第18話 再会

 次に秋人が目を覚ましたのは、明るいベッドの上だった。錆びついたような上体を起こすと、カーテンで仕切られた隣りのベットサイドから兄弟の言い争いが聞こえてきた。どうやらまだ仲直りしていないらしい。

「助けて戴き有り難うございます、脚はいかがですか、ミスター趙」

 取り敢えず割って入っておいた方がいいかな、こっちの頭にも響くし、と秋人が声を掛けると、顔を見合わせた兄弟の兄が、カーテン越しに開けてもよいかね、と尋ねてきた。現れた人物はやはりあの夜のスーツの男性だったが、今日はカーディガンにスラックスというカジュアルな出で立ちで、ますます似ているなあ、と秋人は思った。イーソンはベッドの上で脚に巻いた包帯が痛々しいが、髭も髪も整えてこざっぱりとしている。

「巻き込んで済まなかったのはこちらだ、気分はどうだい」

 デレクが眼鏡を渡し、水を注いでくれる。本来人好きのする恰幅の良さであったろうものの、問題続きで白髪が増えて痩けてしまったらしいことが近づくと分かった。


 妹から次男が行方不明になっていることと、メイデンの関係者がオーバリーに向かっていることを聞いた長兄は、企業本部のあるメルボルンから駆けつけた。デレクを始め趙ファミリーの企業側は元よりマリーに依頼し、警察の協力を得て“ムーンリバー”を追跡していた。この機会に父と兄に企業経営方針を見直すよう話し合うため帰国したイーソンは、イーソンを後継者とするように“ムーンリーバー“の記録を操作する代わりに、先代によるメイデンの不正調査を揉み消すよう迫られたが、拒否したために監禁された。

「帰ってくることを先に知らせろ、まったく」

「前の家を見にいきたかったんだ。何で売っちまったんだ」

「資金に回すしかなかった。館も企業も爺さまが丹精込めたものだ」

「言ってくれればこちらから融通することもできたのに」

「お前にはお前の会社があるだろう?」

「あそこは俺の実家でもあるんだぞ」

 兄弟がまたもや意地の張り合いを始めたところで、病室のドアが開いた。タイトスカートの綺麗な脚が踏み込んできたと思いきや、後頭を小突かれたウロが、なんとなく渋々というように入ってくる。

「アキト、大丈夫か? ごめんな、間に合わなくて」

 ベッドの傍らに立ち、俯いて拳を握るウロに、秋人は目を瞬かせた。窓から差し込む日差しの中、今はウロの硬そうな黒髪の先が揺れてちらちら光るのまではっきりと見える。

「考え無しに離れたの俺だし。それに、間に合ってなくないよ」

 あの時、俺が石に同調しすぎて、永遠の沈黙に沈み込んでしまいそうになった時、ウロのことを思い出した。映画にいくって約束しただろう? 誰の願いをも写し取るのが石たちだから、“ムーンリバー“は全て分かっていて、だから自ら消えてしまった。


「それで、“ナイト“になる覚悟はできた?」

 二人の様子を半分楽しげに半分呆れて眺めながら、マリーは脚線美をしならせて、秋人のベッドへ腰掛ける。

「それはちょっと……」

「ヘタレねえ。ウロが修煉に付き合ってくれるわよ」

「勝手なこと言うな。術士になんてならなくていい」

「あんた、インシャがわざわざあんたと秋人を会わせた理由分かってんの?」

 ウロが怪訝な顔をするのが可笑しくて、秋人は笑った。あの男の掌の上で踊らされるのは癪だけどね、とマリーが艶やかな唇を尖らせる。

「秋人の潜在力を自覚的にか無自覚にか引き出したのは、あんたでしょ? 責任取って双修しなさい」

「断る。双修なんか絶対に嫌だ」

「双修って何ですか」

 紅潮を隠して憤慨するウロに首を傾げる秋人と、マリーは鼻先で笑って髪を掻き上げる。

「二人でする修煉のこと。バディみたいなものよ。火と水では珍しいけれど」

「先に自分たちのことどうにかしろよ」

 今度はマリーが眉を顰める番らしかった。綺麗にネイルを塗られた指先が、苛ただしげに握られる。もしかして、マリーとインシャは双修の相手同士なのだろうか、と秋人はどこか陰った横顔を見て考えた。マリーのインシャに対する執着は、特別な感じがする。では何故別れてしまったのだろう。

