第2話 完璧な作戦

「電車通学ってどういう感じなのかしら」


 朝。天上院学園へと向かう送迎車の中で、お嬢が唐突にそんなことを口にした。


「車での送迎に不満がおありなんですか? 要望があるなら仰ってください。すぐに対応いたします」


「別にそういうわけじゃないけど。クラスの子が電車通学の話をしてたから、ちょっと気になって」


 つまり興味が湧いてきたと。

 お嬢はなまじ勘が良く、色々なことが出来てしまうせいなのか、好奇心旺盛な部分がある。未知のことに対する興味を惹かれやすいのだ。今回はそれが『電車通学』に向いてきたのだろう。


「……そういえば、お嬢は普段あまり電車を利用されませんね」


「行きたいところがあれば送ってもらえるもの。電車通学まで行くと、経験は皆無ね。どうせなら、一度経験してみようかしら」


「といっても……そう面白いものでもありませんよ。電車通学という名前の通り、ただ電車に乗って通学するだけですから。特に朝の時間帯は混雑いたしますので、窮屈な思いをされるかと」


「窮屈?」


「学生だけではなく、通勤されている大人の方々も電車を利用されますから。その分、人も多くなりますし、時間帯によっては席に座ることもままなりません」


「ふーん。聞いてた通り大変なのね」


「特に満員電車ともなると、他人と密着・・せざるを得ない状況ですので、お嬢には――――」


「今日は電車で帰りましょう」


「俺の話、聞いてました?」


「もちろんよ」


「なら、今日は――――」


「電車で帰りましょう」


「お嬢!?」


 どういうことだ。俺の言葉を聞き間違えているのか?

 念のためにもう一度、説明をしておこう。


「お嬢。電車で帰ることは、期待しているほど良いものでもないと思いますよ」


「そうなの?」


「ええ。夕方のラッシュ時に巻き込まれでもしたら、簡単に離れられないほど他人と密着・・することになるんです」


「今日は絶対に電車で帰りましょう」


 なぜだ……! なぜ、お嬢はそこまで電車に拘るんだ……!


「影人。今日はあなたも一緒に電車に乗りなさい」


「もちろん、そのつもりですが……お嬢。何に期待しているのかは分かりませんが、あまりご無理をなさらないようにしてくださいね」


「無理なんてしてないわ。むしろ、期待で胸が膨らんでしまいそうだから安心してちょうだい」


 理由は定かではないが、どうやらお嬢はどうあがいても電車に乗りたいらしい。

 お嬢の気まぐれも今回は妙な方向に働いてしまったものだ。

 ……ま、そこがお嬢の魅力でもある。俺は使用人として、お嬢の望みを叶えるだけだ。


(学園の近くにある駅から屋敷までのルートも、時間帯ごとの平均的な混雑状況も頭に入ってる……天候も問題なし。あとは下校時間か。ラッシュの時間帯に被らないように調整したいけど……これに関してはお嬢の気分次第だから祈るしかないな)


 頭の中で今日の下校時の予定を組み立てていると、お嬢はとても真剣な表情でスマホに何かのメッセージを打ち込んでいる。

 ……珍しいな。お嬢は多才でありながら努力家だ。それだけに全体的にスペックも高く、今やたいていのことは涼しい顔をして完璧にこなしてしまう。

 そんなお嬢があそこまで真剣な表情をしているとなると、よほど重要な案件なのだろう。


(声をかけたいけど……集中を途切れさせるかもしれないし、ここは見守っておこう)


