第50話 残滓 二

 昼を済ませて町家の並ぶ風情な通りを歩いていると、辻から頭一つ高い背が覗いた。

「快慶さん」

 姿勢正しく伸ばされた背が、こちらに気付いて振り向く。筋力の張った四肢をスーツに包んでいる様は、仏師というより界隈の方かと思ってしまうが、動作は意外とあでやかである。

「ウロくん、小野くん。今日は休みだろう」

「はい、なので奈良観光です。快慶さんはこの辺りにご用事ですか」

 ふむ、と少し考えるようにすると、快慶は改めて秋人とウロを見た。深く切れ込んだ目尻から、あまりに昏く緑の淵のように見える瞳がゆらめいている。

「工房によらないか。美味しい蕨餅がある」



 驚いた。あの運慶・快慶の工房を訪ねている、というだけでとんでもなく貴重な体験だと思うが、町屋と土蔵をリノベーションしたと説明されたそこは、むしろモダンなクラフト・ハウスみたいだ。電気ケトルでお湯を沸かし、快慶さん手ずからお茶を淹れてくれるので、いつものことながら恐縮してしまう。

「あの、でも、仏像をつくってらっしゃるのでは……」

 お茶を啜り一息吐いて、改めて採光のよい三和土たたきを見渡す。平台の上には、色とりどりのかんざしくしをはじめ、和装小物や髪飾りが並んでいた。快慶はいかつい肩を少し竦めてみせたようだったが、あんまりお茶目とも言えない。

「先生は今でも専ら仏像だがね、私は、まあ、こちらもよくつくるかな」

 節くれだってはいるが長くよく動く指が、かんざしを一つつまみ上げる。波紋の入った緑の石を銀にあしらった、繊細な玉簪たまかんざし

孔雀石マカライトですか」

 ウロの躊躇いがちな問いに、快慶は視線を上げて少し笑ったようだった。手元のかんざしが光を弾いて、囁くように瞬いている。

「おくりたい相手がいるかね」

 快慶の一言に、秋人は飲みかけの茶でむせそうになる。年頃の青年に面と向かって尋ねても野暮にしかならないのではなかろうか、だが、ウロの実年齢はそう言えば大分上なはずだった。恐る恐る盗み見れば、本人は俯き加減でボソボソとしゃべる。

「いいえ。……小さい頃見たことがある気がしただけです」

「そうか。私は初めて自分でつくって人に贈ったものが孔雀石なんだ。石の記憶というものは奇妙で、細工した人間や贈った人間の思念を通じて“見ている”ことがある」

「どういうことですか」

「つまり、相手に好意をもって贈られた石は、相手を美しく記憶する、その逆もまた然り」

 それはなんとなく分かる。感心しかけた秋人は、ウロの剣呑な視線にかちあった。

「だから私は相手をよく知ってからつくりたい。ここにあるものはみな、オーダーメイドなのだよ」

 例えばこれは、三上夫人から依頼されたものだ。快慶が取り上げたのは、見覚えのある夕空色の石をあしらった帯留めだった。三上夫人、秋人は息を詰めた。つまりこれらは、快慶が人界のしがらみに撒く“目”なのだ。快慶の身から削り出され、美しさと慈悲深さの深淵から人の業を見守り記憶するもの。千手のてのひらに千の目を持ち、二十五の世界を見つめる蓮華王。

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