第11話 夜2 貧乏少女と怪盗オクター

 ジャガイモの入った麻袋を左肩に抱え、レザートランクケースを右手に持つ少女――リア・グレイシアと、ベージュのワンピースを着た金髪の貴族のお嬢様――マリエッタ・ロードネスは、ギルド関係の糧物が建ち並ぶ<ギルド通り>から左折し、飲食、インテリア、雑貨などの商店が建ち並ぶ商業区<南東商学大通り>を進む。


 街灯が立ち並び、歩道、道路は明るいが、夜のため道路を走る馬車も見かけず、商店は全て閉まり人通りもまったくない。

 麻袋を抱えてトランクケースを手に持つリアと、ワンピース姿のマリエッタとの二人だけの歩く影が、街灯の明かりにとって地面に映し出される。


 二人は談笑しながら歩き続ける。


 麻袋を抱えるリアが、朝にユリウスが無断で通帳からお金を下ろしていたことや、食い逃げ騒動のこと、今日は忙しく帰りが遅くなってしまったことを話し、それを聞くマリエッタは口に手を当てて笑い、昼間のジャックスの騒動を一時でも忘れることが出来て気が休まった。


 そして、人が全く居ない街灯に照らされた大通りを暫く進んだ頃、噴水公園前の馬車の待合所まで歩き続ける二人の目の前に、不穏な影が現れる。


 顔を合わせて談笑する二人の前に、路地裏から人が飛び出してきた。


 麻袋を担いで手にレザートランクケースを持つリアと、談笑を楽しんでいたベージュのワンピースを着たマリエッタの足が止まる。

 二人が前方に振り向くと、ニタニタと不敵な笑みを浮かべ、ナイフを手に持って刃先をリアとマリエッタに向け、服装は安物で汚い服の山賊のような風体の三人組が、道を通さないように横並びに立ち、進路を妨害していた。


 三人組の一人は無精髭で頭に汚いバンダナを巻いて舌を出してナイフを舐める少し背の低い男で、もう一人は刺青の入ったスキンヘッドでニヤける口元から覗く歯は汚く所々抜けている男、そしてもう一人はやせ細って足元もおぼつかない様子の笑っているだけの男だった。


