第27話 秘め事

 街路樹に僅かに残るもの寂しげな紅葉を仰いで、秋人とウロは奈良県立図書情報館からの道を戻っていた。図書館では司書さんも手伝ってくれて、冬原廖庵に関する書籍には全て目を通したのだが、あの宇治の邸宅にあったはずの絵は見当もつかなかった。冬原廖庵のモチーフには日本の故事・伝説、仏教に関するものが多く、その点は秋人も見ていて面白かったし、ウロもじっと説明を聞いていたようなので、興味は有るのだろう。ついでに運慶・快慶を紹介した本も渡したら、熱心に眺めていた。何にせよ、司書さんたちには申し訳ないが、あまり成果は得られなかった。ウロがモミジの落ち葉を拾って、夕日に透かしている。

「綺麗なあかだな」

 ウロの気の色に似てる、と応えそうになって、今ケンカ中なんだった、と秋人は思い出す。調べごとならば手伝えるが、確かに自分を守る手段か、石を意識的に見る方法を身に付けなければならない。いつもウロが側にいるとは限らないのだ、それにウロが何か困難を抱えているなら力になりたい。……とても無理そうだけれど。


 マリーに指定された今度の待ち合わせ場所は、明日香民族資料館だった。既に開館時間は終わっているのだが、マリーに続いて資料館脇の林道を上っていく。日は落ちて薄暗く、畝る道を進めば木々がざわざわと鳴る。マリーの肩越しに朧げに道が開けたのが見えて、秋人は目を凝らそうとした。

「待て、ウォルフレム!」

 後ろを歩いていたはずのウロが叫んだ。と同時に、ぞわりと悪寒の走るような圧に背中を叩かれて、秋人はよろける。振り向いたマリーが舌打ちをして手を伸ばす。膝を突いて顔を上げた秋人の目に映ったのは、あの闇のあがた、ウロに縛り付けられた凶万の牙が、夜空を覆うほどの大口を開けて、前方へ突進するところだった。

「鎮まれ、ここはお前のいる場所ではない」

 冷たく美しい旋律に、白く長い指に嵌められた石たちがさんざめく。幾筋の虹色の光が弧を描いて底無しの喉元に絡みつき、牙は口惜しいとばかりに唸りを上げて砕け散った。呆然と眺めていた秋人は、マリーに引っ張り上げられて我に返る。もう一度見渡しても、星の瞬き出した空が静かに横たわっているだけだ。

「な、なんで、あれが……」

「ああ、見たことはあるのね。あちらが強いから殺気立って出てきたんでしょうけど」

 秋人の独り言のような問いかけにマリーは歩みを進めて、宵闇の空き地に沈黙する岩影に視線を落とす。ずしりとした重みが土に食い込み、台状で上部は平べったいが、奇妙に削られたそれは、秋人にも見覚えがあった。

「酒船石」

「サカフネイシ?……何だソレ、近づけない」

 チョーカーのヘッドを押さえて手で首元を覆い、怒りのせいか恐怖のせいか青ざめたウロが、掠れた声で言いながら、秋人の傍まで這うようにやってきた。秋人も平衡感覚がおかしいが、ウロに肩を貸すように並ぶ。

「私もこれ以上は無理だ。強力な封呪で何もかも弾き返される」

 掌を近付けると、その岩を厚い水の層が覆っているように波紋が仄かに浮かび上がって見えるが、それ以上沈めず、岩に触れられない。

「酒船石は六、七世紀頃の石造物なんだけど、用途が分かっていないんだ」

 マリーの形の良い眉に汗が浮かんでいる様を見ながら、秋人は少し寄りかかるようになっているウロに囁いた。ウロのなかで何か暴れ回っているのか、首元を掴んだ指先に白くなるほど力が込められ、小さく震えている。


「煉丹術が伝わる前から、日本には石の記憶を読む技術があったのではないかと、私は推測している」

「酒船石がそれに関係していると?」

「そうだ、何者かが古来より、この石を封じている。何故」

 一歩退き、腕を組んで岩を見下ろすマリーの身体は、青い燐光を燃やしているように見える。揺れ飛ぶ燐片が岩の表面に落ちるたび波紋が生まれるが、何も語らない。

「誰が封じたのか、どうして日本支部はこの存在を黙認するのか」

 日本支部は知っていて黙っているどころか、本部にも届けない。それとも本部も知っていて、公表しないのか。マリーは思考するときの習慣で、唇を撫ぜた。

「アキト、あんたみたいな不器用には悪いんだけど、教えてほしい」

 力が備われば自ずと気付く。この土地に生まれた者ならば。過去には誰も口を噤んだ。それほどの事実とは何なのか。この石は、“サザンクロス・ナイツ”の存亡に関わる秘匿であるのか。もはや頭の整理がつかない秋人の腕を、ウロが掴んだ。低く啜り泣くような声が告げる。

「アキト、すまない」

 コートの上からでも分かる、灼熱の梃子を当てられているような感触に全身が泡立つ。ウロの気に違いないが、過剰に焚き付けられて制御が効かなくなっているようだった。痛みに感じるそれを無視し、身体を捻って秋人は一段低いウロの背を抱え寄せた。あの時のように、川に落ちた秋人を暖めてくれたように、自分も水の性ならば、焼け爛れたウロを少しでも潤すことができるならば。


うつそみの 人なる我や 明日よりは

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