 授業はすべて何事もなく終わり、放課後が訪れた。

 鼻歌でも歌いそうなほど機嫌は良く、帰宅部の生徒たちに交じって、真っすぐに駅へと向かって歩いていく。

 ……お嬢、学園から駅までの道を歩くのは初めてじゃないのだろうか。まるであらかじめ地図を熟読して完璧に道のりを把握しているような足取りだ。


「お嬢、この道を歩いたことがあるんですか?」


「はじめてよ。普段は車だし」


 じゃあなんでこんなにも迷いなくすいすい進んでいるのだろうか。

 まさか本当に地図ルートを熟読して頭に叩き込んでいたのか……いや、いくら電車で帰ることに興味があったところでそれはないか。


「あ、影人くんと天堂さんだ」

「今日はどうしたの? いつもは車だよね」


 普段は車で登下校しているお嬢と俺が一緒に下校しているのが珍しいのだろう。

 同じ学年の女子生徒たちが声をかけてきた。


「こんにちは。今日は気分を変えて、電車で帰ることになったんです」


 彼女たちは隣のクラスの生徒か。中等部時代は同じクラスになったことはない。

 お嬢との接点はないが、これから増えるかもしれないしな。

 相手を不快にさせない清涼感のある笑顔を心がけろ。俺が原因で、お嬢の評判を落とすわけにはいかないのだから。


「…………っ……。そ、そうなんだ。わたしたちと一緒だねっ」

「じゃあ……一緒に帰らない? 影人くんのお話とかも聞いてみたいしっ」


「お嬢。いかがいたします――――」

「ごめんなさい。私たち、今日は急いでるの」


 ニコリとした完璧な笑顔を見せつけると、お嬢は俺の腕を掴んでそのまま速足でつかつかと歩き出してしまった。


「お、お嬢? どうされたんですか?」


「どうもこうもないでしょ。なによ今の笑顔」


「もしかして、不快な思いをされましたか? お嬢の評判を落とさないよう、心がけたつもりなんですが……」


「…………不快どころか魅力的だから困るのよ。そんなのだから次から次へと泥棒猫が……」


 お嬢にしては珍しく歯切れが悪い。ぼそぼそと喋っているせいか、言葉もよく聞こえてこないし……。


「とにかく、急ぐわよ」


 そうしてしばらく早足で進み、俺たちは駅に辿り着いた。

 この時間帯なら混雑もしない。ましてや、満員電車なんてことは天地がひっくり返らない限りありえないだろう。いるのはせいぜい俺たちと同じ、下校途中であろう学園の生徒たちだ。


「影人。どこにもお弁当が売ってないのだけれど」


「ああいうのは新幹線が通る大きな駅でもないと。少なくとも、これぐらいの規模の駅には売ってません」


「そう。一度食べてみたかったから、残念だわ」


「またの機会にいたしましょう。その時は手配しますから」


「だめよ。お弁当を駅で買いたいの」


 そんな雑談を交わしていると、定刻通り電車がやってきた。

 ドアが開き、そのままお嬢と共に中へと入る。やはりこの時間帯だと車内はまばらだ。

 同じ学園の生徒たち以外、ほとんど乗客はいない。


「お嬢、お座りください。席も空いていますし」


「このままでいいわ」


 主であるお嬢を差し置いて俺が座っているわけにもいかない。必然、俺もまた席がガラガラになっている電車の中で佇むことになった。


(お嬢も、これで電車に対する好奇心を少しでも満たしてくださるといいけど……)


 お嬢の傍に控えつつ揺られていると、電車は次の駅に停車した。

 扉が開き、ホームから次々と人が乗り込んできて……乗り込んできて?


「ん?」


 なぜか駅のホームから大量の人がなだれ込んできた。俺が困惑している間にあっという間に車内は満員となってしまい、座るどころではなくなってしまった。


(ど、どういうことだ? ラッシュの時間帯でもないのに、なぜこれだけの人数が……?)


 学園にいる間に、下校ルート上にある駅周辺の情報は全て頭に叩き込んだ。

 大したイベントもなかったはずだ。あるとしてもせいぜい福引や風船配りみたいな、ちょっとしたものだけで……。


「あら。満員になってしまったわね」


「そ、そうですね。申し訳ありません、お嬢。俺のミスです」


「あなたのミスなんかじゃないわ。たまたま、偶然、この車両に人が集まってしまっただけよ。全ての人間の流れを把握することなんて出来ないのだから、気にする必要なんてどこにもないんだから」


