第22話 日本支部へようこそ

 新益京(藤原京)は、天武天皇が造営を始め、持統天皇によって遷宮されたという、日本で初めて条坊制を布いた都城である。飛鳥浄御原令や大宝律令によって日本の律令制が整い始めた時期に、『日本書紀』の編纂とともに、内外に新興国日本をしらしめる文化事業でもあった。


 と、1300年前の感慨に浸っていた秋人は、遺構近くの雑居ビル前で現実に引き戻された。くすんだフロア案内には、確かに『3階サザンクロス・ナイツ日本支部』と書かれているが、どうも錬金術士と煉丹方士が集うような場所ではない気がする。マリーは勝手知ったるように薄暗いタイル張りの階段を上がっていき、秋人は慌てて追いかけた。ウロもその後に続く。3階フロアは午後の陽気に埃が揺蕩って見えるほど静まりかえっており、その中にマリーの靴音が反響する。曇りガラスのドア脇の呼び鈴を押す前に、マリーは秋人とウロに振り向いた。

「日本支部では本部式の作法は必要無いから」

「拱手(きょうしゅ:中国古式の手を合わせる挨拶)?」

「漢式でもない、ウロ」

「じゃあ、こう『ははーっ』ていう……」

「アキト、あれって座ってないとダメじゃないのか?」

「何をしている」

 三人が大分文化的に勘違いしている会話を始めたところ、ドアが内側から開かれた。姿を現したのは見下ろすように背の高い、頑丈な筋力がワイシャツ越しにでも分かるような、剣呑な目付きの男だった。秋人は息を飲んで立ち竦む。どちらの業界の方でしょうか。

「マリーさん、お久しぶりです」

「快慶さんも、相変わらずで何より」

 マリーは気に留める様子も無く、男も見た目通りの低く太い声だが、穏やかに挨拶をしている。ん?と我に返って秋人は小首を傾げた。

「快慶……さん? 仏師の快慶?」

「そうです。君が小野くんですね。初めまして」

「やあ、何十年ぶりの新人? 私にも会わせて」

 大男、もとい快慶さんの背後から顔を覗かせたのは、小柄な胡麻塩髭の男性だった。柄シャツに大きな目と大きな口がにっこりと笑う。

「“先生“、ここは出入り口ですので」

「あ、そうね。どうぞどうぞ。みんな出払っちゃってるけど」

「快慶さんの先生、って、運慶さんですか」

「え? 最近の人たち、私のこと知ってるの」

 それはもう……歴史の教科書に載ってらっしゃいますからね。受験が終わったらすぐ忘れられるかもしれませんけど。と勢いに押されて答えてしまった秋人は、あれ、敬語の使い方忘れったっぽい、と焦るが、運慶と快慶にまあまあと奥へ通される。


「ようこそ“サザンクロス・ナイツ日本支部“へ!」

 デスクから立ち上がったもう一人の男性が、こちらへ歩み寄る。痩せた剃髪に短袖の黒衣とスーツのパンツという組み合わせだ。伸ばされた手を思わず取ると、前ぶれも無くごう、と秋人を包むように旋風が巻き上がった。

「アキト!」

 ウロが跳び出し二人の間に割って入ろうとしたが、風のつぶてに弾かれた。衣の裾を優雅に翻し、秋人の手をしっかり握ったまま、その男性は踊り出しそうに言う。

「はっはあ、底無しだな。私は道昭、一応ここの事務方責任者だ」

 マリーがウロを風の渦から引っ張り出そうとするが、ウロは脚を踏ん張って道昭を睨む。

「アキトは大丈夫だ、ウロ。道昭さんは“グランド・クロス“ランクだぞ」

 グランド・クロス、と聞いて、ウロはぐっと顎を引いた。ゆっくりと、ただし警戒は解かないまま後ずさる。風に煽られて視界が定まらない秋人は、自由な方の手ではためく前髪を押さえて目を凝らす。まるで目の前にぽっかりと風穴が開いているようだ。その暗い暗い底に何か輝いているものが見える、と思った瞬間、風が止んだ。

「運慶さん快慶さん、あの案件、小野くんとウロくんに任せよう」

 秋人の手を離し、道昭さんは自席に戻ってコンピューターに何か打ち込みながら言う。快慶さんは無言でうなづき、風に酔ったようになっている秋人とウロを手招いた。キャビネットからファイルを一冊取り出して渡される。

「ご存じのように、“ナイツ“への登録には、術士としての能力審査が必要です。日本支部は万年人手不足でして……代わりにそちらの案件を解決することを、条件とさせて戴きます」

 ウロが傍らで歯噛みする気配がする。快慶さんの背後のむこうで、道昭さんが明るい日差しの中穏やかな視線をこちらにくべている。優しいのに冷徹な、全てを見透かすアルカイック・スマイル。思い出した、と秋人は顔を上げた。道昭、遣唐使として大陸に渡り、玄奘三蔵に教えを受けたと言われる飛鳥時代の僧侶だ。なんだか気が遠くなってきた。

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