第54話 下り道 二

 朱雀門前の広場には蝋燭が並べられており、仄かな光の花弁が薄闇に散っている様は美しかった。その中に佇んでいるウロは、本当にこの世のものではないように見えた。


「……清根の記憶に似てるな」


 彼女にとってよい思い出は、暗黒に弱く儚く点々と染みをつくる火沫でしかない。出自を呪い、自分を捨てた人間たちを憎み、憎悪に囚われすぎて、側にいてくれた実の娘も若い画家も排除してしまった。


「若い画家?」

「ああ。蛇の胎の中で見えた」


 実のところ、秋人は鏡台に映されたものの詳細を覚えているとは言い切れない。石ではないのだから、主観や感情が混じるし、そこから取捨選択される情報のインプットも異なってくる。見えた人物の関係性にばかり注目していたし、ウロの様子がおかしかったので、マリーに引っ張り出されたあたりのことはあまり思い出せないのだ。


「怒りや哀しみという感情の方が強烈だから見やすいんだが、むしろささやかな秘められた記憶の方に問題を解決する糸口があることが多い。……経験上」


 なるほど。珍しく指導者らしい話し方に思わず頷くと、少しバツが悪そうな顔をした。別に外見のことは仕方なくて、ウロを子供っぽいと思ったことなどはない。もともと口数が少ないのだし、長文を話す機会が滅多に無いからだ。尤も、無意識に歳下へ接するようにしてしまっていたかもしれない。


「清根は若い芸術家のパトロンになっていたみたいだ。会島邸はある種のサロンだったのだろう」


 中でも落ちぶれた若い画家に随分つぎ込んだ時期があったようだ。親子ほど歳が離れているから、愛人とは言えないが、実の息子のように溺愛していたらしい。淡々と話すウロに、秋人はぞわぞわする。ウロが男女関係について語るというのは、どうしても背徳的に聞こえてしまう。


「え? ちょっと待って、その画家って、もしかして」


 ウロは軽く眉を顰め、首を傾げる。オレは冬原廖庵の写真を見たことが無いからな、でもそう仮定はできると思う。


「なんで報告しなかったの?」

「浩乃と廖庵が過去恋人同士で、浩乃が清根の娘だと分かっていなかっただろう。関係の無いプライバシーまで言及したくない」


 逆に自分にもそれが見えていたら、と秋人は考えるが、……見えていても結びつかなかっただろうな。と顳顬こめかみを掻く。こういうふうに二人で話して、初めて気づくこともあるのだ。


「もしかして、浩乃さんと冬原廖庵が恋人同士だったというより、その母親と、ってこと……?」


 自分の発言に青ざめる。いろいろな恋愛のかたちがあっていいと思う、不正と不平等と暴力を伴わない限り。自分だって、多少外れた恋愛をしてきたのだろうし、とはいえ相手はともかく周りの人間に何か迷惑をかけてはいないはずだ。清根のしてきたことは、閉じられた人間関係のなかでのこととは言え、第三者として耐え難い。


「隠れみの、っていうこと? でも何か、それ以上の悪意を感じる」


 口の中が乾いてぴりぴりとする。嫌悪感に震えそうになる。じゃあ何か。紫織さんも浩乃さんの今の家族も、みんなそんな悪意の茶番劇のせいで、今苦しまなければならないのか。


「……だから、復讐なんだろう」


 どんな手段を使っても。何を犠牲にしても。ウロの伏せられた瞳が、無数の蝋燭の光を零して、ほとりほとりと瞬いた。

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