第31話 疑惑

 冷たい夜風を靡かせ、明るい店内に入るとほっとする。コンビニ久しぶりだな、以前は会社の帰りによく寄ったんだけど。秋人はそろりと、通路の陰に引きこもりながら店内を見渡した。シドニーにもコンビニは有るが、利用したことはない。確かに24時間営業なのだが、緊急に必要なものを調達するようなところで、安くもないし商品の種類も限られているからだ。日本のコンビニは商品の入れ替えも頻繁だし安いしキレイだし、ホント凄いよなあ……とこっそり感嘆してしまう。


 会社員だった頃は、間食を買いに、本の立ち読みに、夜中のコンビニへよく寄った。冷蔵棚に新作のデザートを見付けて、これ、ウロが食べたらどんな顔するかな、結構甘いもの好きだからなあ、と考えたところで、いかんいかんケンカ中だったんだ。と思い直す。人恋しいのが分かるのに、なんであんなに拒絶するのだろうか。親しくなるほど、踏み込まれるのを警戒されている気がする。雑誌を手に取り、秋人は小首を傾げた。


 そもそも旅館を出てきたのも、ちょっと頭を冷やそうかと思ったからだ。姉の日暮から電話が掛ってきたのも、タイミングが悪かった。さすがに誰にも告げずに帰国するわけにもいかず、直前に日暮にだけメールを送っておいたのだが、先程早速説教をくらった。出来の良い姉は大学でも奨学金を受けるほどだったし、資格を取って今は県議員事務所で働いている。秋人は昔から頭が上がらないのだが、それは姉が一番自分を理解してくれているからでもあった。要するに、言われることが自分でもよく分かっているので、耳が痛いのだ。母に顔だけでも見せた方がいい、姪も叔父に会いたがっている。誰も自分を疎んじていないのに、どうして会いに行きたくないのか、それは自分の後ろめたさなのだ。働き盛りで離職して、実家に寄り付かず己れの家族を持たず、海外をふらふらしていると、他人から批判されるのが怖い。


 やってることはウロと一緒だな、きっとウロの事情はもっと深刻なんだろうけれど。やっぱりデザートを買って旅館に戻ろう、と雑誌をラックへ返したところで、バイブレーション設定の携帯が揺れた。また日暮かな、と早足でドアに向かいながら応えると、意外な声が問うた。

「小野さんですか? お世話になっています、冬原紫織です」



 上品だが艶やかなタイツの脚が、暗いタクシーの後部座席から滑り降りるのが見えて、秋人は知らず視線を逸らした。イヤリングがしゃらりと揺れてネオンを弾く。コンビニ前の駐車場難に出てから、秋人は紫織と電話口で話した。午後に会った時には話せなかったことが有るのだという。今からもう一度面会できませんか、と尋ねられて奇妙に思い、今外にいるので戻ってマリーとウロに伝えてみなくてはなりませんが、大丈夫だと思います、と答えると、一瞬相手は黙り、では小野さんだけで来て下さい。と言われてしまった。会わない、という選択肢の無い静かだか独裁的な声で、秋人は指定された通り、この近くのバーの間口でうろうろしていたのである。


「遅くに申し訳ありません、明日には奈良へお戻りかと思いまして」

 恐縮した所作だが、にじりよる青系のルージュに押されるように秋人はバーの扉を開けた。室内はアンティーク基調の小さなバーで、紫織は秋人を角のラウンジチェアへと導く。

「……オーダーを通してきます。何にされますか」

「ではギムレットをお願いします」

 他に二組の客がカウンターに座っており、バーテンダー一人が対応している。秋人は居心地の悪さもあり、紫織に尋ねて席を離れた。笑窪を湛えながら表情の読めないバーテンダーにギムレットとダイキリを注文し振り向くと、紫織はテーブルの上に何か紙片を広げているようだった。

「私たち親子のプライベートな話で恐縮なのですが」

 テーブル脇に立った秋人を見上げて、紫織は言った。ほつれた髪が目元に掛かって、嫋やかにも痛々しくも見え、秋人は動揺する。妙齢の女性と接するのは、緊張する以上に好ましさに火が着きやすく、まともな判断を失いがちになるものだ。秋人は腰掛け直すが、正面から紫織を見ることは避け、手元の古い写真に視線を移した。

「三上様―浩乃さんは、母が父と婚約する前に、父が最も親しくしていた女性なんです」

 丁寧にビニールで閉じられた古い写真にうつるのは、穏やかに手を取り合う若い男女。男性は冬原廖庵であろうが、女性の顔に秋人は衝撃を受けた。“スセリビメ”だ、いや、なぜ絵を見た時に気付かなかったのだろう。なぜ若い頃の浩乃に、紫織の面影が有るのだろうか。

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