第4章 勝負するお嬢様と歌姫編

第18話 先攻と後攻

 先日の球技大会で男子・女子共に優勝した私たち天上院学園一年A組は、景品として日本有数のテーマパーク、『ワンダーフェスティバルランド』のチケットを手に入れた。

 それを使って影人えいとと私と、泥棒猫こと羽搏乙葉の三人で出かけることになった。


 ……本音を言えば影人と二人きりがいい。それが一番ベストなのは間違いない。

 乙葉の行動を先んじて読んでいたが故の対策として、三人でのお出かけと相成ったわけなのだけれども……今回はいわば、テーマパークデート。


 他のことならまだ妥協はできる。けれどテーマパークデートという舞台ともなれば、妥協はしたくない。一番ベストをとりたい。


「この前だって、影人えいとに負けちゃったし……」


 意を決してご褒美をおねだりしてみたのだけれども、結局は影人えいとに返り討ちをくらってしまった形だ。これからもどんどん泥棒猫が出てくることを考えると、やっぱりここで攻めておきたい。


「…………」


 頭の中で考えをまとめ、意を決し、スマホを手に取った瞬間――――通話の着信。名前は『羽搏乙葉』。こちらからかけようとしていたのだけれども、まさか向こうからくるなんてね。


「なにかしら。明日に備えて、はやく寝た方がいいんじゃない?」


『話し合い。あなたも、同じことを考えていたと思って』


「……そうね。ちょうどそっちに連絡を入れようとしていたところよ」


 どうやら向こうも大人しく私の提案に従うつもりはなかったらしい。


『明日のデート。お互いに影人えいとと二人きりになれる時間を作りたい』


「……いいでしょう。ただ、ルールは決めさせてもらうわよ」


『それはこっちのセリフ。まずは――――』


 その後、私たちは互いに意見を交わし合ってルールをまとめた。

 私は勿論だけど、乙葉も事前に小賢しい考えをまとめていたのだろう。五分とかからずルールはまとまった。


「……ルールの文面を送ったわ。確認してちょうだい」


『……確認した。問題なし』


「あとはどっちが先手をとるかだけど」


『「……………………」』


 一瞬の沈黙。私の頭の中では互いに刀を構えた侍同士が敵の出方を窺っているようなイメージが浮かんでいた。


「…………せーので言いましょう」


『分かった』


『「せーの」』


『先攻』「後攻」


 またもや一瞬の沈黙。だけどこれは先ほどのようにこちら側の様子を窺っているわけではないのだろう。どちらかというと、私の出方の意図を測りかねているのかもしれない。


「あら。私が後手に回ることがそんなにも意外?」


『そんなことはない。星音は攻めてるようで結果的に後手に回るから』


「………………………………」


 つい先日、攻めていたつもりが影人えいとの『いじわる』に後手に回されてしまったばかりだから。


「…………まぁ。確かに? これまでの私は、ちょ――――っとばかり、空回っていたかもしれないわ」


『ちょっと…………?』


「こらそこ。疑問符を浮かべない」


 きっとあの綺麗な顔で可愛らしく首を傾げているのだろう。

 さぞかし美して可愛らしい表情をしていることは容易に想像できた。


「生憎だけど、私は常に先を往ってるの。最先端なの」


『そういうことにしておいてあげる』


 強がりも入ってるけど強がりだけでもない。

 実際、私はこれまで色々な方法で影人えいとにアプローチしてきた。だけど、どれも失敗……いえ。返り討ちに遭ってきた。だからこそ、やり方を変える。方法を変える。


 先手で失敗してきたなら、あえて後手に回るまで。

 私は後の先をとるまでよ。


「勝負よ。正々堂々とね」

『……望むところ』


     ☆


「えっ? 俺一人で行くんですか……?」


「そうよ」


 お嬢と乙葉さんと、三人でワンダーフェスティバルランドへと出かける日。

 朝食の席で突如としてお嬢から言い渡された一言に、思わず目を丸くしてしまった。


「今日のお出かけ、お嬢も楽しみにされてたじゃないですか」


「勘違いしないで。私は午後から合流するの…………後攻だしね」


「? よく分かりませんが、午後からということでしたら、乙葉さんに連絡を入れて……」


「大丈夫よ。乙葉の方にはもう了承をとってあるから」


「いつの間に」


「昨日の夜、ちょっとね」


 それこそまさに『いつの間に』だ。


「……何よ。嬉しそうな顔してるけど」


「いえ。乙葉さんと仲良くされているようで何よりだと」


「……………………」


 これ以上ないぐらい微妙な顔をされた。


「とにかく、あなたは先に集合場所に行きなさい。私は午後に合流するから」


 ――――と、いうことで。


 俺は先に屋敷を出て、集合場所である駅前へと向かった。


 休日ということもあって駅前は人が多い。普段は制服姿の学生も多いこの場所だが、今日ばかりは私服の人々が大半だ。


「……影人えいと


 透明感のある鈴の音のような声に、思わず振り返る。


