第56話 輪転

 泣いているのはお前だろう、そう言われて我に返った。ライトアップされた朱雀門が見える。座り込んだまま、閃光が走ったように定かでない視界にかぶりを振る。


「立てるか」


 変わらない背格好のウロが引っ張り上げてくれた。いつもの冷静すぎる視線が今は少し柔らかく見えるのは、己れの願望か、願望を引きずってチカチカする目のせいか。


、半分涙じゃないな」


 無骨な指が慎重に伸びてきて、秋人の頬を拭う。……年下に気を遣われているのもどうかと思うが、周囲に人影は無いし、本当は年下などではない。初めて会った時、あまり変わらないって言ってなかったか? サバ読みすぎだろう。


「気が零れ出してるみたいだ。やっぱり底なしだな」

「無駄遣いしてるってこと?」


 袖で目元を擦るが、止まらない。こう勝手に流れ出すのでは、本当に泣きたい時どうすればいいんだ。


「気は循環しているものだ。身体の中だけでなくて、外界とも繋がっている」


 ウロがゆっくりと瞬きをし、艶やかな黒墨の瞳がこちらを見上げる。やっぱり綺麗だな、と見惚れそうになって、秋人は驚いた。


「戻ってる!よかった」


 伸ばした手をやんわりと避けられて、ウロは目を伏せてしまった。自惚れてもいいのなら、と秋人は考える。ウロの瞳が戻ったことには自分も多少貢献している。けれどウロにしてみれば、俺と一緒にいるとまた身近なものの気を取り込んで、何か引き起こすのではないか、という不安もますます強まっているのだろう。妥協や甘えは罪悪感から許されないと思っているはずだ。辛いのはウロなのに。助けにもならないのに側にいたいと望むのは、俺のエゴなのかもしれないけれど。


「……借りは返す」


 困ったように視線を揺らし、歯切れ悪くウロは言った。だから、もう少しこのままでいい。お前はマリーのような力は無いが、オレのウォルフレムを手懐けることはできそうだ。踵を返して歩き出すのを慌てて追った。


「映画観にいく約束だろう?」

「明日も早い」

「ええ……じゃあ、いつ行くのさ」


 隣りに並んで夜目にこっそり伺うと、寂しげな笑みを湛えた声が囁いた。


「いつか、な」


 楽しみにしてる。秋人は星が瞬き始めた夜空を仰いだ。そうか、約束さえあれば、またいつでも会いにいく理由がある。友人になれなくても、繋がっていられる。


「サクヤヒメの件が解決したら、岩手に行かない?」

「イワテ?」

「うん、俺のホームタウンなんだ。姉から顔出すように言われてて」


 北のほう。もう随分雪が降ってるはずだけれど。ウロの口元から白い息がふわりと浮いた。笑っているのか、呆れた溜め息なのか微妙なところだが、俯き加減なのでよく分からない。


「今回じゃなくても、またいつかね。綺麗なところだよ」


 一人で雪かきをしているだろう母を思い出す。父の墓前にも長いこと行っていない。『それでも浩乃は、家族を愛していると思う』とウロは言っていた。ずっと家族と呼べるものがいなかったウロが言うのだから、きっと違いない。


「……浩乃さんと、もう一度話してみようか」


 どうして清根さんが絵を取り替えたのか、どうして浩乃さんはサクヤヒメを隠す必要があったのか。浩乃さんは、本当に紫織さんの母親なのか。分かってくれると思うな、浩乃さんなら。ウロは頷いた。


「事実を知らないで、何も憎悪することはできない」

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