 三人具の顔は赤く、真っ直ぐ立つこともできず終始ふらふらしていた。


「ちょっとまちなぁ、ヒック……、命が惜しかったら金目のもの全部置いてきなぁ……」


 超が着くほど古典的で典型的な追いはぎだった。


 近寄らずとも匂う男たちから漂う酒の匂いに、顔をしかめるマリエッタとリア。

 どこかで見たことがある……、と三人の風体に、リアが記憶を思い起こす。

 暫く考え、トランクケースを持ち麻袋を担ぐリアが、思い出して口を開く。


「あなたたち、昼間のガラの悪いお客さん……」


 三人組の中央に立つ少し背の低い汚れたバンダナを巻いた無精髭の男が、しゃっくりを繰り返し、酒臭い口臭を撒き散らす。


「ヒック……、誰だかしらねぇがぁ、素直に従えねぇのなら痛い目みてもらうぜぇ……」


 典型的な台詞、古典的な風貌、その三人組は感動すら覚えるほどの見事なやからだった。


 あまりの古典的な出来事に、リアが少し驚き、また同じように驚くマリエッタに訊いた。


「お姉さま、まさかこれって……」


「えぇ、きっと誰かの悪戯ですわ」


 と、マリエッタが俄かには信じがたい状況をそう判断した。


「ですよねー」


 と、レザートランクケースを手に持ち麻袋を担いだリアがあっけらかんと笑う。

 マリエッタも、冗談が過ぎますわ、と堪えきれずに笑い噴出す。


 緊張感の無い二人を見て、ナイフを構え直して汚いバンダナの男がなにやら怒り出した。


「何がおかしいんだこらぁ! ヒック……」


「兄貴、やっちまいましょう」


 と、刺青の入ったスキンヘッドの男がバンダナの男を促す。

 やせ細った今にも転びそうな足のおぼつかない男も笑いながら、やろうやろう、と同意する。


「ヒック……、まぁ待ちなぁ」


 汚いバンダナの男がそう言い、続ける。


「どうやらあまりの出来事にお嬢ちゃんたちは恐怖で錯乱しているようだなぁ」


 それを聞き、リアとマリエッタは笑いを堪えきれずにさらに笑い噴出す。


 汚いバンダナの男が唐突に自己紹介をしだした。


「俺の名前はダズ、そっちのハゲはガーズ、ひょろいのがバンズだぁ。ソーモンのスラムでこの名前を聞いて震え上がらないやつはいねぇぜ……」


 汚いバンダナの無精髭の男――ダズと、刺青の入ったスキンヘッドの男――ガーズと、足元のおぼつかないやせ細った男――バンズは、ナイフを構え直して再びリアとマリエッタに刃先を向ける。


