょっと昼間にわたくしの不手際でユリウスに迷惑をかけてしまったので、そのお詫びです」


 中身のことは明言せず、マリエッタがそう言った。


 左肩に麻袋を担いだリアは何も言わず、なんとなくばつの悪そうな口調のマリエッタの事情を察し、仕方なく右手でマリエッタから差し出されたレザーケースを受け取った。


 両手が塞がるリアを見て、マリエッタが言う。


「ごめんなさい、重くなくて?」


「このくらいなら全然大丈夫ですわ」


 と、左肩に大量のジャガイモが入った麻袋を、右手にレザートランクケースを持つリアは、本当に荷物を苦に感じてない素振りで、そう返事をした。


 続けてリアが訊いた。


「お姉さま、これからどちらへ?」


「えぇ、用事も済んだのでこのまま帰らせていただきますわ。<南東商学大通り>の噴水公園前の馬車に乗って城まで行きますわ」


「じゃあ噴水公園前の馬車の待合所までお送りいたしますわ。なにやら最近、物騒ですので」


「そうさせていただきますわ。今日は少々気をつめることが多かったので、リアと少しお話でもしたかったですわ」


「じゃあ行きましょうお姉さま」


 こうして、大量のジャガイモが入った麻袋を左肩に担ぎ、右手でレザートランクケースを持ったリアと、リアと出会って少しだけ気が楽になったベージュのワンピースを着たマリエッタは、ギルド関係の建物が建ち並ぶ通称<ギルド通り>から<南東商学大通り>の<ロードネス噴水公園>の前にある馬車の待合所に向かって歩き出したのであった。

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