「乙葉さん。おはようございます」


「おはよう。……それと、おまたせ」


「いえ。俺も今、来たところですから」


「……集合時間まで一時間あるけど。どうして影人えいとはこんな時間に?」


「あはは。今日のことは楽しみにしてたので、つい気が逸っちゃいました」


「……楽しみに、してくれてたんだ」


「当然ですよ。乙葉さんのような女性と休日に過ごせるんですから。俺でなくとも楽しみにしていたと思いますよ」


 それこそ、お嬢だって楽しみだったはずだろうし。


「…………うん。わたしも、影人えいとと一緒にお出かけするの楽しみにしてた」


「そう言っていただけて嬉しいです」


 今日の乙葉さんは頭には帽子をかぶり、髪をまとめて更には度の入っていない伊達眼鏡をかけていた。活動を休止している最中とはいえ彼女も有名人。恐らく変装のためなのだろう。


「乙葉さんの私服は前の休日以来でしたが、今日の服装も素敵ですね。変装の一環なのでしょうが、クールな乙葉さんの持ち味を活かして、きちんと着こなしている辺りが流石だと思います」


「……ありがと。嬉しい」


 本当に嬉しそうに、柔らかい笑みを零す乙葉さん。

 今日のことを本当に楽しみにしていたんだろうな。それだけにお嬢に急な予定が入ったことが残念でならない。何の急用なのかを問うてみてもはっきりとした答えは返ってこなかったし。代わりに出来るなら、俺が代わりに片付けたんだけどな。


「申し訳ありません。既に連絡が入っているとは思いますが、お嬢は今日、急用が入ってしまいまして……」


「……大丈夫。わたしが先攻だから」


「? はあ……」


 先攻とか後攻とか、今日のお嬢と乙葉さんはどことなく通じ合っている気がするな。言葉の意味はまったく分からないけど。


「あ、そうだ。乙葉さん、ここで少々お待ちいただいてもよろしいですか?」


「どうしたの?」


「急用がありまして。すぐに戻ってきますから」


「……わかった」


 さて、と。まずは天堂家に仕える同僚たちに連絡をとっておくか……今日は途中からお嬢も合流することだし、さっさと終わらせよう。


     ☆


 今日はついてると、男は物陰からほくそ笑んだ。

 たまたま通りがかったところに、活動休止中の歌姫『羽搏乙葉』らしき少女を見かけた。いや、『らしき』じゃない。ジャーナリストとしての勘が告げていた。あの少女は間違いなく、羽搏乙葉だ。


 活動を休止した当初は世間は大いに騒ぐこととなった。そして彼女が、ある学園に転入したというニュースも瞬く間に広がった。ほんのひと時は学園にマスコミが押しかけたものの、同時期にどこぞの政治家の汚職が発覚したことで世間の興味はそちらに流れた。


 元より活動休止した歌姫への興味が持続するような世間でもない。

 しかし、政治家の汚職発覚は、羽搏乙葉を護るために天堂グループから齎されたものなのではないかという噂がある。これが真実かは定かではないが、天堂の家には業界全体が恐れるほどの影響力があることは確かだ。


 同時に、彼女が通う天上院学園。あそこにも以前から色々な噂が飛び交っている。


 曰く。生徒たちの中には特別な力を持ったものが紛れている。

 曰く。政界にも影響出来るほどの絶大な権力を有している。


 実際、同僚からも「あそこらへんに下手に関わるな」と釘を刺されている。学園へ取材に押しかけたマスメディアにしたって、一部では無知な者たちの暴走と言われているほど。


(バカバカしい)


 心の中で吐き捨てる。

 実にバカバカしい話だ。たかが一つの企業、一つの学園。そんなものにどれほどの力があるというのだ。


 男はこれまで己の記事でいくつもの企業と有名人を潰してきた。

 理由はない。ただ人間が転がり落ちる様を見るのが好きなだけだ。地位や富や権力を手にし、才能溢れる人間が地を這いつくばるのを見たいだけだ。

 そのために手段は選ばなかった。捏造記事なんて当たり前だ。


「羽搏乙葉の活動休止……その理由は男が出来たから、とか?」


 視線の先にいるのは変装した羽搏乙葉と、端正な顔立ちの少年だ。

 体のバランスも振る舞いも非の打ち所がない。男からすれば大嫌いな部類の人間だ。


「いや。それだけだと弱いな。……歌姫様がどこぞの男に入れ込んで貢いだとか……いや。写真そざいさえあれば、あとはどうとでも……」


 二人の様子をカメラに収めようとして――――少年の姿が居ないことに気づいた。


「あん? 一体どこに……」


 ――――ぐしゃり。


 と。何かが砕けたような音がした。


「なっ……!? か、カメラが……!」


 愛用していたカメラが粉々に砕けていた。まるで凄まじい握力によって一瞬で握り潰されてしまったかのように。


「く、くそっ……なんだ? 何が起きた?」


 気づく。データを保存していた記録媒体も懐から消えている。次いで、パキ、ペキ、と硬い何かが砕かれるような音。奇妙で歪で、恐怖心を煽るような音。そして気づけば足元に、バラバラに砕け散った記録媒体の残骸が落ちていて……。