 若干、気になったのでマリエッタが笑うのをやめて訊いた。


「ソーモンですって。なんでソーモンの方たちが遠路遥々ロードネスへお越しになさって?」


 汚いバンダナの無精髭のダズが口を開く。


「俺達はよぉ、飽きたんだよぉ! ソーモンって言う悪党家業の街になぁ!」


「ここにはがいないからな……」


 と、刺青の入ったスキンヘッドのガーズがボソッと言った。

 それを聞いた汚いバンダナの無精髭のダズが、ガーズに振り返って怒鳴る。


「その名を口にすんじゃねぇ!」


「怖ぇからなぁ!」


 と、突如、足元のおぼつかないやせ細ったバンズが、誰に言うのでもなく叫ぶ。


「…………」


 場に沈黙と微妙な空気が漂う。


 マリエッタが口を開く。


ですわ……」


 と、マリエッタは顔を輝かせて続けて声を上げた。


「これはきっとユリウスから教えていただいたと言う計算されたテンポの掛け合いによる喜劇ですわ! こんなに近くで見られるなんて感動ですわ!」


 目の前で繰り広げられる三人組の見事な掛け合いに、感動して喜ぶマリエッタ。

 リアも驚愕する。


……、これがお兄さまがよく言っていたあの……」


「そうですわ! この方たちはきっとという面白い有名な方たちですわ!」


「あ、あの……ファンです、サインください」


 と、リアが照れくさそうにナイフを構える酔っ払いの三人にそう言った。


 状況が激しく混乱していく。


 ダズ、ガーズ、バンズの三人組は状況がつかめず、なにやら嬉しそうにはしゃぎだしたリアとマリエッタを見つめる。


 リアが肩に担いだ麻袋を地面に下ろし、レザートランクケースも地面に置き、背負ったリュックを地面に置いた。

 リュックの中を漁って、リアは紙を一枚と鉛筆を取り出す。


 それを持って、リアはナイフを構える汚いバンダナのダズに近づく。

 その紙と鉛筆を、リアはお辞儀をしながら、ナイフを構えるダズに両手で差し出した。


「お願いします!」


 訳も分からず、ナイフを構えながら差し出された紙に目をやる。

 少し破れている紙には『隣のメシヤ亭』という店名と、注文、座席、人数、金額、合計金額と書かれていた。


「伝票じゃねぇか!」


 バキーンと、ダズは自らが持ったナイフを地面に勢い良く叩き付けた。


 目を泳がせつつリアが言う。


「え、今これしか持ってなくて……、すみません」


「なんで破れた伝票持ち歩いてんだよ!」


「あの、家貧乏なんで、使い捨てでも紙は大切にしないと……」


「そんなに嬉しそうにしてんのに俺たちへの興味は使い捨ての破れた伝票程度かよ!」


 状況が混迷を極める。


 刺青の入ったスキンヘッドのガーズがたまらず割って入る。


「あ、兄貴、ファンは大切にしないと……」


「破れた伝票でサイン求めてくるファンなんているわけねぇだろがバカ!」


 リアに振り返る汚いバンダナのダズ。

 そして、悲しそうに顔を伏せる少女。


「あ、いや、なんだ……」


 申し訳無さそうに少し慌てる汚いバンダナのダズ。


「貸せ!」


 と、リアから破れた伝票と鉛筆を取り上げる汚いバンダナのダズ。

 汚いバンダナのダズは無言で破れた伝票の裏に自分の名前を書き、続いて刺青の入ったスキンヘッドのガーズと、足元のおぼつかないバンズにもサインを書かせた。


 サインを書き終えた伝票を、ダズは目を潤ませ落ち込むリアに、そっけなく渡した。


「ほらよ」


 破れた伝票のサインを受け取り、少女の顔に笑顔が戻る。


「ありがとうございます!」


「よかったわねリア」


 と、後方からリアの荷物を店の軒先に移動させるマリエッタが、喜ぶリアにそう言った。


 汚いバンダナのダズは、満面の笑みで破れた伝票を手に喜ぶリアを見て目を伏せる。


「なぁ、俺……」


 地面に叩き付けたナイフを拾い上げ、ダズが口を開く。


「悪党やめるわ……、もう疲れちまった……」


 拾ったナイフを見つめ、静かに鞘に収め、リアとマリエッタに背を向けたダズ。


「紅蓮の女剣士みてぇなぜってぇ勝てねぇ化け物とかの相手させられてよぉ、毎日毎日ソーモンで、命がけで明日生きる為に山賊も夜盗も強盗も、ガキの頃から何時だって悪党してきたが疲れちまったよ……」


「あ、兄貴……」


 思いつめた様子のダズに手を伸ばす刺青の入ったスキンヘッドのガーズ。


 汚いバンダナのダズが、鞘に収めたナイフを腰のベルトから外し、それを掴んだ右手を横に伸ばす。


 背中を見せたまま、ダズが言った。


「すまん……、俺、足洗うわ……」


 横に伸ばした右手から鞘に収められたナイフが離れ、地面に悲しい音を立てて弾んだ。


 それを見たスキンヘッドのガーズと、足元のおぼつかないひょろいバンズも、お互いに目配せし、頷き、鞘にナイフを収め、それを腰のベルトから外して地面へ落とした。

 背中を見せながら、汚いバンダナの無精髭のダズが、リアとマリエッタに言った。


「時間取らせて悪かったな」


 ダズが顔を向けず二人に背を見せながら、指を二本立てて額にあて、その指を横に振った。


「そいつは選別だ、受け取ってくれ」


 寂しそうな背を向けて立ち去っていく汚いバンダナのダズ。

 親指を立ててサムズアップをリアとマリエッタに向けて見せ、スキンヘッドのガーズもダズの背中に続く。


「あばよ嬢ちゃんたち」


 足元がふらふらのやせ細ったバンズも続いて敬礼し、ふらつきながら振り返り、ダズ、ガーズに続いてこの場を去っていく。


 リアが地面の鞘に納まったナイフを拾い上げ、追いかけようとするが、マリエッタが肩に手を置き、振り向いたリアに無言で首を振った。


 路地に入り、夜道に消えて行く悲しそうな男たちの背を見送る。

 破れた伝票と鞘に収まったナイフを手に、リアは口を開いた。


「ありがとうの人たち……」


 鞘に収まったダズのナイフを持ったリアが、サインの書かれた破れた伝票を、無造作にポケットに突っ込む。


 この場に再び静寂が訪れる。


 街灯が二人を照らし、道に影が伸びている。

 暫く黙り込むリアとマリエッタ。

 混迷を極めた状況が、元の帰路への夜道へと改善される。




 ……かに思われた。




 始めに異変に気づいたのはベージュのワンピースを着たマリエッタだった。


「あら、あちらの街灯の明かりが消えていますわ」


 自分たちが向かう先、噴水公園方面の歩道先の通りの奥から、街灯の明かりが失われていた。

 鞘に収まったナイフを持ったリアが、マリエッタの背後を見つめ、異変に気づき言った。


「あちらも消えていますわ」


 自分たちが進み歩いてきた<ギルド通り>方面の街灯も、明かりが奥から徐々に消されていく。


 音もなく現れた暗闇が、二人の周囲を支配していく。


 徐々に、徐々に、徐々に、リアとマリエッタを取り囲むように、街灯の明かりが闇に呑まれ、また一つ、また一つ、と先から奥から消えていき、音のない闇が獲物を掴む魔の手のように二人に迫る。


