第19話 先攻・羽搏乙葉①

 絵本の中の世界がそのまま飛び出してきたかのようなアトラクションの数々。

 園内からは世界観を彩ろるBGMが響き渡り、ジェットコースターからは、世界有数という評判に違わぬ絶叫が聞こえてくる。キャラクターたちの着ぐるみは高い精度のパフォーマンスを披露し、訪れた人々を楽しませていた。


「……すごい。本物みたい」


「乙葉さんは、ここのテーマパークは初めてですか?」


「……はじめて。だから、とても楽しみ」


 周囲のアトラクションやパンフレットに目を輝かせている乙葉さん。

 お嬢がここに居ないのが残念だ。ご友人であるお嬢と一緒だったら、もっと楽しかっただろうに。……いや。いつまでもそれを言っても仕方がない。お嬢には急用が入ったのだし、むしろその分、俺がおもてなしをしてあげないと。


「どこか行きたいところはありますか?」


「……影人えいとはいいの?」


「俺のことはお気になさらず。今日は乙葉さんに楽しんでいただけるように、全力を尽くしますから!」


「…………」


 その時だった。


「――――っ……?」


 乙葉さんの白く綺麗な人差し指が、俺の唇に留まる。


「……わたしだけ楽しんでも意味がない」


 指が唇に触れているから、喋ろうにも口を動かせない。

 下手に言葉を発そうとすれば、誤って乙葉さんの美しい指が入ってきてしまうかもしれない。それすらもお見通しというように。否。そうなっても構わないとばかりに、乙葉さんはその指を動かそうとしない。


「……今日は、わたしと影人えいとのデートなんだから。一緒に楽しまなきゃだめだよ」


 確かに……俺がとったもてなす側の態度では乙葉さんも気軽に楽しめない。お優しい乙葉さんなら、逆に気を遣ってしまうのだろう。

 これは俺のミスだな。指摘させてしまったことが情けない。……いや。反省はあとだ。早くきり買えないと、それこそ乙葉さんに気を遣わせてしまう。


「……ね?」


 乙葉さんの指が離れ、俺の口が解放された。


「……そうですね。すみません。つい、仕事モードになってしまうところでした」


「……影人えいとらしいけど、今日は……ううん。わたしと一緒に居る時は、お仕事のことは忘れて。わたしも忘れることにしてるから」


 そのまま乙葉さんは一歩踏み出して、つま先を伸ばして背伸びして。俺の耳元で甘く囁いた。


「……今日のわたしは『歌姫』じゃない。あなたの前では、ただの『羽搏乙葉はばたきおとは』だよ」


 世間を虜にしている歌姫の『声』が、耳元で甘く囁かれている。俺という一人の人間だけに向けられている。


影人えいとも、今だけは星音に仕えていることを忘れて……わたしの前では、ただの夜霧影人やぎりえいとでいてほしい」


 ……これが『歌姫』の破壊力というものだろうか。彼女の声に背筋に甘美な痺れがはしった。


 今まで乙葉さんには何となく妖精のようなイメージを抱いていたけれど。

 耳元から離れ、どこか妖しげな笑みを浮かべる今この瞬間だけは……小悪魔を彷彿とさせるな。ファンの人たちが知ったら少々驚きそうなものだけど、これはこれでまた彼女の魅力の一つといえよう。


「分かりました。乙葉さんがそう望むのであれば、今だけはただの夜霧影人やぎりえいととして、あなたをエスコートいたします」


「……うん。お願い」


 差し出した手を、乙葉さんは柔らかく微笑みながらとってくれた。


(…………ただの夜霧影人やぎりえいととして、か)


 それはつまりお嬢に仕えていない自分、ということだろうか。

 正直あまり想像できない。家族から捨てられて、お嬢に拾っていただいたあの日から、お嬢は俺にとっての全てだから。


 今も、これからも、ずっとお嬢にお仕えして、お嬢のお役に立てるように努力する。そんな人生を送るのだと決めていたから。


 ……だから。俺から『それ』を取ってしまえば、『ただの夜霧影人やぎりえいと』になってしまえば、一体何が残るというのだろう。


(気合入れないとな)


