第30話 一番

 ――――天堂星音といえば、上流階層で知らぬ者などいないだろう。


 彼女の特異性は一般市民だけではなく、この世界において上流にいる者たちの中ですらも際立っていた。


 その美貌は女神が如く。

 その知性は賢者が如く。


 完全無欠という言葉は彼女のためにあるようなもので、事実わたくしは『天堂星音』という少女以上の勝利者を見たことが無い。


 そして、わたくしは。


 愚かにもそんな天堂星音に劣等感を抱き続けては、勝手に敗北感を抱いていた。


 なのに。


「…………ねぇ。影人えいと


「は、はい……」


「あなたは、一体、そこで、何を、やって、いるの、かしら?」


 ニコニコとした笑顔を保ったまま、必死に何かを抑え込んでいる天堂星音。

 影人えいと様は何も分かっていないようだけど、わたくしには分かる。

 彼女は嫉妬しているのだ。


 あの天堂星音が。


 女神であり賢者であり、完全無欠という言葉の化身のような少女が。


 わたくしに嫉妬している。


(これが……天堂星音?)


 信じられなかった。

 こんな、あまりにも不完全な彼女の姿が。


「な、なにをというか……急に姿を消した四元院様が心配になって、捜索しておりました。四元院家のご令嬢ともなれば誘拐などの危険性もありますので……」


「ふ~~~~~~~~ん? へ~~~~~~~~え?」


「あの……お、お嬢……?」


「…………影人えいと


「お、乙葉さん……」


「…………四元院家のご令嬢が急に姿を消した。誘拐の可能性を疑ったのは、理解できる」


「そ、そうですか。それは何よりです」


「…………じゃあ、どうしてそこまで密着しているの?」


「えっ?」


 羽搏乙葉が指しているのは、わたくしが影人えいと様の胸に身体を預けているこの姿勢のことだろう。


 天堂星音と羽搏乙葉の二人が不機嫌だったのは……これが原因? これぐらいのことで?


 あの完全無欠の令嬢と歌姫が。


 揃いも揃って、ここまで心を乱されている。


「いや、あの……これは……」


「わたくしがお願いいたしましたの」


 助け船を出すようなわたくしの申告に影人様はほっと安堵したような顔になる。

 だけどわたくしは、そのまま彼の腕に抱き着くと、さっきよりも更に身体を密着させる。我ながら大きさのある胸を押し付けるようにして。


「「――――……」」


 ぴきっ、という音が、目の前の二人から聞こえてきた……ような気がした。

 影人様も空気の変化は感じ取っているのだろう。何も言わないけれど、冷や汗をかいていた。


「わたくし、少し気分が悪くなってしまって……」


「あらあらそれは大変ねぇ。今すぐ名医を紹介してあげるからさっさとそこを離れなさい」


「……安心して。歩けないようならわたしたちが車に叩き込んであげる」


「ご安心くださいませ。影人様・・・が優しく介抱してくださったおかげで、気分も良くなってきましたから」


「「え、影人えいと様……!?」」


 こんなにも簡単に動揺する二人を見ていると、肩の力が抜けてきた。


 同時に、これまでわたくしが肩肘張って勝手にこだわっていた部分が、なんだかバカバカしくなってきてしまった。


(……なんだ。天堂星音も、同じなんですのね)


 完全無欠のお嬢様。それは彼女の持つほんの一面にしか過ぎない。


 好きな男の子の傍に他の女の子がいるだけで心を乱されてしまうような、恋する乙女。


 それもきっと、彼女の持つ一側面。


 彼女もただの人間でしかない。完璧なだけじゃない。


 それが分かって――――心が楽になった。


「……影人様。一つ、お願いしてもよろしいですか?」


「お願い、ですか?」


「お願いなら影人えいとじゃなくて、天堂家の総力を結集して何が何でも叶えてあげるわ」


「……遠慮なく言って。影人えいとではなく、わたしたちに」


 明らかに慌てふためく二人を見て、わたくしの中でちょっとした悪戯心がわいてきてしまった。


「ふふっ。嬉しい申し出ですが、これは影人えいと様にしか叶えられないものですの。……影人様。お耳を拝借させてください」


「は、はぁ……どうぞ」


 小声で何かを伝えるつもりなのだと信じきっている影人様は、その横顔を無防備に近づける。わたくしはそんな影人様の耳ではなく頬に顔を近づけ――――そのまま、唇で彼の頬に触れた。


「えっ」


「「――――ゑ?」」


 まるで時が止まったような静寂。

 わたくしは全く悪びれもせず、ただ淑女としての微笑みだけを添える。


「ふふっ……ほんのお礼ですわ」


 さしもの影人様も言葉を失っているらしい。

 呆然としたまま固まっていて、それは天堂星音と羽搏乙葉の二人も同じだった。


「い、いま……き、キス……影人に、キスした……?」


 震えながら問うてくる天堂星音に、わたくしは悪戯心をたっぷりと含んだ笑みを返す。


「ええ。その様子だと……ふふっ。わたくしが一番乗り、ということでしょうか?」


「~~~~~~~~っ……!」


 どうやら図星だったらしい。顔を真っ赤にしながらぷるぷると震えている天堂星音なんて、見物料を払いたいぐらいだ。


「では皆さま、ご機嫌よう」


 優雅な一礼を披露したあと、わたくしは静かにその場を去った。


「お、覚えてなさいよこの泥棒猫っ――――――――!」


 背後から聞こえてくる、天堂星音の負け犬の遠吠えのような叫びに、思わず吹き出してしまう。


「まさかこんなことで、あなたから初勝利を得られるなんて思いもしませんでしたわ」


 近くに待機させていた四元院家の車に乗り込みながら、わたくしは唇の温もりを噛み締める。


「…………影人様の『一番』だって、譲りませんわよ」



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