 背筋に冷たい恐怖を感じ、マリエッタの顔がこわばる。


 街灯が消え、暗闇を増す闇の灯火が、徐々に加速して二人に迫ってくる。


 ただならぬ、重苦しくどす黒い気配を感じ、リアが手に持った鞘からナイフを引き抜いた。


 キーン、とリアの右手から金属音と共に、鞘から引き抜いたナイフが何か重い衝撃にぶつかり、宙に弾かれた。


「なッ⁉」


 短く声を上げ、何が起こったのかわからず困惑するリアが、ナイフを持っていた手を押さえる。


 ベージュのワンピースを着たマリエッタが、顔を引き締めて身構えた。


「リア、注意しなさい」


「お姉さま、これは一体⁉」


 周囲を警戒し、辺り一面を照らしていた明かりが消えていく街灯を振り返りながら、リアも鞘を握ったまま身構える。

 そして、街灯の最後の一本が、明かりを一瞬にして消される。


 二人を完全に音のない闇が包む。


 右頬に音のない僅かな風を感じたリアが叫んだ。


「お姉さまそちらです!」


 リアが全力で駆け出す。


「いつの間に⁉」


 と、マリエッタが慌てて手を前に伸ばした時には、その黒い影は手の届く直前まで走り、近寄っていた。


 きらりと光る鋭いものがマリエッタの喉元に迫る。


 しかし、いつの間にかマリエッタの足元にスライディングで現れたリアが、地面に両手を着き、下半身を跳ね上げて黒い影を、地面を押す両手の反動で跳ね上げた右足で蹴り上げた。


