第42話 腹の内

 真っ暗な中を浮遊しているような感覚だった。己れの手元さえ見えないが、腕に絡まっていたものがふわりと近付いてきて、首元に猫でも擦り寄ったかのような感触がしたかと思うと、肩口にほんのり明かりが灯った。ウロの青白い唇と頬が、ちょっとだけ色を差して浮かび上がる。

「ウロ!」

「……反省しろよ、お前」

 溜め息が紅い花弁を散らすようで綺麗だ。完全な暗闇かと思っていたが、ウロの火と呼応するように遠くに、またぽつりと灯りがともったのが見えた。


 ころころと、小さな下駄が歩く音がする。暗闇と反響で距離感が掴めないが、着物姿の少女が、提灯を持って立っていた。俯き加減で泣くのを堪えているのか、歯を食いしばっている。

「誰?」

 秋人はウロを見るが、呆れ顔のまま顎をしゃくられる。少女の前に、外套を羽織った男が現れた。一言二言言葉を交わし、男は己れの襟巻きを外すと、少女に巻いてやる。驚いた少女は、濡れた目で微笑んだ。そして灯は消えてしまった。


「俺たちは鏡の中だ。恐らく清根の記憶だろう」

 耳元でウロが囁くのに頷いて、秋人は次に現れた光の方を伺った。髪を結い上げた少女は、男と行燈の下で楽しそうに話をしている。男は大陸での戦いの様子や、王朝の宝物が隠された物語をしてやり、少女はそれは嬉しそうに耳を傾けていた。男は少女の細く白い指に、桃蜜色の石を握らせてやった……。


「サクヤヒメ!」

 秋人が叫んだ途端、二人の影は煙のようにかき消えてしまった。ウロの目がじっとこちらを見上げる。

「サクヤヒメはもともと清根の石だったということか?」

「紫織さんは、お母さんがお父さん、冬原廖庵に贈ったものだって言っていたけど」

 あ、と秋人はバツが悪くなってウロから視線を逸らした。これはウロが知らなかったことだ。ウロにも紫織にも申し訳無い。

「……ごめん」

「別にそれはいいって言っただろ。それに見ちまったのは不可抗力だ」

 謝ると、ぶっきらぼうに返される。重ねられた腕の温かさに項垂れたくなるが、突然ごう、と火がうねり、二人を絡みとった。


なんてこと、これは貴方の子だと言うのに


 髪を振り乱したあの頃の少女が、老いたように背を丸めた男を追いかけていく。


あの没落華族へ娘を嫁がせるために、随分なことだ。私を毛嫌いしていたあの女。許せない、必ず私よりも不幸にしてやる。


 炎が喉を締め上げて、息ができない。秋人は、全身を焼いて発散し切れない熱と、呼吸できない胸元を押さえてウロに縋った。ところがウロは、少女を凝視したままひび割れたように動けなくなっていた。ウロ、と声にならずに呼んでも揺すっても、応えてくれない。自分が苦しいのと、ウロが心配なので、秋人は恐慌状態になりかかった。

「大丈夫か!」

 ばきん、と闇が裂けたかと思うと、外から光がなだれ込んだ。秋人は思わず目をつぶって、ウロの腕を固く抱いた。

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