第41話 けわい

 離れていく指先が戦慄いているのに気が付いて、秋人は眉間を寄せた。黒い瞳が紅い炎を映して黄金に染まる。ためらいもせず近づいていこうとするウロを、運慶が遮った。

「下がって、危ない」

「あれは、本当の火ではない。俺なら大丈夫です」

「もっとタチが悪いでしょ、下がりなさい」

 二人のやりとりと呆然と聞いていた秋人は、改めて炎の細部を見つめた。確かに、『何も燃えていない』。光と熱は有るが、家具も襖も黒焦げにはならず、そのままだ。ということは、あれは術士にしか見えない火なのだろう。“石“が関係しているのだ。

「ミスターこそ、危ない」

「まあね! でもあれくらいなら何とかなるから」

「貴方は木性だ。俺は火性です」

「あのね、火は火を煽るんだよ。だから駄目」

 炎の轟きに圧されてウロと運慶が声を張り上げているのを−ちなみに運慶は日本語で、ウロは英語になってしまっているが、話が通じているっぽい−観察しながら、秋人は小首を傾げた。

「運慶さんは木性なんですか?」

「私の石って琥珀なんだよね」

 なるほど、木性に違いない。木から仏を彫り出せる人だ。そして琥珀は可燃性である。師匠に何かあったら、弟子に睨まれそうで怖い。

「俺がいきます。俺って水性なんですよね?」

「ええ……そう? まあ容量は底無しなんだよね、小野くんは」

 無理そうだったら戻ってきます、と断っておいて、秋人はゆっくりと炎に向かって踏み出した。アキト!とウロが咎める声とそれをなだめる運慶の声がするが、背中を返す。一歩一歩、身体にまとわりついてくる熱気が強くなる。皮膚が火の粉に触れてちりちりとするが、服が焦げることはない。不思議な感覚だ。襖を通るまでには大分息が上がってしまっていたが、もう一度深呼吸して室内に入る。


 家具は微動だにしていないが、淫らな炎が幾重にも渦巻いている、異様な光景だ。さてどうすればよいのか、炎を消せばよいのか、それとも原因を探るべきなのか。発火元となった石が有るはずだが、どうやって探すべきなのか。こういう話があったよな、と秋人は思い出す。娘の乗った牛車に火をかけられても、地獄絵を描こうとした絵師の話。芥川龍之介だったろうか。

 殊更火勢が強いのは、和鏡台であった。大蛇が絡みつくように、炎で昏く眩く底なしに輝いている。おかしいな、と秋人は思った。家人が居ないのに、なぜ布が上がっているのだろうか。熱気の激しさから喉を守るために袖で口元を隠し、そろそろと近付く。前髪が火の粉に巻き上げられる。惹きつけられるように覗き込んで、しまった、と秋人は息を呑んだ。蛇の嘴が大きく開く。干涸びた声が灼熱の澱みから、呻いた。


憎い、憎い、なぜ私を……


 どん、と衝撃が横腹を突いたかと思うと、見知った黒髪が秋人を鏡から押し離した。黄金に染め上がった瞳がそちらを睨むが、時を失した。二股の巨大で真っ赤な舌が、二人を巻き取り、視界を舐め溶かしていった。

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