第4話 鏡の魔女
Mirror, mirror on the wall, who is the fairest of them all!
白い腕はしなるように力強く、車に押し込まれて連れてこられた先は、シドニーハーバーを見下ろせる高級ホテルのスウィート・ルームだった。終始背後から凍った視線が蹴りを入れてくるので、秋人は否応なく従うしかなく、しかし入った部屋から見えるパノラマの夜景に、息を呑んで立ち尽くした。色とりどりに散らばる瀟洒なレストランやバー、クルーザーの大きさを際立たせる電飾、ハーバーブリッジが、宵闇色の波間に瞬いている。秋人は暫く見惚れていたが、部屋の主は大した感慨もなさそうにソファへジャケットを放り、テーブルの上に整えられていたグラスとボトルに手を伸ばす。
「アキト、お前は」
顎をしゃくって示された琥珀色の液体に、秋人は慌てて遠慮する。アルコールは嫌いではないが、最近強いものはほとんど口にしていない。機会も無いし、懐具合のせいもある。そもそも星明かりほどに絞られたランプだけが灯るこの部屋の雰囲気と夜景で、既に酔いが回っているような気分なのだ。マリーは気に留める様子もなく己れのグラスに注ぎ、備え付けのフリッジから氷とミネラルウォーターを取り出して、ソファに腰掛けた。
「さて、どこまで知っている」
滑らかな喉元が一口嚥下して上下するのをぼんやり眺めていた秋人は、マリーの問いに我に返った。座れ、と視線が命ずるので、スツールに収まる。
「あなたが“マリー”で、記憶する石を探しているということくらいです」
上手く回らない舌を叱咤する。マリーは端正なブロンドをかき上げて、秋人を見た。ウィスキーグラスの氷がからりと鳴る。
「記憶する石とは何か理解しているか」
「いいえ、初めて聞きました。でも、ウロが見せてくれました」
「この世界は対流している。留めることができるのは鉱物だけだ。彼らは半永久的な記録装置として、至上のものによって創られた」
テーブルランプの仄かな明かりを映して揺れる液体を眺め、アイスグリーンの瞳が細められる。彼等には、自分の見えていないものが見えているのだ。秋人はマリーの青白い横顔に、英語の練習のために読んだ童話の一節を思い出した。魔法の鏡を見るもの、誰よりも気高く恐ろしく、その姿を変えては、人を永遠に陥れるもの。
「だが、石の記憶を見ることのできる素質を持つ人間はごく少数だ」
「……あなたは、犯罪捜査のためにその力を使っている」
秋人の反抗を含んだ言葉に視線を上げ、艶やかな唇がにやりと傲慢に笑う。
「神のためでも人道のためでもない、私は美しいもののためにこの力を捧げるのだ」
ここにこい、私のカケラを見せてやろう。マリーは複数身につけている指輪の一つを外すと、秋人を傍らのソファに呼び付ける。内心は嫌悪が渦巻いているが、サラリーマン時代からの名残りか、この美貌の錬金術士の手管か、目上らしい者には従う習慣が身に付いており、秋人は渋々席を移る。すぐ目の前に、大きなペリドットがかざされた。己れの瞳が緑の多角反射に映り混んでいるのが見える。身を乗り出したマリーの瞳が、その向こうに迫って見える。刹那、雷に打たれたかのように、虹彩の奥が幾万という光に満たされた。
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