第15話 屈折
映画を見終わった人々が三々五々家路に着くのに紛れて、秋人は夜道に出た。あの後ウロは嫌々ながらマリーに電話を掛け、やってきたマリーが警察章を見せて、シアターの支配人にオパールを時計から取り外す許可を得た。こういう時に権威は役に立つ、覚えておけ、とマリーは秋人の耳元に囁く。しかしこれほど親和性が有るとはな、やはりお前は“水の気性“のようだ。
道具類を持ち出し、マリーは慣れた手つきで丁寧にオパール を彫刻から外し取る。Keep outの黄線を張った内側で秋人が感心して作業を覗いていると、長年生きてれば、いろいろ身につくものさ、と言っていたので、やはり外見と実年齢は相当かけ離れているらしい。ケースに入れ、秋人に渡そうとしたところで、ウロが止めた。
「もういいだろう、石は揃った」
「石が選んだのはアキトだ、彼が見る」
「あんたでも、インシャでも見えるだろう!?」
「石が語ろうとする者に聞かせるべきだ。知っているはずだな、ウロ」
語気を強めるウロに微塵も動揺せず、マリーは言い放つ。成る程、ウロが言っていたように、格が違うのだ。指揮官の顔のマリーは、華麗なほど冷厳だ。二人はシアターの管理室で各々報告や手続きがあるため、秋人はロビーのベンチで一人待っていたのだが、澱んだ水のような左目と、映画が終わり楽しそうに帰っていく人々の背中を見ているうちに、やれきれなくなってきた。
知らなくていいことだったはずだ。国やメイデンが犯したことも、趙ファミリーの過ちも、親子と兄妹の確執も執着も、マリーの過去も、ウロの未来も。自分には関係無い、ただ一人で静かに暮らしたかっただけだ。それなのに今は見届けたいと思ってしまう。側にいたいと思ってしまう。彼らの思いを遺してやりたいと思ってしまう。知っていたはずだ、自分はこんなに無力なのに……父さん。
何かに突き動かされるように、出てきてしまった。街は暗く静かで、明かりが道しるべのようにところどころ灯っている。天を仰げば星がにじんで見える。随分遠いところまで来たものだ。日本は遠い、この大きな大地の、小さな街の片隅に、今、どうして自分は立っているのだろうか。何を感傷的なことを、と戻ろうと踵を返しかけたところで、路地から音も無く伸ばされた腕に、止められたバンの中へ押し込まれた。声を出す間も無い、一瞬の出来事だった。後部座席へ引き倒され、後ろ手に縛られる。ジャケットの内ポケットから、“ムーンリバー“の欠片を擦り抜かれる。衝撃で息が継げなくなっていた秋人は、やっと視線だけ上げて無体を働いた人物を見た。あの、シドニーで秋人に近付いた、切長の目をした愛想笑いの中年男だ。悲鳴も出せず背筋が凍る。
「君、怪我は無いかね? 一般人を巻き込むなと言ったはずだ!」
脚が萎えてうずくまった秋人に声をかけたのは、ワイシャツに乱れた髪をした男だった。偽笑いの男は運転席へ移り発車させる。車の揺れに身体の痛みと目眩を耐える秋人を、もう一人の男は支えて座席に座らせた。
「彼はもう一般人じゃないですよ。術士の端くれです、ミスター趙」
偽笑いの男は運転しながら肩を竦めた。中肉中背でありきたりなアジア人男性の体格をしているのに、その皮膚の下に凶暴な何かがとぐろを巻いている。信号で止まっては、神経質そうに指先でハンドルを弾く。
「ミスター趙……?」
「すまなかったな、私はイーソン・チャオ。この“鼠狼“(イタチ)に連れ回されているのは、君と同じだ」
振動する暗がりに目を凝らす。覚えのある名前と顔だ。そうだ、マリーに見せてもらった資料に有った。趙ファミリーの次男で、オーストラリアの家業から離れて中国で新たなビジネスを起こしていたはずだ。
「おや、ミスターが協力を申し出てくださったんでしょう」
「不正取引の隠蔽に手を貸すことになるとは思わなかったからな」
「隠蔽? 石は嘘なぞ吐きませんよ。そこの彼が知っている」
ルームミラー越しに顎をしゃくられ、秋人はひやりとして、また動けなくなる。イーソンは腕を組み、運転席の背中を睨みつけた。
「真実など、お前たちにとっては安いものだろうが。我々は所詮捨て駒だ」
これは、『メイデンが仕掛けたゲーム』だと、ウロは言っていた。地べたを這って石を探しあくせくと動き回るのを、高みから見ている者たちがいる。石は嘘を吐かない。歪曲し、すり替え、捏造するのは人間たちだ。
「爺さんは言い訳などしない。だがお前たちにいいように罪をなすり付けられることは許さない」
「……お爺さまは、何をなさったんですか」
思わず身を乗り出し尋ねた。左目からまた、ぽたぽたと水が滴ってきているのがわかる。イーソンに注がれる暖かい懐かしい涙だ。“ムーンリバー”が家族を思って泣いている。時折交差する街灯の光に暗く照らされて、秋人の色がない左目にイーソンはたじろいだが、悔いるように言葉をひそませた。
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