第21話 幻郷

 高い天井から降り注ぐ冬の日差しが、ちらちらと銀に反射するのに目を細め、秋人は人混みにその人物を見つけた。

「ウロ!」

 入国ゲートを抜ける人波に続いて、見慣れた黒いコートがやってくる。出迎えの列から身を乗り出して、秋人は呼びかけた。考えごとをしているように俯いて歩いていたウロは、ゆっくりと顔を上げる。

「……久しぶり」

 瞬きする大きな黒い瞳は変わらないが、何と言っていいか分からず秋人は唇を結ぶ。また会えて嬉しいのだけど、もしかしなくても迷惑なのかもしれない。黙ってしまった二人を見て、マリーは背後でまた呆れた溜め息を吐いた。

「いいから早く事務所へ行くぞ」


 一日早く帰国していた秋人とマリーは、ウロを待って日本支部へ向かうよう打ち合わせていた。オーストラリアを離れた日から、マリーは男性の姿だ。美女と二人連れで長時間のフライトは辛いなあと思っていた秋人は心底ほっとしたが、この屈指の美丈夫と連れ立っているのも別の意味でいたたまれない。関空から奈良へ、奈良から橿原へと近鉄を乗り継ぐ間、マリーは慣れたもので携帯アプリを操作しては秋人に質問していたが、ウロはずっと黙ったまま窓の外に流れる景色を見ていた。

「元気だった?」

 秋人は思い切って尋ねてみる。ウロは少し驚いたように振り返った。

「ああ。アキトは」

「なんとか単位落とさずに済んだ。ウロは髪切った?」

「さすがに伸び過ぎたから……」

 凛々しい目元がのぞくようになったはいいが、ますます若く見える。あ、もしかしてそれを気にしていたのだろうか。秋人は思わず見た目ほど硬くない黒髪を撫ぜて、ウロの耳たぶが冷たいことに気が付いた。

「ウロ、寒い?」

 マリーはダウンジャケットを着ているし、秋人もコートの下にセーターを着ているのだが、マレーシアからやってきたウロは、春先のシドニーで出会った時と同じ装いだ。

「大丈夫……」

 鼻を啜るような低い声音も、寒いからだと思えば納得である。頬がどことなく紅いのもそのためだろう。

「仕事の前に風邪ひかないようにしないと」

「体調管理はちゃんとしろといつも言っているはずだ」

 秋人とマリーから追求され、ウロは今はよく見えるようになった眉を盛大に顰めた。

「寒くない。子供扱いするな」

「子供扱いなんてしてない、心配してるんだろ、友人だから」

 言ってしまってから、秋人は頭を抱えたくなった。こういう感情的なやりとりは苦手であるはずなのだが、どうもウロに関することだと抑えが効かなくなるようだ。ウロは眉間の皺も忘れてぱちくりとしている。

「……アキトは嫌じゃないのか、オレみたいなのと組まされて」

「なんでさ、俺は競泳やってたけど、小柄でも年下でも凄い選手はいっぱいいる」

 マリーは笑いを噛み殺してこちらを盗み見ている。ウロはふいと視線を逸らしてしまった。車内アナウンスが聞こえて、秋人は首を巡らせる。冬空にさらさらと靡く草原の向こうは、いにしえの都だ。神岳の山の黄葉が、愛しい子らを呼んでいる。

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