 乙葉さんが望んでいるのは、その『ただの夜霧影人やぎりえいと』だ。

 今日という日を楽しんでもらうために、精いっぱいがんばろう。


     ☆


「すごかった。ぎゅーんで、どーんで、ばーん、だった……!」


 世界的にも有名な絶叫ジェットコースターを終えて、乙葉さんはとても興奮していた。

 擬音ばかりなのは……これはあれだな。やっぱり乙葉さんは天才肌の感覚派なのだろう。


 バスケの特訓の時も「……星音はパスが速すぎる。もっと『ぐっ』てして『しゅっ』てしてくれないと」とか言ってたっけ。お嬢もお嬢で感覚派だから「何言ってるの。私が『すぱっ』てやってあなたが『ずばっ』ていけばいいでしょ」とか言ってたな。


 それはさておき、実は今日に備えて何も考えていなかったわけじゃない。お嬢と乙葉さんが十全に楽しめるように、あらかじめこのワンダーランドフェスティバルについての下調べは済ませていたのだ。


 ついでに、念のためプランを組んでおいて助かった。

 いくつかのアトラクションをまわってみたが、乙葉さんに満足していただけたようだ。


「もうすぐお昼ですね。あと一つだけまわって、その後はお昼にしましょうか。お嬢も合流されることですし」


 うん。計画プラン通りだ。ちなみに次のアトラクションや昼についても目星をつけてある。


「…………もうすぐ、お昼……」


「どうかされましたか?」


 アトラクションに興奮していた乙葉さんがピタリと止まる。


「…………影人えいと。次は、これに行ってみたい」


 パンフレットに描かれていたテーマパーク内の地図。そのある一点を、乙葉さんは指してみせた。それは去年出来たばかりの最新アトラクションのホラーハウス……ようは『お化け屋敷』だ。


「ああ、これですか。乙葉さんはこういうのに興味がおありなんですか?」


「……うん。興味がある。とても」


「確かに、このアトラクションはとても人気ですよね」


「……知ってる。特に、恋人カップルにとても人気らしい」


 どうやらこのアトラクションについては事前に下調べしていたらしい。乙葉さん、よっぽど今日のことが楽しみだったんだろうな。


「分かりました。では、すぐに行きましょう」


 幸いにして、目当てのホラーハウスは俺たちが今いるエリアから近い。

 更に幸運なことに、人の波が途切れた一瞬に何とか滑り込めたので、待ち時間も少なく入ることが出来た。


 このアトラクションは、ある洋館に迷い込んでしまった二人組が、出口を目指して内部を進んでいくという至ってシンプルなものだ。

 しかし、内部に登場するクリーチャーがとても精巧に作られており、最新技術を駆使した五感に訴えかける演出は好評を博している。


 耐性の無い人には薦められません、という注意書きすらあるぐらいだ。

 だけど乙葉さんは事前に調べた上で行きたいと言った以上、ホラーには自信があるのだろう。


「乙葉さん、こういうホラーは好きなんですか?」


「……そんなことない。むしろ苦手」


 ……………………えっ?


「そ、そうなんですか? 自分から行きたいと仰っていたので、てっきり得意なのかと……」


「……とても苦手。だから、影人えいとがわたしを守ってね?」


 言いながら、乙葉さんは俺の腕に体を預けるように、自分の腕を絡めてきた。

 傍から見れば、本物の恋人同士のような誤解を与えてしまうような。


「えーっと……それは構わないのですが、苦手なようでしたら、今からでも外に……」


「……出る必要はない。大丈夫」


「そ、そうですか」


 とはいえこの体勢はどうにかならないものか。お嬢のご友人にそういうことを考えてはいけないと重々承知しているのだが、いかんせん乙葉さんも中々に発育がよろしいので、こうも腕に密着されると……。


「……影人えいと。どう?」


「『どう』とは、何がでしょう?」


「……わたしの胸、星音にも負けてないでしょ?」


「………………………………」


 なんて返しづらいコメントを……! 確かに、腕越しに伝わってくる感触的にボリュームはお嬢と互角……いやいやいやいやいや。何を考えてるんだ俺は。


「……しかも、今日は下着にもこだわった」


「そ、それはよろしゅうございますね……」


 なぜ自慢げなのだろう。


「とにかく、このまま先に進んでいいんですね?」


「……うん。おっけー」


 しかし、なぜわざわざ苦手なホラーアトラクションに……?


 ……待てよ。このアトラクションは、恋人カップルに絶大な人気がある。

 そして乙葉さんは俺と一緒にここに入った。自分から望んで……そうか。分かったぞ。これらの情報を繋げれば、見えてくる答えは一つしかない。


(――――乙葉さんは、自分の苦手を克服しようとしてるんだ……!)