「ですが、お嬢に窮屈な思いをさせてしまうことに……」


「大丈夫よ。ぜんぜん窮屈なんかじゃないから」


 流石だ。お嬢は突然の満員電車にも一切動じず、ニコリと笑っている。

 俺も見習わなきゃいけないな。多少、予想外のことが起きた程度で動じているようではまだまだだ。


「っと……」


 車両が揺れると同時に人の波も動く。出来るだけお嬢のスペースを確保しようとしたものの、この人数だとそれも叶いそうにない。


「申し訳ありません、お嬢。少しの間ご辛抱を……」


「気にしないで。そんなことより、遠慮しなくていいから。私をしっかりと守りなさい」


     ☆


 高等部に進学して、まさかこんなにも早く泥棒猫が出てくるなんて思わなかった。

 正直言って、私は焦っていた。何か手を打たないといけない、と。でも考えても中々、良い手は浮かばなかったところに……灯台もと暗しとはまさにこのこと。答えはすぐ近くにあった。

 満員電車。その手を見落としていたなんて、私もまだまだね。


 普通なら、満員電車にメリットはないと考えるかもしれない。

 ええ。そうね。私だって、好んで乗りたくはないわ。

 けれど……そこにメリットがあるとしたら。これ以上ないほどのメリットがあるのなら、どうかしら。


「特に満員電車ともなると、他人と密着・・せざるを得ない状況ですので、お嬢には――――」


「今日は電車で帰りましょう」


 密着。そうね。物理的接触は有効かもしれないわ。

 自慢じゃないけれど私の発育は良い方だ(この前も胸の部分が少し窮屈になったし)。

 ……しかも満員電車なら、さり気なく、自然に、必然的に、密着できる。自分の武器を有効に活用できるこれ以上ないシチュエーションだ。あと私も嬉しい。


 私はその手を思いつくと、すぐさま実行に移した。


 スマホを取り出すと天堂家専用のアプリからメッセージを送信する。プランは二秒で組み立てた。あとは人員を確保するだけ。そしてその人員も、天堂家の力を使えば造作もない。


 やることは至って単純。

 私が指定した時刻に、私が指定した車両に乗り込んでもらうだけ。たったそれだけ。


 ……まあ。珍しく影人が電車で帰ることで、別の泥棒猫が出てきたのは予想外だったけれど……問題ないわ。この満員電車で決めればいいの。


 手配した人員が電車に乗り込んでくると影人は困惑していたけれど、私としては満足だった。いや。満足じゃないわね。むしろ勝負はここからだ。


「申し訳ありません、お嬢。少しの間ご辛抱を……」


「気にしないで。そんなことより、遠慮しなくていいから。私をしっかりと守りなさい」


「……分かりました」


 手配した人員たちに押される形で私と影人の距離が詰まる。影人は電車の壁に腕をつけながら私の身体を守ろうとしてくれているけれど、やっぱり人が多いせいか、互いの身体が密着する形になってしまう。

 ……ん。身体をこうして密着させるのはやっぱりちょっと、恥ずかしいけれど。

 影人が少しでも私のことを意識してくれるきっかけになるかもしれない。


 ……ふふっ。悪いわね、影人を狙う泥棒猫たち。

 近いうちに勝利宣言をさせてもらうことになりそうよ。


「お嬢、苦しくありませんか?」


「私は大丈夫よ。むしろ、もっと近づいてくれたって――――」


 見上げて。


(――――……あ)


 思っていた以上に近くに、影人の顔があって。

 夜空のように綺麗な瞳に吸い込まれそうになって、頭の中で考えていた計画とか、余裕とか、そういうのも全部真っ白になった。


(近い、わね……思っていたより、ずっと……それにこの姿勢……なんていうか……)


 研究用に鑑賞していたドラマや漫画とかで見たことがある。

 あれでしょ? 『壁ドン』ってやつでしょう? まさか成り行きとはいえ、影人からしてもらえるなんて……。


(あ、あれ?)


 急に顔が熱くなってきた。心臓も、どきどきして……。


「お嬢」


「ひゃっ……な、なにかしら?」


「お顔が発熱しているように見受けられます。もしかして、体調を崩されたのでは……」


「ち、違うわっ。大丈夫よ。だいじょうぶ、だから……」


 …………どうやら私は、自分のキャパシティを十分に把握してなかったらしい。


「今は……あんまり、見ないで」


 そのことに気づいたのは、電車を降りて動けなくなったあとだった。




 ……ちなみに、後日。

 影人が壁ドンをしながら女の子を守っていた、という噂だけが流れてファンが少し増えたということを知り、私は壁を殴りそうになった。




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