第47話 落ちた櫛
薄ら寒い庭を眺めて、秋人は離れの縁側に座っていた。空は綿雲を靡いていて、もうすぐ雪が降るのかもしれない。静かだ。水の流れる音に、ししおどしが響く。
「何か見えた?」
最初に会島邸を訪れたときのように何か見えるかもしれない、と思って再びやって来たのだが、庭の石たちは沈黙している。ウロと喧嘩してたからなあ、と秋人が溜め息を吐いたところで、運慶がひょっこりと顔を出した。
「……いえ。あの時は、ウロがいたので」
「見たのは小野くんでしょ」
「俺だけでも見られると思います?」
秋人の言葉に、運慶は小首を傾げた。
「見えなきゃナイツにはなれないね」
ああ、そうだった。この件を引き受けたのは、“サザンクロス・ナイツ”に正式加入するためだった。秋人は思い出し、頭を抱えた。運慶は項垂れる秋人の隣りに胡座をかく。
「私とやってみる? 水と木だから相性はいいと思うけど」
差し出された胼胝だらけで皮膚の硬くなった手を見て、秋人は思わず問うた。
「運慶さんは、どうしてナイツになったんですか」
「……日本にはね、“サザンクロス・ナイツ”以前から、術士集団が有ったの。それが“ナイツ”と連合したんだ」
では“酒船石”は、そのサザンクロス・ナイツ以前の組織から引き継がれているものなのかもしれないな、と秋人は考え、運慶の大きくまあるい瞳に捉えられた。まるで石の通り琥珀のような。飴色にゆらりと輝き、奥深くに何かを閉じ込めていそうで、言葉を忘れる。
「小野くんは、どうしてナイツになりたいの?」
いつもと変わらずにこにこと優しく、しかしとろとろと何かに絡み取られるように、思考が運慶の瞳の中に沈んでいく。ごぽりと肺から気泡が上がるように、声が喉から突いてくる。
「全てを記録しているって、それだけで、誰かの救いなんだろうと思ったんです。カタチにできればもっといい」
「ふふ、懐かしいね」
「それに、ウロと一緒にいたかった」
ぐい、と運慶に手を掴まれた。見た目通りの、節くれ立った暖かい手だ。
「私もね、快慶がいてくれなきゃ、こんな長い時間生きられなかったよ」
ざわり、と風景が歪んで色を無くす。まるでセピア色のフィルムが巻き戻っているように、落ち葉が舞い上がり、水が逆流し、雲が消えていく。縁側の木板が軋んで、秋人はぎょっとして振り向いた。和服姿の女性が一人、ひどく緊張したような興奮したような面持ちで携帯電話を手にしたままやってきて、秋人の背後の障子を開けた。
あの絵だ
秋人は運慶の手を取ったまま、身を乗り出した。布に包まれたあの絵は、離れの清根の部屋へ運び込まれた。では携帯電話で話している相手は誰なのだ。女性は−明らかに年月を経たあの少女、清根は話しながら鏡台を過ぎ文机の前に座る。ペンを取り出し、メモ帳に何か走り書きしている。アルファベットだ。
「そうそう、今メッセージで連絡が来たんだけど、ここの管理人の女性は、出国しているみたい」
目を凝らしたところで、突然、色と形が戻り、平衡感覚を失う。秋人は水面で口をぱくぱくと開閉している金魚のように喘いだ。運慶は、何事も無かったように話し続ける。
「警察が関空の出国者データから見つけたんだ」
「入国先は」
だからアルファベットだったのだ。清根がその地へ絵を持っていったのだ。息の続かない秋人をからかうように見上げて、運慶は言った。
「ゴアだってさ」
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