第23話 調整
“サザンクロス・ナイツ“日本支部への登録に必要なその他の書類が揃っているか確認し、その日は解散になった。奈良駅へ戻り、予約したホテルまで黄昏の街中を歩く間、ここは日本なのだが、なんだか自分が異国人になったような、奇妙な感じがした。ウロと英語で話しているからか、しばらく離れていて流行についていけてないからか、見えているものが違ってしまった気がする。
「私は他の仕事の関係者と会食がある。明日の朝また連絡する」
マリーはそう言って、奈良駅で分かれた。ウロの影だけが隣りに長く伸びて、本人は少し後ろをついてくる。秋人は振り返って、俯いた短髪に声をかけた。
「チェックインしたら、ご飯食べに行こう。何食べたい?」
夕日が眩しいのか目を瞬かせて、ウロはこちらを見上げる。雑踏に紛れ腹が鳴った音が聞こえたような気がした。初めて会った時を思い出し、秋人は少し可笑しくなる。
「アキトが日本で普段食べてるものでいい」
ウロは少し考え、小声で言う。マレーシア支部の皆が、日本は便利で美味しいものが沢山あるって言っていたけど、オレよく知らないから。
「ウロ、日本に来るのは初めて?」
「ああ。本当に何でも整頓されてて驚いた。クアラルンプールも大都市だけど、もっとごった返してる」
どうやら日本に興味が無い訳ではなく、じっと黙って観察していたらしい。秋人は歩速を緩めてウロと肩を並べた。
「普段食べてるって言えば、うどん屋か牛丼屋かなあ。麺とご飯どっちがいい」
「……飯」
「食べられないもの有る? ムスリムじゃないのは知ってるけど、修煉中は菜食とかそういう決まりってあるの?」
「気にする術士もいるけど、オレは特に。何でも食べる」
いい食べっぷりなんだよなあ、とウロには悪いが頬が緩む。マリーとも気兼ねなくなったが、ウロが何か食べているところを見ていると、特別こちらも腹が減ってくる。また一緒に食事ができるようになってよかった、と秋人は自分の単純さに内心呆れながら、信号を渡るためにウロの腕を引っ張った。
少し古いが清掃の行き届いたホテルの部屋で、秋人はソファに腰掛けた。“ナイツ”としての仕事が本格的に始まった訳でもないのに、あちこち回って移動距離が長いせいか疲れる。マリーから体力を戻せと言われているが、十年前とは比べられない。あの頃は毎日何キロ泳いでいたのだか。ウロは小型のスーツケースを壁際に置き、コートを脱いでバスルームに向かう途中、スリッパや歯ブラシ、コットンや各種飲料にスナックなど備品に興味を引かれたらしく、立ち止まって見ている。バジェットの関係でビジネス・ホテルに二人一部屋だ。マリーはまたもや別のホテルである。
「バスタブが有る」
戻ってきたウロが、ソファの秋人を覗き込むように話し出した。ウロが楽しそうなのは珍しいな、まあ自分たちが使うようなオーストラリアの宿泊施設には確かにバスタブが付いていることは稀だけど。と秋人は背後から乗り出している黒髪を顧みる。
「うん、日本式はお湯溜めてつかるんだ。疲れが取れるよ」
「知ってる。後で使ってもいいか」
「勿論。俺も入ろうかな、座りっぱなしと緊張で肩凝ってしょうがない」
ウロは小首を傾げると、手を伸ばして秋人の肩に触れた。ほわりと暖かくなって、秋人は驚く。
「あったかいね……? ウロがしてるの」
「微量な気を流すんだ。血行がよくなって筋肉もほぐれる」
そうだ、マーレイ川に落っこちて引き上げられた後、ウロに抱えられていた時も、こんな感じに温かかった。思い出して、情けないような恥ずかしいようないたたまれない気持ちになる。ウロは何も言わないが、ずっと秋人を守ってくれていたのだ。黙ってしまった秋人に、ウロはバツが悪そうに手を引っ込めた。いやでも、ここでお礼を言ったりしたら、ウロはもっと頑なになってしまうことが予想できて、秋人は何とか会話を続けようとする。
「俺もできるようになるかな?」
「アキトは水の気だから、温めるよりも冷ます方だと思う」
冬の日本じゃ、役に立たないだろそれは……秋人は鼻を鳴らしてアームレストに片肘で頬杖を突いた。そもそも、錬金術士にも煉丹方士にも水の気性の者は少ないのだという。宝石・鉱物の性質は、流動性と相反するものだという固定観念がそうさせるのだろうとマリーは言っていた。実際には水分を含有するオパールや、水素を成分とする含水鉱物が存在するのだが、石の記憶は人の概念に依っているからな、ということらしい。
「あ、でも、夕食に出かけるときは、もうちょっと厚着しなよ」
「大丈夫。分かっただろ、身体を温めることはできるんだ。セーブしてるだけだから」
「もう一枚着ればいいんじゃん……」
「うるさい」
意固地で卑屈で面倒な性格である。でもあけすけな言い方はそれだけ心を許してくれている証拠かな、と苦笑して立ち上がる。まずは腹ごしらえだ。
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