第13話 揺蕩い

 翌朝目が覚めると、ウロは既に起きてどこかへ出かけていた。身支度を済ませ、備え付けのポットで湯を沸かしてコーヒーを淹れていると、ウロが戻ってきた。ジョギングにいっていたらしく、パーカーが汗で湿っている。おかえり、コーヒー飲む? と尋ねようとして、背後に颯爽と立つもう一人を見つけ、朝から目がチカチカする。

「すまない、途中で鉢合わせた」

「失礼だな。朝食はカフェでいいだろう? さっさと着替えてくれ」

 ウロを待つ間、マリーはコーヒーを啜る秋人の対面に座り、しげしげと眺めて言った。

「アキト、何か運動してる?」

「今は特に。学生時代は競泳部だったので、泳ぐのは好きですが」

「ウロが言ったか知らないけれど、“ナイツ“に所属するなら、何かしら護身術は身につけておいた方がいい。体力は有りそうだけど、不器用っぽいもんな、アキトは」

 プライドが高く、舌鋒鋭く、皮肉屋なくせに妙にお節介焼きであるマリーの忠告を、秋人は苦笑して受け流そうとしたが、新しい上着に袖を通しながら、ウロが口を挟んだ。

「ならなくていい。行こう、時間が無いんだろう」


 さて、ギャラリーの定義とは何ぞや? 名が付くところは全て回った。公共の展示施設、個人作品を販売しているアート・クラフトショップや、カフェも覗いてみた。小さなスペースもそれぞれ雰囲気があって面白く、秋人は半ば目的を失念しかかるが、その度にマリーに尻を叩かれるので、しぶしぶ思い出す。

「日曜はどこも閉館時間が早い」

 昼食を取りながら、マリーは溜め息を吐く。東京やロンドンじゃないからね。家族や友人との時間を就労時間より優先できるのは、豊かな証拠だと私は思うけど。タブレット画面をもの凄いスピードで繰りながら言う。オーバリーの治安情報と宝飾品取引履歴をデータベースから引っ張り出してきて、閲覧しているのだ。膨大な量だが、まあ捜査っていうのは地味な作業の積み重ねだよ、大捕物なんて滅多に無い、ということらしい。

「特にオーストラリアはね……。だから支部も無いし」

「そうなんですか」

「ここの錬金術士、放浪好きの無頼者でさ。ま、それで私が雇われてるんだけど」

 慌ただしい昼食後は、マーレイ川を越えてVIC州側のウォドンガまで足を伸ばしたが、芳しい成果にはならなかった。夏になれば日没の時間は大分遅くなるものの、ギャラリーが閉まってはしょうがない。マリーはオーバリー警察と打ち合わせが有る、と行ってしまったので、秋人はウロと二人でマーレイ川沿いで時間を持て余すように歩いていた。


 マーレイ川はオーストラリア最長の河川で、流域のマーレイ・ダーリング盆地は広大な灌漑農地となっている。流水量はオーストラリア全域の五割以上と言われ、湿地やラグーンを形成して生態系にも大きく関わり、まさにオーストラリア南部の生命の源だ。草原の間を滔々と流れ、夕日を弾く水面は、きらきらと揺れて美しい。水際の湿った土と下草を踏んで歩いていた秋人は、橋のたもと、さざなみから漕ぎ出したボートと、それを追って泳ぐ若者たちに気付いて足を止めた。ボートの上からは音楽が響き、飛び込んで水飛沫を上げたり、お喋りしたりする人影が、沈んでいく太陽と瞬く川面の境界に溶けていく。

「……ずっと変わらないんだろうな。綺麗だ」

 秋人の呟きに、ウロはうっそりと夕焼けを振り仰いだ。眩しいのか目をしばたかせて暫く眺め、うん、と小さく頷く。秋人は何故か気恥ずかしくなり、市中に戻ってご飯食べよう、とウロの腕を引っ張った。


 ウォック(ヌードル)の店で簡単に夕食を済ませ、秋人はモーテルに戻りがたく、電飾の灯り始めたオーバリーの街を歩いていた。一歩遅れてついてくるウロも、同じ気持ちならいいんだけど、と思う。やがて一際大きいクリーム色の壁をした建物に突き当たった。一階路面には商店と、カラフルな文字盤がファサードに嵌められた映画館エントランスになっている。

「映画館だって、ウロ」

 暖かな色合いの光に浮かび上がる壁もタイルも会場へ続く階段も、古く磨かれて観客を待っている。ウロも文字盤を見上げていた。

「ゴジラやってる」

 朧な光の中に立って、ほんの少しだけ綻んだ口元に、秋人は思わず言っていた。


「一緒に観ようか」

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