第24話 三瓢
さらさらと遣水の音が静かな庭園に響く。古色も美しく磨かれた縁側を、秋人は恐る恐る歩いていた。前を行くのは快慶さんとマリー、傍らにはウロがいて、運慶さんが足音も軽くついてくる。ここは京都府宇治某所にある元華族の邸宅跡、なのだという。
「ええと、ウロくん? ごめんね、私、英語あまり上手じゃないから」
運慶さんが手振り身振りも大きくウロに話しかけている。昨日は快慶さんがほとんどの事務手続きを行ったので、運慶さんと話す機会はあまりなかったのだが、慶派の大師匠であるはずの運慶さんは、随分気さくで好奇心一杯にうろちょろする。弟子の快慶さんが心配するのも無理はないな、と秋人は聞き耳を立てた。恐らく人見知りなウロは躊躇いつつ、歳上への敬意をもって答える。
「いいえ。オレの英語も適当ですから」
「ウロくんは火性、だよね」
「はい」
「安定してるね。ウチの子たちは制御するのが大変そうだった」
「日本支部にも火性の術士がいるんですか」
「皆やめちゃったけどね…… 今はグランド・クロスが一人いるだけ」
話に釣られて思わずそちらへ寄っていきそうになるのを、平静を装って真っ直ぐに歩くのは、なかなか骨が折れるものだ。運慶さんの口調に騙されそうだが、何か重要なことを話している気がする。ウロの横顔を盗み見ても、相変わらず何を考えているか分からない。
「日本人は儚さが美徳みたいなところがあるからね、なかなか続かないの」
「…… オレも師父あってこそですので」
「一人で何でも背負う必要無いよ。小野くんもいるし」
師父というのはインシャのことだろうが、つくづく二人、マリーも加えて三人の関係がよく分からない。いや、仲間はずれになって拗ねている訳ではない、はず、勿論。まだ知り合って間も無いのだから知らないことがあって当然なのだか、なんだかインシャに全て仕組まれているようで納得がいかない。ウロとマリーに対する友情めいたものまで、予定されていたとは思いたくない。ウロが似合わない愛想笑いをした気配がした。掻き消えそうな声が言う。
「彼には彼の、役目が有ります」
どうして、と堪えきれず振り返ろうとしたところ、いつの間にか側に来ていたマリーにがしりと肩を掴まれ、快慶さんの隣りに引き出された。快慶さんは一領の襖を音も無く開ける。清涼な和室だ。欄間からの朧な光に浮かび上がる柱の木目も上貼りの染め色も優美で、ふくよかな薫りが漂うようだ。快慶さんに続き、なめされた畳に足を滑らせ踏み込むと、簡潔さの美を極めたような床の間に、一幅の日本画が掛かっているのが見えた。
「みずち……」
水に棲み、一角を持ち、白い眉に
「凄い迫力の絵ですね」
「冬原寥庵の日本画です」
冬原寥庵。よく知られた日本画家だ。美術展で何度か目にしたことはあるが、個人宅に飾られているものを、直に眺めたのは初めてだった。
「この絵が見ていたと」
「ええ。この部屋であったことは分かっているのですが、この絵を読むのが難しい」
マリーも隣りに立ち腕を組む。今日は女性の姿だが、パンツスーツだ。整えられた眉が秀麗に寄せられる。
「光が散じすぎる」
長いプラチナの睫毛に縁取られた瞳が、虹彩に絵を映してその光をぱちぱちと弾いている。一斉に瞬くカメラのストロボみたいで綺麗だな、とそちらに見惚れかけた秋人の肩をとん、と押してウロが身を乗り出した。
「溶読解じゃ燃えちまう。アキト、お前は」
雰囲気に圧倒されていたが、ここまでやって来た目的を思い出さなければならない。日本画は、岩絵具で描かれている。部屋のなかで鉱物で作られたものは、それだけだ。
「この部屋で、メイデンと交わされた密約について探りたい。館の管理人は消息不明、唯一の証言者は、まだ誰にも語らない」
快慶さんの鋭く無情な視線がこちらに定まる。秋人は生唾を飲み込んだ。まさに蛇に睨まれた蛙。“サザンクロス・ナイツ”日本支部、上司はみな曲者揃いである。
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