第31話 開戦の狼煙

 油断大敵、という言葉がある。


 ざっくり言うと、油断は大きな失敗を招く敵であるということだ。

 このポピュラーな四字熟語は、今の私にとっては最近味わった手痛い失敗をフラッシュバックさせる。


 ……ええ。認めましょう。

 この私、天堂星音は油断していた。作戦がある程度上手くいってたから、油断して、その結果として大きな痛みを負った。……いえ。違うわね。今度こそ認めてあげましょう。


 ――――私は敗北した。


 あの第三の泥棒猫、四元院海羽に敗北した。

 この天堂星音が、敗北したのだ。


 影人の頬にキスをかましたあの女。私だってまだなのに。まだしたことないのに……!

 ……いえ。落ち着きましょう。落ち着くのよ、天堂星音。

 確かに私は敗北した。だけど、それで終わったわけじゃない。まだ終わってないし、完全に決着がついたわけでもない。


 決着ケリがついていないなら、戦える。

 戦えるなら、勝機はある。

 勝機があるなら、掴み取る。


 それが私。それが天堂星音という人間だ。


 ……まずは認めましょう。


 羽搏乙葉。四元院海羽。

 この二人の泥棒猫もまた、私と肩を並べる挑戦者チャレンジャーだということを。


 そしてはじめましょう。


 私たちの仁義なき――――正妻戦争・・・・を。


     ☆


 日中の日差しが強くなっていく八月。

 世の高校生たちはそれぞれ思い思いの夏休みを過ごしていることだろう。

 家族と旅行に行ったり、友達と遊んだり、恋人とデートしたり。


 俺はといえば、今の三つに負けず劣らず高校生らしい過ごし方『アルバイトに精を出す』を実行していた。


「よいしょっと……」


 大量に並んでいた荷物の内、最後の一つをトラックに積み込む。

 容赦なく照り付ける真夏の日差しが眩しい。こうして額に流れる汗を拭っていると、高校生として健全な日々を過ごしている感じがするな。


「ふぅ……これで最後か。及川さーん、こっちは終わりましたよ」


「はーい。ありがとねー、影人くん」


 と、なんとも嬉しいことを言ってくれたのは、真夏だというのに天堂家制の漆黒のスーツに身を包んだ女性だ。


 彼女は及川真紀おいかわまきさん。

 俺と同じ天堂家に仕える使用人だ。一見するとボディーガードのような装いだが本業はメイドである。


「これでよし、と。はー、終わった終わった」


「お疲れ様です」


「ありがと。いやー、それにしても影人くんがいてくれて助かったわー。連中も手早く仕留めてくれたし、武器の回収までしてもらったし。ごめんね? 今って確か、夏休みだったでしょ。期間限定一人暮らしってやつの」


「ああ、いいんですよ。お嬢の為に離れてみましたが、だからといって天堂家……お嬢を狙う者がいるのなら、それを野放しにすることなどありえません」


「お嬢様のために離れてみた、ねぇ……んー……まあ、それは諸説あるところだけど」


「それに、友人にも言われたんですよ。お前には一般的な高校生としての経験が足りないって。だからこうして、夏休みにアルバイトに精を出すのも、高校生らしくていいかなって」


「んー……武装した傭兵連中を素手で制圧した後、武器を回収してトラックに積み込むことは、一般的な高校生のアルバイトとは言えないかな」


「え? でも、こうやってトラックに荷物を積み込むのって、引っ越し業者のアルバイトっぽくないですか?」


「普通の引っ越し業者が運ぶのは家具やダンボールだし、間違っても銃火器をトラックには積まないかなぁ」


「……高校生らしいアルバイトって、難しいんですね」


「あたしからすれば、銃弾の雨を躱しながら相手の懐に潜り込む方が難しいと思うよ」


「でもそんなの、天堂家に仕える人間なら普通じゃないですか」


 むしろ銃弾ぐらい躱せずに、どうやってお嬢の日常を裏から護るというのか。


「そうだけどさー……っと、忘れないうちに……ほい、今日の報酬」


「ありがとうございます」


 ありがたく茶封筒を受け取ると、及川さんが苦笑する。


「なんかヘンな感じだよねぇ。別に仕事を辞めたわけでもない同僚に、こうやって日払いの報酬を渡すって」


「ですね。なんか俺も、ちょっと変な感じがします」


 報酬を受け取った俺は、中身をきっちりと確認した後、及川さんに頭を下げた。


「夏休みの間……お嬢のこと、頼みます」


「あいよ。言われなくても、だ……まあ、むしろこっちから君に言いたいぐらいだけど」


「えっ?」


「なんでもないなんでもない。ほら、さっさと帰ってあげな」


「はぁ……では、失礼します」


 その言葉の意味を理解できないまま、俺は帰り道を歩いていく。

 帰ってあげな、なんて……及川さんも変な言い方するもんだ。


 今の俺は期間限定の一人暮らし期間中。

 家に帰ったところで、誰かが待っているわけではない。


「ん?」


 今、見覚えのあるトラックが横切っていった気がする。

 一見すると普通の引っ越し業者のように偽装されていたが、あれは天堂家でよく使用している、荷物や装備を運搬するトラックだ。


 俺がこの家に越してきた時も、旦那様のご厚意で色々運んでもらったっけ。


「……天堂家の誰かが越してきたのか?」


 しかしそんな情報は共有されていない。首を傾げながら自分の部屋に戻る。


「おかえりなさい、影人」


「ただいま戻りました、お嬢」


「アルバイトお疲れ様。お風呂にする? ごはんにする? それとも私といちゃいちゃする?」


「汗をかきましたので先にお風呂に入ってきます」


「分かったわ。あ、お湯ならさっき沸いたばかりよ」


「ありがとうございます」


「じゃあ、お風呂からあがったらご飯にしましょう。その後にたくさんいちゃいちゃしましょうね」


「あはは。相変わらず、お嬢はユーモアに溢れてますねぇ…………え?」


 ん? 待て。ちょっと待て。


「お嬢……?」


「何かしら? ……はい、タオルと着替え」


「ありがとうございます……じゃなくて」


「?」


 頭に疑問符を浮かべながら、お嬢は愛らしく首をかしげる。


「あの、お嬢? どうしてここにいるんですか?」


「私も隣の部屋で一人暮らしを始めたからだけど?」


「ああ、そうだったんですね。お嬢も一人暮らしを……………………『隣の部屋で一人暮らしを始めたからだけど』?」


 待って。分からない。意味が全く分からない。


「夏休みの間、よろしくね。影人」


 俺の困惑をよそに、お嬢はこれ以上ないぐらい愛らしい笑顔を浮かべていた。


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