第14話 幻光

 こういう流されやすさというか詰めの甘さというか、だから今までの彼女とも別れたのだろうに、秋人は頭を抱えたくなるような気持ちでベンチに座った。

「ごめん、いい加減なこと言って」

 隣りのウロは、映画ポスターを眺めていた視線を戻したはいいが、秋人のしょんぼりした様子に口をもごもごさせる。

「オレこそゴメン」

 ゴジラどころか、どの映画の上映時間にも間に合わなかった。どうりでロビーが閑散としている訳である。建物は戦間期につくられたもので、アール・デコ調の上品な装飾と色使いが美しい。柔らかな照明に古ぼけた漆喰の匂い、微かに聞こえてくる映画音楽に立ち去りがたく、二人はベンチに座っている。

「ゴジラ好きなの?」

 秋人の問いかけに、ウロは僅かに肩を揺らしたようだった。視線をさまよわせ、小声で答える。

「……インシャが映画のビデオ沢山持ってて」

 あの通りほとんど家に寄り付かない人だから、オレ一人でよく見てたんだ。修煉の他にすること無いし。何していいか分からなかったし。秋人は言葉に詰まった。

「シドニーに戻ったら、また見にいこう」

 精一杯それだけ言い、石が見つかればウロはマレーシアに帰ってしまうことを思い出して、ぐしゃぐしゃした気持ちになる。情け無い顔を見られたくないこともあって、角の壁に掛けられた一連の古い写真に興味を引かれたこともあり、秋人は立ち上がってそちらへ近付いた。

「以前は演劇のシアターだったんです」

 先刻レセプションで気の毒そうに上映時間を教えてくれた女性が、片付けをしながら通りかかる。当時使われていた衣装や映写機の展示もありますよ、と親切に案内してくれるのを聞きながら、秋人は大きな振り子時計が、壁の影に立っていることに気が付いた。

「立派な時計ですね」

「ええ、この土地で財を成した一族が寄贈したものだそうで……螺鈿細工が美しいでしょう?」

 針盤を取り囲むように施された螺鈿細工は、月下の花だ。咲き綻び水面に散る花弁を、月が照らしている。日本か中国の職人によるものだろう。オーストラリアへの最初の日本人移民は、真珠採取労働者だったと言われている。秋人はまるで自分もその淡く瞬く水辺に立っているような気持ちになった。舞い散る花びらに、子供たちが戯れ、恋人たちがそぞろ歩く。悠久の美しき流れを、月の光が抱いている。

「アキト!」

 肩に触れられ、自分が今どこにいるのか思い出す。ウロに振り返ると、驚いたような苦々しい顔をしていた。ぽたぽたと何かが頬から顎を滴っている感触がする。

「アキト、お前の目、“化石してる”ぞ」

 おかしい、ウロがよく見えない。左目だけ濁っているような、揺れているような、と思って触れてみれば、濡れている。自覚がないのに、涙が零れてきているのだ。不思議なことが起こりすぎて、理解の許容量を超えている。しかし、それどころじゃない。

「ウロ、最後の一つだ」

 心配そうに秋人を見ているウロに、時計を指し示す。螺鈿の花弁、そして楕円の月に嵌められているのは、藍の夜に光を散らすオパール。“ムーンリバー”の最後のひとかけ。

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