第9話 夕2 お嬢様は夕日に迷う

 夕刻、遊んでいた子供たちが母親たちに呼ばれ帰宅する風景や、学校帰りの学生たちが噴水周りのベンチで買い食いをする姿などが見られるロードネス噴水公園を、暁色とオレンジの夕日の光が照らしている。


 柵で仕切られた小さな森林エリアの傍のベンチに座り、ベージュのワンピースを着た貴族の金髪の女性――マリエッタ・ロードネスは思いに耽る。

 傍らに置かれているレザートランクケースにそっと手を触れる。


「会い辛いですわ……、渡しそびれて結局こんな時間になってしまいましたわ……」


 と、ため息を吐き、胸中で独り言を繰り返す。


 (なぜ、忙しいのにわたくしがこんなことまでしなければいけませんの……、偶々、用事があったからユリウスに会いに行っただけですわ……)


 (でも、元はわたくしがジャックスにはっきりと付きまとうことを止めるように言いつけなかったせい、無駄に引き連れてしまった為にユリウスに迷惑をかけてしまったのですわ……)


 マリエッタは金髪を軽く乱して勢い良く首を振り、続ける。


 (いえ、決してジャックスのせいでもありませんわ。わたくしはわざとやったのですわ……、あざといわたくしはわざとそうなるように、ユリウスに会うための口実を、わざと作って、ユリウスの反応を楽しみにしていたのですわ……)


 マリエッタが右手で額を抑え、自問自答を続ける。


「なんて幼稚なのかしら……、恥ずかしいですわ……」


 結果として誰も楽しめず得もしなかった出来事を引き起こした自分の配慮の無さに恥を感じ、胸中で言葉を吐き続ける。


 (ほんとお馬鹿ですわ……。急いでヌワールのティーセットを購入したものの、また押しかけるようなことをしてしまっては、また口実を作ってユリウスに会いたいだけの自分勝手で浅はかな女になってしまいますわ……)


「謝るだけでいいことですのに……」


 またため息を吐き、傍らの茶色いレザートランクケースを左手で擦る。


「なぜ、わたくしはこんなことで悩んでいますの…… いつもなら悩まずともすぐにユリウスに会いに行きますのに……」


 あの時、壊れて散らばったティーカップをの破片を拾い上げるユリウスに手を差し伸べようとした。

 でも、彼から近寄りがたい気配を感じ、手を引いてしまった。


 あの時、彼から感じ取った気配は、とても冷たく厚い壁のような、まるで誰も近づけさせないように、悟られないように懸命に隠す静かな怒りと、相手に対する恐怖を与えるプレッシャーを放っていた。


 いつもの温厚で優しく、ユーモアもあり、気品も気遣いもあるユリウスが、確実にあの時、あの瞬間は、固く心を閉ざしていた。

 それに、獲物を狙う冷徹で残虐な猛獣のような彼のもう一つの野心的な目と顔も、脳裏から離れない。


 見慣れているはずなのに、マリエッタは優しいユリウスの、そのもう一つの彼の顔には、いつも恐怖を感じ、気軽に接することを躊躇してしまう。


 見慣れているはずなのに苦手で慣れない彼のもう一つの顔、それが今、マリエッタが今一度彼と会うことを躊躇している理由の一つでもあった。


「はぁ……、悩んでいてもしかたありませんわ……」


 マリエッタは傍らのレザートランクケースの取っ手を左手で握った。


「そうですわ」


 マリエッタは右手でポケットから懐中時計を取り出し、時間を確認した。

 時計を見ながら、マリエッタはレザートランクケースを持ち、口を開いた。


「まだお店にリアが居るかもしれませんわ。あまり褒められたものではありませんが、こうなれば、リアに届けてもらえばよろしくてよ」


 ベージュのワンピースを着たマリエッタは懐中時計をポケットにしまう。


 暁色でオレンジの夕日はもう地平線の中に沈みきろうとしていた。

 辺りは薄っすら暗くなりかけており、水が流れ出る噴水周りのベンチに座る人の姿も、すっかり見かけなくなっていた。


「急がないといけませんわ」

 

と、マリエッタは足を踏み出しベンチから離れる。


 向かう先はリアが働いている冒険者ギルドの横の『隣のメシヤ亭』だった。

 マリエッタは気が重く進まない足を動かし、前へ進み出した。

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