 ドゴッ、という体を蹴り上げる鈍い音と、ぐっ、という小さく漏れた声と共に、黒い影の塊が後方まで吹っ飛ばされる。


 すぐにリアは立ち上がり、黒い影からマリエッタを守るように右手の拳を前に、ナイフの鞘を握った左手を左胸に引き構えて、立ちふさがる。


 真っ暗闇の中、僅かに上弦の月により照らされる明かりで、静かに態勢を整える影の姿が浮かび上がる。

 それは黒いローブを羽織ってフードを被り、フードの中を黒い霧で覆われた顔の見えない人のような者だった。


 右手にきらりと光る白銀のナイフを持ち、左手に刀身の見えない黒いナイフを持ち、顔の見えない黒いローブの者はリアとマリエッタに対峙していた。


「お姉さまお怪我は?」


「ありませんわ」


 背後のベージュのワンピースを着たマリエッタを気遣うリア。


 目前の黒いローブを着たナイフを持つ者に、左手の掌を向けマリエッタが口を開く。


「何者ですの一体……」


 黒いローブの黒い霧で顔の全く見えない者は、リアとマリエッタの動向を窺がったまま立ち尽くして動かない。


 マリエッタがリアの背後から言う。


「街中ですので威力の大きい魔法は使えませんわ」


「わたくしは大丈夫ですので、自身の安全を最優先でお願いしますわお姉さま」


 ジリ……と、拳を構えるリアと、ナイフを構える黒いローブの者の、足が地面を擦る音が、同時に鳴る。


「来ますわよ」


 マリエッタのその声を合図に、三人が同時に動いた。


 黒いローブの者が飛び上がり、宙に舞う。


 マリエッタが左手の掌を宙に向け、魔法を発動した。


「ヒヤード!」


 マリエッタがかざした左手の掌の前に、円形の青い小さな魔方陣がクルクルと浮き出て発現し、中から氷柱が三発飛び出した。

 宙に放たれた氷柱が、黒いローブの裾を掠める。


 宙を舞う黒いローブの者の着地を狙い、一気に駆け出したリアが、距離を詰める勢いにのって振りかぶった右拳の裏拳を、着地した黒いローブの者に放つ。

 ブン、とリアの放った裏拳は、黒いローブの者が上半身を逸らして躱し、空を切る。


 白銀に輝く右手のナイフを、上半身を起こしながら黒いローブの者がリアの顔目掛けて切りつける。

 リアは上半身を大きく背後に逸らして黒いローブの者のナイフを躱し、そのままバク転して後方へ距離をとる。


 黒いローブの者がバク転するリアの着地を狙って追いかけ一気に詰め寄り、左手の黒い刀身のナイフをリアの胸に突き出す。

 リアは右足を前に出し体を横に逸らして、右手の手刀で黒いローブの者の左腕を擦り、突き出したナイフの攻撃を捌く。


 そのまま黒いローブの者が伸ばしきった左腕をリアは掴み、前に伸びる勢いを殺さず引いて上げ、相手の重心を崩して右手で黒いローブの裾を掴んで地面へ投げる。


 弧を描き宙に浮く黒いローブの者は、空中でリアの背を蹴り態勢を崩させて、その瞬間に掴まれた左腕を引き抜き、宙で身をよじって態勢を整えて着地する。


 黒いローブの者はその場から飛びのいて、バランスを崩すリアから距離をとり、再びナイフを構えてリアと対峙する。


 黒い霧で顔の見えない黒いローブの者は、逆手に持った両手のナイフを顔の前で構える。


 マリエッタが左手の掌を地面に向け、魔法を発動する。


「オーバーセンス・デンジャーディテクション」


 円形の黄色い魔方陣がマリエッタの左手の掌からクルクルと発現し、危険感知感覚を上げる黄色いオーラがマリエッタの体を包み込み、消えた。


 マリエッタがリアに注意する。


「もう一人いますわ。注意してくださいまし」


 マリエッタが左手を前にかざし、魔法を発動する。


「アイシクルシールド」


 マリエッタの左手の掌の前に円形の青い小さな魔方陣が発現し、クルクルと回る。

 マリエッタの左手に小さな氷が出現し、そこから円形に氷が生えていき拡大し、盾となる。

 左手に持ったその氷の盾を、マリエッタは構える。


 向上した危険感知で感じ取った気配に、はっと顔を挙げ、マリエッタは左手の盾を左上空に振った。

 

