第35話 朝会終わらず

 穏やかな朝日のなか、上品に玉露を啜りながら、マリーは二人を前にして鼻で笑った。

「お前たちがしてるのは鍛煉ではなくて、意地の張り合いだ。へそ曲がりどもめ」


 さて昨夜も丑三時にやっと寝床に入った二人は、朝6時には起き出してジョギングへ行った。オーバリーより帰ってきてから、秋人もウロに倣って早朝のジョギングを始めたのだが、日本では秋人にとって懐かしくウロにとって目新しい風景を見ながら走るのが楽しく、ついでに昨夜のこともあって相手よりも先に引くに引けず、気付けば二人してマリーと約束していた朝食の時間を過ぎてしまっていた。汗くさい男二人を内湯に追い払い、前述マリーの台詞へ戻る。


「三上財閥の内情はどちらにしろ調べねばならないからな」

 朝食を取りながら昨夜鼠狼と冬原紫織に会ったことを伝えると、マリーは驚いた様子も無く答えた。

「警察が捜査しているのではないんですか」

「あの絵絡みとなれば、一般人には限界があるだろうよ」

「……“見る”んですか」

「それが“ナイツ”の能力であり、依頼主への忠誠だからな。だが、“何を見る”か、また“ナイツ”の共振性を考慮せねばならない。無作為に“見る”ことは、規則に反するだけでなく、“ナイツ”の耐性を劣化させる」

「耐性を劣化させる?」

「もう身に染みて分かっていると思うが、他人の記憶に共振し続けると、“ナイツ”の精神が保たなくなる。我々は石と異なり感情が有るのでね」

 修煉とは本来そうした精神面の強化を目指すことでもある。マリーの態とらしい言いように、吸い物の椀に口をつけたままウロがやぶ睨むが、何も言わない。柚子のゼリーを掬いつつ、秋人は小首を傾げた。

「確かに何が何を記録しているか、特定するのは難しそうですね」

「そう、常に身に付けているものが最も可能性が有る訳だが、一概に言えないな」

 アクセサリーも長く身に付ければ体の一部のようなものだろうだから、それを貸してくれ、というのもなかなか気まずいものがある。三上浩乃は指輪をしていたように思う。左手の薬指だ。秋人の母は今でも結婚指輪を身に付けている。父が亡くなってからもう十五年以上経つ。忘れてほしくない、けれど父は恐らくもう、過去を懐かしんでばかりの母を望んではいないだろう。


「……“サクヤヒメ”なら」

 秋人の一言に、ウロが顔を上げた。苛ただしげに箸を置く。

「“サクヤヒメ“は冬原廖庵の石だろう。三上財閥と何の関係がある」

「少なくても三上浩乃さんにとっては特別だ。あの時“見えた“のには理由が有ると思う」

「お前はすぐ流される」

「ウロが助けてくれるだろ?」

 やめろやめろ、とマリーが溜め息を吐き、手を上げてケンカ腰の二人を制する。初めて会った頃からオーバリーまで、秋人はウロをハードボイルドで寡黙な少年だと思っていたし、そう接していた。ここ数日は言い合ってばかりだ。けれど怒っているような態度は多分、秋人を心配しているのと、己れに対する自信の無さの裏返しなのだ。頑固で屁理屈で簡単に聞き入れやしないだろうが、言いたいことは言ってやった方がいいと思う。信頼しているし、されたい。


「三上財閥から交渉に立ち会ったであろう人物は、ある程度絞り込むことができる」

 食膳を立ち、マリーは机の上からタブレットを取る。何重にも掛かっているらしい認証を繰って、アイスグリーンの瞳に羅列が浮かび上がっているのが見えた。

「三上財閥には資源開発に携わる企業が幾つかある。昨日冬原紫織に照会を依頼した顧客データから分かったことは、そのうち特定の企業が絵の購入者となっていることだ」

「三上浩乃さん経由だけではないんですか」

「まあそうとも言えるがね……ミカミ・マテリアルズ・ホールディングが一番の太客、経営トップは三上浩乃の夫、三上宏輝だ」

 『三上財閥の御曹司が、父を後援する代わりに、浩乃さんとの婚姻を迫った』、紫織の言葉を思い出して、秋人はぎくりとした。その男が、若き廖庵と浩乃の仲を裂き、紫織に出生にまつわる苦悩を植え付けた張本人なのだろうか。しかし、浩乃は結婚指輪を着けていた。もし本当に憎い相手であるならば、結婚指輪など見たくもないのではなかろうか。女心の機微など秋人は理解しないので、考え込んでしまう。そんな秋人に、ウロは無感情な視線を遣って、マリーに尋ねた。

「どう接近するのか、策は有るのか」

「そうだね、警察相手に警戒されるより、別の身分で会った方がいいと思う」

「……また変な演技させられるのは御免だ」

 過去にどんなことをやらかしたのか、とても興味の有るところだが、秋人も黙ってマリーの返答を待つ。色の薄く血色が透けるような唇が、にやりと湾曲した。

「私は一応フォトグラファーでもあるのでね」

 三上宏輝の絵画コレクションについて、某雑誌が特集を組むのだよ。撮影するのは、私だ。成程、その職業選択には一理有ったのである、多分きっと。

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