豊葦原に八雲立つ
第20話 反転
群青の空を海鳥が滑っていく。シドニーのCBDは雑踏にハーバーからの光を揺らして銀灰色に烟って見える。秋人は寝不足の頭を上げ、亜麻色の髪の美女は上品にコーヒーを啜った。
「しかし理系だったとはね」
「俺の専門は検査です。開発ではありませんので」
ヘイ・マーケット上階のフードコートで、二人は向かい合って座っている。平日昼過ぎのためか人出はそれ程多くはないが、マリーのせいでどうしても好奇の視線を集めがちだ。秋人はもう慣れてしまった。ラップトップのキーを緩慢に叩く。
「フライトはブッキングしましたが、関空なんですか?」
「そうよ、奈良だもの。そう言えばアキトってホームタウンどこなの」
最後のアサイメント(課題)を提出した足でマリーの呼び出しを食らったので、秋人はよれよれである。
「働いていたのは東京ですが、母は岩手に戻っています」
「そちらにも寄ればいいじゃない。ずっと顔を出していないとみた」
そうですね、でも奈良と岩手では遠いですし。と曖昧に答える。マリーの予想は正しいが、相談も無しに突然会社を辞めてオーストラリアへ渡ってしまった三十代の息子を歓迎してくれるとは思えないんだよなあ、というか、自分に負い目があるので帰りたくない。母は理解のある人だし、息子を信頼して気にしないでいてくれるだろうが、ご近所親戚の目が厄介なのだ。隠れて溜め息を吐く秋人に、マリーは適当に肩を竦めて見せる。
「ウロとは話した?」
「ええ、電話しました。けど、ウロっていつもあんな感じなんですか?」
オーバリーからシドニーに戻って、秋人が大学とアルバイトであくせくしているうちにウロはマレーシアへ帰ってしまった。あれから二ヶ月ほど、マリーとは時々ランチに行くが、ウロからは何の連絡も無く、秋人はGraduate Diploma一年目の追い込みに入ってしまい、今日に至る。大学の夏休み(クリスマス・ニューイヤー休暇)は長い。この間に一時帰国する留学生たちも多いなか、秋人はシドニーでアルバイトに明け暮れるはず、だったのだが。
「今更ながら、術士になるって言ったせいで、嫌われたような気がしてきました」
「あんた達ホント面倒ね。ウロがつっけどんなのはいつものことでしょ」
だったのだが、ウロからメールが届いた。“サザンクロス・ナイツ“日本支部に、登録手続きをしに行かなければならないらしい。見習いになる当人がオーストラリアにおり、修煉を指導する者がマレーシア支部の人間なので、少々複雑なのだと言う。オンラインでもできないことはないが、直接顔を出した方が早く済むと思う、どうする、という事務的なメールであった。そこにひょっこりマリーが、自分も行くと言い出した。曰く、『私も監督責任があるから』
「……でも、マリーは“ナイツ“に属してないんですよね?」
ウロが『マリーは“サザンクロス・ナイツ“から追放された』と言っていたのを思い出し、秋人は恐る恐る尋ねる。
「外部アドバイザーって感じよ。私みたいに力の有る錬金術士と敵対関係になる必要もないでしょう?」
それに私はインシャの代理人だしね。そこまで言って、アイスグリーンの瞳をくるりと回し、マリーは明るい天井を仰いだ。“ムーンリバー“を巡るゴタゴタの時から何度も耳にしている名前だが、秋人は嫌な予感がして、痛み出す顳顬を押さえる。
「お会いしたことはないですが、また何か仰ってきたんですか?」
あらまあ、少しは察しが良くなったのかしら、とマリーはハンドバッグから葉書を取り出した。見覚えのある書き癖だ。
「どうもねえ、メイデンが諦めていないらしいのよ」
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