バキバキ、と上空にかざした氷の盾が何かと衝突し、衝撃を受けて音を上げる。


 氷の盾には小さな金属の玉が二つめり込んでいた。


「先ほどのリアのナイフを落としたのはこれですわね」


 リアは目の前の黒いローブの者から目を放さず、拳を前に構え続ける。


 上弦の月に照らされた暗闇の中で、緊張した空気が包み込む。


 じりじりと、横に移動し間合いを計る、拳を構えたリア。

 横に移動するリアに、音も立てず体を真正面に向け続ける黒いローブの者。

 周囲を警戒し、闇に隠れているもう一人の敵対者を目を凝らして探し出そうとする氷の盾を構えたマリエッタ。


 その三者が膠着する。

 静寂が漂う。

 大きく動けば不利になる。

 緊張でリアとマリエッタの額に汗がにじむ。


 静寂が、闇と共に空間そのものを包み込んだ異様な緊張感と、突き刺す殺気と気配の目には見えない静かな嵐。

 そんな誰にも壊せない強固な静寂をいとも容易くぶち壊す、意外な人物がいた。


「まてーい悪党め!」


 言葉の意味することころはあまり理解できなかった。

 リアとマリエッタが左に振り向く。


 声がした二人とは反対側の歩道に、リアとマリエッタがいるこちらへ向かってくる人物がいた。


 サーベルを鞘から引き抜き、馬鹿そうな顔をして歩いてくる恰幅の良い男がいた。

 赤い髪の青い貴族服を着た青年――ジャックスレイモンドが、笑いながらそこにいた。


 たまらず氷の盾を左手に装備したマリエッタが名を叫んだ。


「ジャックス!」


 どうして……、と状況が飲み込めず、マリエッタは困惑した。


 自信満々な笑顔で、サーベルを振り上げる赤い髪のジャックスは言った。


「夜闇にまぎれて淑女を襲うとは卑怯なやつめ、成敗してくれる!」


 はっはっはっはっ、と不自然な笑い声を上げたままサーベルを振り上げたままジャックスが暗い道路を横切り暢気に歩いてくる。

 と、そこでキーン、という金属がサーベルとぶつかる音が響き渡る。


「なに?」


 衝撃で体を反らし驚くジャックスの手からサーベルが弾かれ、サーベルが宙をクルクルと回る。


「危ない!」


 とっさに叫び、サーベルを握っていた右手の掌を間抜けに見つめつつ首を傾げるジャックスに向かって、リアが飛び出した。


 黒いローブの者の姿はすでにリアの前から消えていた。


 宙をクルクルと回って落下していくサーベルに飛びつき、リアが身を翻し、空中で回転するサーベルの柄を右手に掴んだ。

 そのまま落下しながら、サーベルをジャックスの目の前の空間に向かって斬りつけた。


 リアがサーベルで斬りつけた空間に、ジャックスの喉元に右手の白く輝くナイフを突き立てようとしていた黒いローブの者が、すんでの状態で、瞬時に身を引き、黒いローブの残像だけがその場に映る。

 リアが振ったサーベルがその残像を斬り払い空を切った。


 地面に着地し、ジャックスを守るようにサーベルを構えるリアは、後方へ飛びのいて距離をとる目の前の黒いローブの者と対峙する。


 リアが背後に腕を回し、黒い霧で覆われ顔の見えない黒いローブの者から視線を外さず、背後のジャックスに注意する。


「危ないですので離れないで下さい」


 目の前で起こった瞬時の出来事にあっけに取られ、何も言えない赤い髪のジャックスは、サーベルを構えるリアの凛々しい後姿をただただ見つめながら、息を漏らすような小さな声で返事をする。


 魔法で向上した危険感知の能力で感じ取った気配に気づき、マリエッタが叫ぶ。


「リア上です!」


 はっと顔を挙げ、リアは上空から投げられたナイフが、暗闇に紛れて飛んできていることを確認する。


 リアは咄嗟に目の前も確認する。

 既にリアに向かって黒いローブの者が、上空から飛んでくるナイフと同時にこちらに向かって飛び出していた。


(ナイフを避ければ後ろの人にあたってしまう!)


 と、リアは判断し、歯を食いしばり、サーベルを上空に向かって振り、顔目掛けて飛んできたナイフを斬り払った。

 キーンと、ナイフが弾かれ金属音が響く。


「くっ!」


 リアは歯を食いしばって、斬り払った反動のまま勢いを殺さず、思いっきり身をよじって翻り、ナイフを突き立てて走りこんできた黒いローブを着た者の顔面目掛けて、後ろ飛びまわし蹴りをぶち込んだ。


 不意をつかれた黒いローブの者の顔面らしき場所にリアの右踵が直撃し、鈍い音を立てて衝撃が発生し、地面を転げながら吹っ飛ぶ。


 ゴロゴロゴロと土煙を上げて黒いローブの者が、地面に直撃しながら何度も体を回転しつつ勢いを殺していき、止まる。


 黒いローブの者が、苦しそうにうめきつつ、片膝をつきながらよろよろと起き上がり、弱弱しくナイフを構える。


(弱っている、いけるか? でもこの人を守りながらだと……)