 だとすれば説明がつく。

 このアトラクションは二人一組。

 かといって、友人であるお嬢の前でみっともない姿を見せたくはない。


 見知らぬ誰かと入るのは心許ないのだろう。しかも、乙葉さんは有名人。

 一人でこんなところに並んでいたら目立ってしまう。

 そこで俺だ。男子である俺と一緒に並べば、周囲の恋人カップルたちに紛れて目立たなくなる。思う存分、苦手克服に集中できるというわけだ。


(今日は休日だというのに、それを自分の苦手克服のために使うなんて……乙葉さんはなんて努力家なんだろう)


 きっと『歌姫』と呼ばれるようになるまで、こんな風に努力を重ねてきたんだろうな。

 その辺りもやはりお嬢と気が合う理由の一つなのだろうか。


「分かりました。乙葉さん、俺も喜んで付き合います!」


「…………何か勘違いしてそうだけど、うん。付き合って」


 乙葉さんと一緒に、薄暗い洋館の中を進んでいく。

 内装は作り物だと思えないほどリアルに出来ている。仮に目隠しして人を連れて来てしまえばそのまま騙せてもおかしくはないほど。


 更には床が軋む音や、程よい冷気のようなものも感じる。

 BGMの音量も絶妙に調整されていて、アトラクションであることを忘れそうになるぐらいだ。


「…………」


 隣の乙葉さんは特に怖がってる様子はないな。だけど今も俺の腕にしがみついてるし、きっと恐怖を押し殺しているんだろう。彼女を支えられるように俺も頑張らないとな。


 苦手を克服しようとする乙葉さんの覚悟に敬意を表しながら、洋館の奥を進んでいく。

 ――――カタ……カタ……カタ……カタ。


 薄暗い闇の向こうから音が聞こえる。何かが動いている音。

 このリアリティある洋館の内装と相まって、中々に雰囲気あるな。

 俺は別に大丈夫だけど、乙葉さんは少しキツイかもしれない。


「大丈夫ですか、乙葉さん」


「……何が?」


 こてん、と乙葉さんは可愛らしく小首をかしげる。

 俺の質問の意図が分かっていないようにも見えるが……いや。あらためて問うことも無いだろう。きっとやせ我慢しているんだ。下手に意識させてしまうと、恐怖心を煽ることになるかもしれないし。


「大丈夫ならいいんです。先に進みましょうか」


「……ん」


 頷く乙葉さん。他に道はなさそうなので、そのまま先へと進む。

 やがて聞こえてくるその音は徐々に大きくなっていき……音の発生源に辿り着いた。

 廊下の台に置かれていたのは、血に濡れた西洋人形。それがカタカタと一人でに動いて笑っている。


 ……うーむ。やはり俺にはピンとこないな。天堂の家を狙う輩を相手していると、こういうのは目にする機会も多いし。そういえばこの前、屋敷に忍び込もうとしてた奴もこんな感じの人形を使ってたっけ。人形の中にナイフやら銃やら仕込んで面倒だったな。全部叩き落して近接戦を仕掛けたら一瞬で片付いたから、大したことないやつだったけど。


 だが俺のことはどうでもいい。流石の乙葉さんもこの人形には……。


「……………………(じー)」


 乙葉さんは血みどろ人形をじっと見つめていた。

 怖がってる様子は特にない。なんというか、「凝った人形だなぁ」という無味乾燥な反応だ。


「乙葉さん?」


「……なに?」


「えーっと……大丈夫ですか?」


「……なにが?」


 乙葉さんは俺の問いに対して、きょとん、としている。

 恐怖を隠している……わけではないな。うん。これは流石に違う。


「ああ、いえ。この人形、怖くないのかなと思って……」


「…………!(はっ)」


 なぜか乙葉さんは俺の言葉に、はっとして、


「…………き、きゃー。こわいー」


 凄まじいまでの棒読みだった。


「乙葉さん、怖がってませんよね……?」


「……そんなことない」


「いや、だってめちゃくちゃ棒読みでしたけど……」


「……怖くて怖くて、怖すぎて、思わず棒読みになってしまった」


 怖すぎて棒読みになることがあるのだろうか……。


「……ほら。見て。怖いから、影人えいとの腕に抱きついてしまっている」


「それは割と最初からでしたが……」


「……そうだったっけ?」


 そうでしたよ。何せあんな話をされたぐらいですから、よく覚えていますとも。


「まあ、とりあえず……先に進みましょうか」


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