第24話 クレイジーキティ5
十年近く経ったある日のこと、その時、わたしたちは部屋でくつろいでいた。
紫色の照明に照らされた薄暗い部屋は、甘く怪しいねっとりとした御香の匂いで充満していた。
下着姿のまま、わたしたちはくつろいでいる。
エルはマニキュアを塗り試し爪を眺め、わたしは煙管を吹かしながらファッション雑誌を読んでいた。
部屋の廊下からハイヒールの靴音が聞こえ、わたしたちは各々手を止めて部屋のドアを睨み警戒した。
ドアノブが回り、わたしは親指で弾くように鉄の玉をドアに向けて発射する。
エルは投げナイフをドアに向かって素早く投げた。
ドアが開くと同時に、ドアから現れたドレスを着た金髪の美女が、素早く手を振った。
「あなたたち、いい加減にしない。わたしだって分かってやってるでしょ?」
金髪の美女――クレオネピラが、わたしたちから挨拶代わりに受け取った投げナイフと鉄の玉を、左手から離して地面に落とす。
エルがやれやれと、肩をすくめて言った。
「かなわねぇな……、あんたはどうやったら殺せるんだい?」
「生意気言う前にちゃんと服を着なさいあなたたち。初めて会った時からなにも進歩してないわねほんと」
「着てるだろほら?」
と、エルがピンク色の下着姿を、顔に右手を当てて困った顔のクレオネピラに見せびらかす。
「ごめんなさい訂正するわ。少しは進歩しているようね。少しはね」
わたしはファッション雑誌を傍らに置いて、クレオネピラに訊いた。
「それで何の用? あんたが今更わたしたちにわざわざお説教しに来るとは思えないわ」
一呼吸置いて腕を組み、クレオネピラが口を開いた。
「とても大きな仕事よ。適任者があなたたちしかいなかったの。ギルドから直々にあなたたちに指令が下ったわ」
エルがキレ気味に嬉しそうな顔ではしゃぐ。
「そりゃあ良い! また汚ねぇ臭ぇおっさんたちの相手かい?」
クレオネピラは静かに首を振った。
わたしは煙管を吹かしてから、訊いた。
「じゃあ、殺しの方か? 大きいって言うならお偉い貴族か王族か?」
また首を振り、クレオネピラは否定した。
エルがクレオネピラを促す。
「もったいぶらずに教えろよ」
「頭の悪いあなたたちにも理解できるように簡単に言うと、隠密行動、スパイをあなたたちにやってもらうわ」
首をかしげ、クレオネピラにエルが訊く。
「スパイ? どっかに潜入でもするのか?」
「えぇ、それも目的達成までほぼ無期限にね」
「無期限? 話がいまいち良く見えないな……」
クレオネピラが右手の掌を返して、説明する。
「一から順に説明するわ。後、この仕事は絶対に他言無用、ちょっと複雑なの」
クレオネピラが続けた。
「まず、あなたたちに死んでもらいます」
「はぁ?」
わたしとエルが同時に口を開けて疑問符を浮かべる。
クレオネピラが続けた。
「死ぬと言っても、本当にあなたたちが死ぬわけじゃないわ。偽装して、あなたたちが死んだことにするの。そして、あなたたちは新しい上司の下で働いてもらうわ。簡単に言い換えれば転属転勤ね」
「もしかして、こことおさらばってこと?」
わたしは驚き、そう言った。
クレオネピラは頷き、続けた。
「えぇそうよ、これからあなたたちはソーモンのクレイジーキティとしてではなく、ただの一般人で貴族のメイドとして過ごしてもらうわ」
「わたしたちがメイド⁉」
わたしとエルが同時に声を上げた。
顔を見合わせ、わたしたちは笑った。
「こいつは笑える冗談だ! あんた今のわたしたちの姿を見てもそれ本気で言ってるのか?」
「本気よ。さっきも言ったでしょう。適任者があなたたちしかいないの。これはギルド直々の指令だからね」
真面目な顔をして、クレオネピラがわたしたちを静かに睨む。
わたしたちは笑うのをやめて、ため息を吐いてから口を閉じた。
クレオネピラが続けた。
「あなたたちはこれからローエン・レイモンドというネスの街を拠点にしている商人貴族の下でメイドとして働いてもらうわ。これからは一切、ソーモンとの接触は禁止する。もちろん、わたしと会うこともなしで。あなたたちよりも先に潜入して行動をしているソーモン出身者がいるから、詳しい仕事の内容は彼から聞いてちょうだい」
「それは、わざわざ死ぬ偽装してまでやることなのか?」
「ローエン・レイモンドと我々ソーモンのギルドは協力関係にあるわ。そのローエンが我々と繋がっていることを隠すための偽装だと思ってもらえれば良いわ」
「なるほど、少しだけ納得できた。要はローエンなんとかさんは、ソーモンのことを徹底的に隠したいわけだな」
「そういうこと。ソーモンと繋がってると知られたら、ローエンは今の地位も権力も失ってしまう。詳しくは言えないけど、これは我々ソーモンがこのロードネス領を支配する為の、大事な仕込みなのよ」
いまいち話の見えてこない困惑するわたしたちを尻目に、クレオネピラが続けた。
「わたしはこの十年間、あなたたちに教えられるだけのことは全て教えたわ。暗殺、戦闘技術、武器の使い方、男のかどわかし方、貴族相手に商売することもあるから、テーブルマナーから話し方、仕草、高い服の着こなし方、化粧の仕方、踊り方も教えたわね……」
懐かしむように、クレオネピラがそう言って、続ける。
「これでわたしからは卒業よ。折角育てたのに勿体無いけど、ギルドからの命令は無視できないわ。あとは転属先であなたたちの好きに振舞えば良いわ」
わたしは掌を返して、恩師にささやかな礼を言う。
「礼は言わないよ。多少の感謝はしているが持ちつ持たれつの関係ってやつさ。実際、役には立ってただろ?」
「最後くらいは素直にありがとうぐらい言って、可愛らしいところも見せて欲しかったわ。まぁ、良いわ。急で悪いけど今日中に支度してソーモンから出てってもらうわ。ネスまでの馬車はもう手配してあるから、支度が整ったらそれに乗ってちょうだい。馬車に退職金も積んであるから貰ってちょうだい。わたしからは以上よ」
そう言って、クレオネピラは馬車の位置と先行のスパイとの待ち合わせ場所をわたしたちに教えて、部屋を出て行った。
最悪から始まったこの街との思い出が浮かんでは消えていく。
顔を見合わせ、わたしたちは何かを惜しむような複雑な感情を抱いた。
掃き溜めの様な最悪な街ソーモンとクレイジーキティとの、急に訪れた別れのため、新しい門出の準備をわたしたちは始めた。
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