 ちらっと背後の赤い髪のジャックスに目を向けたあと、すぐさま目の前の黒いローブの者に目を移す。


 サーベルを構え、機会を窺がうリア。


 肩が荒く上下し、ダメージを負っている様子の、顔の見えない黒いローブの者。


 再び場が膠着したかと思われたその時、くぐもった男女入り混じった不思議な声が闇の中に響き渡った。


「ナカナカ、やるではナいか……」


 ノイズが混じったような高音と低音が混じる、男女入り混じった聞き取り辛い声だった。

 続けて聞こえてくる。


「シルバーランクか……、イヤ、ゴールドか……」


 氷の盾を左手に装備したベージュのワンピースを着たマリエッタが声を上げる。


「リア気をつけて! 魔法感知が効かない!」


 対峙している黒いローブの者の前に、間に入るようにして、黒い影が地面に現れ、そこから黒い人影が浮き出てきた。


 黒い塊が立つように地面から伸びていき、完全に人の形となる。

 黒い影が霧のように霧散していく。


 現れたのは、また黒いローブを羽織ったフードで顔を隠し、黒い霧で顔の見えない人のような者だった。

 ただ、その者は手には何も持っておらず、武器らしきものも見当たらなかった。


 武器を持っていない黒いローブの者が、男女が混在したようなノイズ交じりの声を発する。


「ゴールドクラスは、デはらっているとキいたが……」


 サーベルを構えるリアと対峙する武器を持ってない黒いローブの者が、続ける。


「まァよい……、たとえゴールドクラスがナンニンいようと同じこと……」


 さらに続ける。


「マトメて潰してくれる……」


 武器を持ってない黒いローブの者の地面に向けた両手の掌から、円形の黒い魔方陣が出現する。

 そして、声を発した。


「シャドウバインド」


「しまった!」


 と、マリエッタが発した次の瞬間、リア、マリエッタの足元の影から黒い鎖が数本飛び出し、体を縛り上げた。


 リアの手からサーベルが離れ落ち、マリエッタの左手の氷の盾は砕け散った。

 地面から突き出た何本もの影の鎖に体を拘束され、もがくリアとマリエッタ。


 武器を持っていない黒いローブの者が、男女入り混じった不思議な声を発する。


「サッサとオわらせよう……」


 と、もう一人、闇にまぎれていた黒いローブを着た者が、影の鎖に体を縛られてもがくマリエッタの前に現れた。


 白く輝くナイフと黒い刀身のナイフを両手に構えた二人の黒いローブを着た者たちが、影の鎖に体を拘束されたリアとマリエッタに、歩を進めて一歩一歩近づき、リアとマリエッタに襲い掛かる。


 と、影の鎖に体を拘束されてもがくリアとマリエッタの喉元に、黒いローブの者たちがナイフを突き立てた、その時であった。


 上弦の月夜に、建物の屋上からマントを棚引かせる謎の白い影が、二人を助けるべく動いた。


 リアとマリエッタに襲い掛かった黒いローブの者に向かって、四角い長方形の薄い物体が何枚も向かって飛び、カカカカカカ、とすんでで躱した二人を追いかけるように、地面に鋭く突き刺さっていく。

 地面へと無数に突き刺さっていくのは、トランプカードだった。


 カカカカカカカ、とリアとマリエッタから十分な距離離れるまで、地面にトランプカードが何枚も突き刺さっていく。


 黒いローブの二人がトランプカードを躱しつつ、何度も後方へ飛び上がりながら移動し、武器を持っていない黒いローブの者の横へと着地した。


 カカッ、とリアとマリエッタに撒きついた黒い影の鎖にトランプカードが突き刺さり、黒い鎖は根元から砕け散り、拘束されていたリアとマリエッタの二人の体の自由が戻った。


 少し距離が離れていたマリエッタが、リアとジャックスに駆け寄った。


「二人とも、大丈夫ですの⁉」


 赤い髪のジャックスは呆気に取られて何も言葉を発せず、リアは手を握ったり開いたり十分まだ動くことを確認して、頷いた。


「大丈夫ですわ」


 武器を持っていない黒いローブを着た者が、声を発した。


「ジャマが入ったか……」


 と、黒いローブを着た三人が、足元の影の中に沈んでいく。


 ズズズズ……、と足、腰、胴、首と沈んでいき、最後に頭の先まで沈むと、あっという間に黒いローブの三人の姿は気配と共に、地面の中に消えた。


 すると、今まで闇に消えていた街灯が一つ、また一つと連鎖するように点き始める。


 消えていた街道の全ての街灯が点き、周りに明かりが戻る。


 リアとマリエッタは月明かりに照らされる建物の謎の白い影を見上げる。


 そこには赤いマントをたなびかせ、クリーム色のシルクハットを被り、クリーム色のタキシードを着て建物の上に直立する、笑っている仮面を被った正体不明の人物が立っていた。


