第38話 神流し 三

 こじんまりとしたカフェ兼居酒屋のような店内は、七割がた客が入って賑やかだ。御曹司でもこういうところで飲食するんだな、と大分偏っているだろう感慨を置いておいて、秋人は隣りのウロを見た。こちらは先程から黙々と一夜干しを身取っている。

「揚げ出し豆腐食べる?」

 揚げ出し豆腐の煮付けと、胡瓜の浅漬けを取り皿に分けて手渡すと、箸を噛んだまま、もごもごと礼を言う。目の前ではマリーと幸介が意気投合している、というより幸介が専ら話しかけ、マリーがまんざらでもなく受け応えしているという様子だ。イギリスの話で盛り上がっているのかとお思いきや、『私はアイリッシュだ』とマリーは言う。幸介は大学院で経済“史”を専攻しているらしい。本当は民俗学やりたかったんだ、インディ・ジョーンズみたいにさ、と笑う。


「それで、どこから絵が消えたんです」

 日本語に戻り、秋人の猪口に足しながら幸介が問う。ウロは横目で見て軽く鼻を鳴らす。日本語の会話が分からないのと、アルコールが飲めないことに不満なのだ。マリーが言っていいぞ、と顎をしゃくる。

「宇治の会島邸」

「あー、ミカミがまた独占禁止法か金融商品取引法に抵触するようなことしてるんですか」

「また、って。いや、知ってても話さなくていいからね、取り敢えず。会島邸って、そういうことするところなの?」

「貝谷吾郎ってご存じです?戦前から経済界・政界の顔効き《フィクサー》だったんですが、ミカミとも切っても切れない間柄だったんですよね」

「その貝谷吾郎の屋敷っていうこと?」

「非公式ですが。華族の館を買い取って、官民軍の有力者との会談に使っていたようです」

「行ったことある?」

「……ええ、まあ。祖父に連れていかれたことがあります」

「冬原廖庵の絵が掛かっていたの覚えてる?」

 こく、とガラスの猪口から燗を一口含み、幸介は記憶を辿るように、色素の薄い瞳を細めた。

「何幅かあったはずです。清根さんに訊けばいいんじゃないかな」

「清根さん?」

「会島邸を管理してくれている老婦人です」

 行方不明になっている管理人のことだ。秋人はマリーを振り向くが、日本語は分からん、と二人とも食べることと飲むことに専念している。マリーのあれは何杯目なのだろうか、全く顔に出ないうわばみである。

「その、清根さん、連絡が付かないみたいなんだ」

 良くない知らせであることと、どうやって判断すべきか分からないのとで、声がしぼむ。幸介は整った眉を寄せて、俯き加減に何か思案しているようだったが、やや有って顔を上げた。陽気な青年の雰囲気が表面から削げ落ち、ゆらりと陰湿な視線が秋人に絡まる。

「清根さんに何かあれば、母が黙っているはずがありません」

 どういう脈絡なのだろう、何故、宇治の館の女主人と三上浩乃が関係あるのか。冬原のギャラリーで浩乃に会った際、絵がすり替えられていた話を傍らで聞いてはいたが、秋人たち三人は会島邸の管理人について特に言及はしなかった。巻き込まれた可能性が高いが、紫織と浩乃には関係の無い人物であると思っていたからだ。怪訝な様子の秋人を見て、幸介は子どもっぽい寂しげな笑みをこぼした。


「貝谷吾郎にはどら息子がいましてね、非嫡出子を何人かもうけたのです。清根さんは愛人の一人で、母はその娘でした」

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