第53話 下り道 一

「ウロ、駄目だ!」


 咄嗟に背後から肩を引き寄せた。ウロがよろけると、鎖から放たれた獣が空を切って鼠狼に襲いかかる。しかし刹那早く雷電のワイヤーがそれを巻き獲った。


「力が強くても、それを御する意思がないのだからね」


 びっしりと並んだ歯が大気を震わせて吠え悶えるのを、絡まったワイヤーの隙間から犬か猫のように撫ぜてやりながら、鼠狼はわざとらしく溜め息を吐く。とん、と指を鳴らすと、その巨大なものは、ウロのチョーカーへ吸い込まれるように霧散してしまった。私はインドへ出張だけれど、帰ってくるまでに覚悟ができていることを祈るよ。そう踵を返し、老いた蝶のような白い掌をひらひらと振ると、薄暮に溶けて消えてしまった。秋人は思わず強く掴んでしまっていたことにやっと気付いて、ウロの肩をそっと離した。触れると体格は明らかに成長期の少年なのに、ウロにはあどけなさというか、若さによる脆さもしなやかさもない。ひたすらに、贖罪のように、燃え盛る熱を体内に閉じ込めているだけのように見える。


「……意思が無いか、そうかもな」


 俯いた背中が呟いた。ウロは強い。初めて会った時からそれは知っているし、修錬だって怠らない。でもそれは多分、過剰な力を抑えつけるためなのだろう。力を使って何かしようとか、それを誇るような素振りは一切無い。自分の力を肯定できない、存在を否定しながら生き続けるのは苦しいと思う。



 黙って二人で歩いて平城宮跡地まで来ると、砂利をはいた大路から朱雀門がライトアップされて夜空に浮かび上がっていた。


「平城京の南端に有った羅城門から、この朱雀門までがメインストリートで、宮殿に続いてるんだ」

「羅城門?」


 観光案内のパンフレットを読み上げる秋人の傍らで、ウロは朱雀門を見上げながら、小首を傾げた。


「アキラ・クロサワの?」

「あちらは平安京の『羅生門』だけどね。あの時代、宮城を守る外壁の門は羅城門って呼ばれてたんだよ」


 以前オーバリーでも、インシャが映画好きで沢山ビデオを持っていた、という話をしていたから、その中にあったものだろう。


「あ、映画観にいく約束してたのに」


 またうやむやになるところだった。ムーンリバーの件に巻き込まれた時に、一緒に映画を観にいこうと約束したのに、解決したらウロはさっさとマレーシアへ帰ってしまった。今回もずっと忙しくしていて、今まで機会が無かったのだ。


「……覚えてたのか」

「今から行こうか? ナイトショーなら間に合う」


 英語字幕のあるヤツやってるかな、と秋人が携帯を取り出してサーチしようとしたところ、ウロが袖を引っ張った。悪いが、オレは誰かと映画館に行ったことが無い。だから、どうしていいか分からない。ここまでくると避けられているのかとも思ってしまうが、そうではなかったらしい。どうやら緊張しているのはウロの方だ。


「大きなスクリーンで観て、他のお客さんと泣いたり笑ったりを共有するのは楽しいよ」


 それに、一緒に映画を見にいくって、特別な感じがするだろう。友人になりたいんだ。飛び越して双修することになっちゃったけれど。こちらまで何だか照れてきた。ウロは曖昧に眉間を歪ませて微妙な表情をしている。また呆れられたかな、心中溜め息を吐いたが、視線を落としてウロがぼそりと言った。


「あんただったら、オレを止められる、って思ったのかな」


 どういう意味、と秋人が聞き返す前に、漆黒の濡れたような大きな瞳がこちらを睨めた。アキト、オレはお前の友人にはなれない。本来生きていることすら許されない人間だ。術士としての力が、オレをなにものからも遠ざける。

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