「お姉さま、あれは一体……」


 建物を見上げるリアが、その笑っている仮面を被った正体不明の人物を見つめつつ、そう言った。


 顔を輝かせ、どこか誇らしそうに、マリエッタがその人物を見上げて答えた。


「あれは……、あれこそ人知れず悪をくじき弱きを助ける謎の正義のヒーロー……」


 自分でも意識せず力を込めて拳をぎゅっと握り、マリエッタは口を開いた。


よ」


 リアはマリエッタの少女のような嬉しそうな顔を見て、もう一度、怪盗オクターなる屋上に立つ人物に振り返ると、もうそこにはその姿はなく、消えてしまっていた。


「いなくなってしまいましたわ……」


 と、寂しそうにつぶやいたマリエッタを、リアは見つめる。


 暫くして、リアは地面に落としたサーベルを拾い上げ、呆気に取られて放心している赤い髪のジャックスにその拾い上げたサーベルを差し出した。


「あの、これ、ありがとう御座いました」


 少し間をおいて、リアが自分のサーベルを返してくれたことを認識したジャックスが、その差し出されたサーベルを受け取りながら、口を開いた。


「あ、あぁ、二人とも無事でよかった」


 ベージュのワンピースを着たマリエッタが、どうしようもない男を見る目でじっとりと困った顔で、リアに対してなぜかたじろぐ赤い髪のジャックスを見つめた。


 その視線に気がつき、咳払いをしてジャックスがいった。


「いや、助けられたのは俺だな、ありがとう」


 サーベルを腰の鞘に収め、赤い髪のジャックスが続けた。


「それで、これからどうするのだ?」


「わたくしはリアに馬車の待合所まで送っていただいていたところですわ」


 ベージュのワンピースを着たマリエッタが思い出し、リアを一度見たあと、そう答えた。


「そ、そうか……、それは奇遇だな。実は今から馬車でホテルまで帰る所だったのだ」


 よそよそしく、続けてジャックスが言った。


「ついでだ、俺がそのままマリエッタを送っていこう」


「頼りないですわ……」


 マリエッタが信用できない目でジャックスを凝視する。


「いいではないか、さあ、行こうか」


「また襲われてはたまったものではありませんし、しかたないですわね」


 冗談か本気なのか分からない自身ありげな態度で、ジャックスが胸を張る。


「そのときは任せてもらおう」


「わたくしが襲われる心配をしているのは、あなたのことですわジャックス……」


 ため息をつき、マリエッタが面倒そうに肩を落とした。


 リアが口を開く。


「じゃあお姉さま、わたくしはここで帰らせていただきます」


「今夜は怪盗オクターも見張っているので、多分もう先ほどのやつらは襲ってはこないでしょう」


 と、マリエッタはなにやら根拠があるような素振りでそう言った。


「ではリア、お気をつけて」


 と、マリエッタは頼りない赤い髪のジャックスを連れて、大通りの先の馬車の待合所に向けて歩き出す。


 暫く二人の背中を見送り、リアは自分の荷物のことを思い出す。


 慌てて周囲を振り返り、大量のジャガイモが入った麻袋と、マリエッタからユリウスに届けるように頼まれたレザートランクケースと、自分の着替えの制服が入ったリュックを探す。


 少し離れた店の軒先に、それらはすべて置いてあった。

 マリエッタがどこかのタイミングで移動させていたようであった。


 安心するリアは、そういえば、と三人組の置いていった鞘に収まったナイフも探し出し、それを拾い上げ、全てリュックの中にしまい込んだ。


 一つため息をつき、リアはリュックを背負い、麻袋を担ぎ上げ、レザートランクケースを手に持った。


 こうして、謎の襲撃を受けた少女は、なんとか無事に事なきを終え、漸く家に帰ることができたのであった。

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