「ひっ……!」


 男は逃げ出した。とにかく逃げた。何から逃げているのかは分からない。

 それでも肌で感じ取るこの殺気のようなものから、ただひたすらに逃げた。

 逃げて。逃げて。逃げて――――。


「がっ……!?」


 突然の衝撃。身体が路地の隙間に引きずり込まれた。何者かの手で押さえつけられているのは分かるが、壁に押し付けられて相手の顔が見えない。万力のような力だ。顔を動かそうにも、ピクリとも動かない。それどころか脂汗が滲みだしてきた。


「――――■■■■」


 その何者かが囁いた名前は、男の本名だった。変声機を使っているのだろう。性別が判断できない奇妙な声だった。


 更にその何者かは、男の住所や両親の名前、実家の場所、普段通っている行きつけの店、果ては昨日コンビニで買ったペットボトルの銘柄まで。事細かに情報を囁いていく。敵が男の個人情報を握っているという事実に、胃の底から冷たい何かが徐々にせり上がってきた。


「羽搏乙葉に近づくな」


「…………っ……!?」


 そして、男の意識は徐々に闇に落ちていく。


「……俺です。……はい。いつものように処理をお願いします。……いえ。お嬢を狙ってるわけじゃなさそうです。……はい。お願いします」


 男の中にふと浮かんだのは、かつて友人に釘を刺された時のことだ。


 ――――天堂の家には近づくな。あの家には、番犬がいる。


 なぜ今になって天堂家のことを思い出したのか。それすらも解らず、男の意識は完全に闇に落ちた。


     ☆


「お待たせしました」


 ちょっとした用事を済ませたあと、俺はすぐ乙葉さんのもとまで戻ってきた。


「……お仕事だった?」


「違いますよ」


 申し訳なさそうにする乙葉さん。今でこそ活動を休止しているが、彼女は歌姫だ。こうして誰かと遊びに行く機会も少なかったのかもしれない。


 お嬢が楽しみにされていた今日という日に備え、過去の乙葉さんのスケジュールを軽く調べてみたことがあったが、とてもゆっくりと休日を過ごせるようなものではなかった。

 だからこそ今日は楽しんでほしいし、こんなことで気を遣ってほしくない。

 無粋・・邪魔者・・・が入ってくるのなら、そいつらは処理・・するまでのこと。


 何より、ご友人に無粋な邪魔が入ればお嬢もきっと悲しむだろうから。


「乙葉さんが今日という日を楽しめるように、少しばかり準備をしてきたんです」


「準備……?」


 可愛らしく首を傾げる乙葉さんに俺は右手を差し出した。

 手のひらを広げ、空っぽであることを視認させた後……ぱっ、と花を出してみせる。


「どうぞ」


「……すごい。ありがとう」


 乙葉さんはキラキラとした目で花を受け取ってくれた。


「これ、わたしが好きな花……知ってたの?」


「以前、雑誌のインタビューで答えてらっしゃいましたよね。ちょうどそこの店で見かけましたので」


「……準備って、この手品のことだったんだ」


「はい。今日は乙葉さんに楽しんでもらうつもりですから」


 よかった。お嬢のために色々と習得していた技術の一つが役に立って。

 よかった。乙葉さんに楽しんでもらうために色々と調べたことが役に立って。

 よかった。たまたま偶然、近くの店で乙葉さんの好きな花が売っていて。


「では、行きましょうか」


「…………うん」


 集合を果たした俺たちは電車を乗り継ぎ、ワンダーフェスティバルランドまで向かう。

 ここからだと電車一本で約三十分。長すぎるということもないが、短すぎるというわけでもない。休日の朝なので満員というほどでもないが、それでも人の数はほどほどにいる。傍に居る少女が『羽搏乙葉』だと気づく者は先ほどのジャーナリストを除き誰もいないあたり、変装の効果はばっちりのようだ。


「こちらの車両は人が多くて座れませんね……乙葉さん。空いている車両まで移動しますか?」


「……ううん。大丈夫。その代わり、影人えいとに掴まっててもいい?」


「構いませんよ。……あ、乙葉さん。そこに空いている吊革がありますよ」


「……要らない。影人えいとに掴まってるから」


「吊革の方が安定すると思いますが……」


「……影人えいとの方がいい」


「そうですか?」


 俺が首を傾げているのをよそに、乙葉さんは俺の身体に寄りかかるようにしてくる。

 吊革が苦手なのかな。じゃあ、俺がしっかりと支えてあげないと。今日は乙葉さんが楽しめるようにがんばろう。


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