「術士になんてならなくていい。いつか変われずに苦しむことになる」

 ウロの低く呻くような声音に、秋人が手を伸ばしかけたところで、再び病室のドアが開いた。


「デレク、イーソン!」

「「ジェニファ」」

 イーソンのベッドへ駆け寄ってきた小柄な女性に、兄弟の声が重なる。小麦色の肌に黒髪をきっちりと纏め、年相応な目尻の皺も、くるくるとよく変わる表情がチャーミングな女性だ。ウロは秋人の手を押し返し、背を伸ばして立った。

「怪我はどうなの? あまり父さんに心配かけないでよ」

 妹は次男が音信不通になっていることに気付いて、長兄にはっぱをかけ、マレーシアから飛んできたらしい。先に父を訪ねたら、息子たちへの弱気な愚痴を散々聞かされた。

「親父はジェニファに甘いからなあ」

「イーソンは父さんと話そうともしないじゃない。どっちも頑固なんだから、もう」

「マレーシアでの事業はどうした? あちらに迷惑はかけてくれるなよ」

「ちゃんと処理してきました! デレクは向こうの家のこと気にし過ぎよ」

 久しぶりに再会した兄妹たちは、喧々諤々和気藹々にお喋りを始めたが、ジェニファの黒光りする瞳がくるりとこちらを向いて、秋人を映した。

「ミスター・オノですね。“ムーンリバー“の欠片を見付けて下さったと伺いました」

 秋人のベットに歩み寄り、恐縮して立ち上がろうとする秋人にそのままで、と微笑んで握手の手を差し出す。マリーは横目でウロに顎をしゃくる。ちゃんと報告しろよ、と意地悪く悪戯っぽく囁く。ウロは、ジェニファと秋人の握手の間で、苦虫を噛み潰したような顔をした。

「マダム」

「ウロ君には勿論感謝していますよ。マスターの代わりに苦労をかけてしまったわね」

 恐る恐るというように声をかけたウロの、あちらこちらに跳ねた髪をジェニファは優しく撫ぜる。半分固まりながら、ウロはなんとか声を絞り出す。

「マダム、お…… 私にお構いなく」

「あらあら、ごめんなさいね。息子がウロ君と同い年、くらいに見える、ものだから」

 先ほどからずっと茹ったようになっているウロは、慎重にジェニファの手から逃れ、姿勢を正す。確かにビジネス上の付き合いでは、見た目が若過ぎるのも困りものかな、と秋人はウロを盗み見る。

「ここに“ムーンリバー“から切り出された小片の一つが有りますが、ご確認されますか。後日マレーシアのオフィスにも伺います」

「ええ、見せて戴こうかしら。デレクもイーソンもいることだし。なかなか三人揃わないものね」

 秋人のベッドサイドに置かれたキャビネットから小箱を取り出し、ジェニファの前に進み出て、腰を屈め片脚を引き、胸に片手を当てる礼をする。随分仰々しいな、と秋人がぽかんと眺めていると、マリーがにじり寄ってきて、耳元に教えてくれる。あれはbow and scrapeという、敬意を表すナイツの作法だ。いろいろ決まりがあるんだけれど、まあ追々覚えればいい。ウロがすると、身を伏せて威嚇している犬科の動物のように見えてしまうな、と秋人は自分の想像に吹き出しそうになるのを堪える。ウロがもう片方の手に乗せた小箱を捧げ上げるように開けると、あの日マーケットで見かけた“ムーンリバー”のペンダント・トップが大切に包まれていた。秋人の目がその色を捉えた途端、窓の外でざあっと大気が鳴り、時雨が巻き起こった。空は明るくけぶり、秋人は見上げて呟いた。狐の嫁入りだな。

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